https://word-dictionary.jp/posts/216 【「虚無感」とは?意味や使い方をご紹介】より
ここへ辿り着いた皆さんは、さぞお悩みのことでしょう。これが、「虚無感」というものなのか、「虚無感」とはどのようなものだろうと思われ、ここへ辿り着いたのだとお察しします。ここでは、「虚無感」の意味や使い方に触れると同時に、様々な考え方の一つをお話します。
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この世に存在する全てのものに価値や意味を感じられず、むなしく思うこと。そして、「虚しい」、「空虚な」、「何もないような」感覚を指します。自分が向かうべき道が見当たらず、暗闇の中にいるような感覚です。生きる目的もなく、意味もない、生きる目的を見失ってしまった。というような「人生が無意味だという感覚」を形容する表現です。
「虚無感」~あの松尾芭蕉も?~
皆さんもご存じの通り、「おくのほそ道」で有名な「松尾芭蕉」は江戸時代前期に生きた人です。俳諧を完成させた「俳聖」とも呼ばれるあの松尾芭蕉ですら、死期を目前にして「虚無感」を感じていたのではないかと言われております。
芭蕉が亡くなる直前に詠んだ最後の俳句は、「旅に病んで 夢は枯野をかけ廻る」という句で、病床に伏しながら詠んだものです。これにはたくさんの解釈があり、深くは説明できませんが、その後、芭蕉は様々な思いを巡らすようです。松尾芭蕉の門下である各務支考という人の「笈日記」には、下記のようにあります。
”此後はただ生前の俳諧をわすれむとのみおもふはと、返す返す悔やみ申されしなり”
と述べられています。病床にありながら、死期が近いと悟ったのでしょう。芭蕉は、自分の死期が迫り、「自分が生前作り上げてきた俳諧を忘れたいと思う」と言って悔やんでいたそうです。今までの人生を振り返って、自分が成し遂げたことを忘れたい!と思うほど、今までの自分の人生が無意味なもの、これから向かうべき道もなく、虚しいという、まさに「虚無感」を感じていたのではないでしょうか。
「虚無感」との付き合い方~無常観~
皆さんは、「無常観」という言葉を一度は聞いたことがあるかと思います。多くの方が、「平家物語」の冒頭である、「諸行無常の鐘の声」「盛者必衰の理のごとく」を習いましたね。兼好法師の「徒然草」や鴨長明の「方丈記」は、学校で学んだことがあるかと思いますから、「無常観」という言葉を一度は聞いたことがあるはずです。
「虚無感」との付き合い方①~無常観・常であるものは無い~
「無常」とは、「いつも、これから先も永遠に変わらないものなどないよ。」という意味で、「世の中全てのことやものは変化していきますよ。」ということです。
仏教の教えからきたものですが、日本人は、「変わっていくこと」に美徳を見い出し、その傾向は今でもあります。例えば、皆さんがお好きな「桜」です。あんなにも大木たちが一斉に花を開く姿は美しいのですが、それと同時にわずかな期間に「儚く」散ってしまうことにもう一つの美しさを感じます。
ですから、今、皆さんが抱えている「つらさ」や「痛み」そして、「無気力さ」さえ、変化していき、きっと前向きに考えられる日がやってくるでしょう。
「虚無感」との付き合い方②~無常観・儚いもの~
前述の「桜」の例も同様ですが、皆さんは、何かの原因がもとで「虚無感」を感じているのかもしれません。ずっと一緒にいた誰かがいなくなってしまったり、別れがあったりと、様々ですが、世の中の出会いと別れは「桜」と同様、永遠には続かないのです。私たち全員、最終的には、この世界から旅経ちます。そうです、「儚い」のです。
織田信長が好んだ幸若舞の敦盛にある一節「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」とありますが、「人間の人生は、天界に比べたら夢や幻のように儚いものだ」というような意味になります。
だからこそ、私たちは、世の中にあるものや事柄は全て儚く消えてしまうもの、そして、自分の人生もあっという間だから、前を向いて短い人生を生きなければ!と前向きに生きていくことが「美しさ」の一つなのではないでしょうか。
「虚無感」の使い方
では、「虚無感」の使い方を見ましょう。
「付き合っていた恋人に振られてしまって『虚無感』があるけれど、仕方がない。前を向いて歩こう!」
このように、「虚無感」を感じることもあることでしょう。しかし、前を向くことが必ずできるはずです。
「虚無感」の意味を含めて、その例や乗り越え方を中心に「虚無感」についてご説明させていただきました。これをお読みの皆さんの力に少しでもなれたのであれば幸いです。
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「私は誰?」「なんのために生きるの?」「死んだ後 どうなるの?」
「人間に生まれ、人間として生きるとは どんな意味?」 「毎日繰り返される命の営みの意味は?」人間誰しもが抱える問いではないでしょうか?
Wikipediaは 「このような問に 真正面から対面し、探求し、健全な解決へと向けて、絶え間なく働きかけることをスピリチュアルケアと呼びフィジカルケア、メンタルケアに勝る人間の究極的ケアとも言われる」と紹介しています。
「その基本方針は人生のあらゆる事象に意味や価値を見出すすことができるような適切な思考法や有益な情報を効果的に伝えることによって、対象者が自分自身で、「心の免疫力」や「心の自己治癒力」を高めていくよう導くことである」とも紹介しています。
人生への意味や価値を見失えば「心の免疫力」や「心の自然治癒力」が弱まると言えます。
思春期は「人生に対する根本的問い」を問い始める時と言われます。思春期の私は生きることも死ぬこともできないニヒリストでした。
太宰治の世界に没入し 授業や試験をボイコットし、退学届を出したりしました。 自殺未遂もしました。嵐のように襲う虚無感を 胎児のように身体を丸めて 呼吸を止め やり過ごし 耳に蛸ができるほど「生きる意味、生きる意味」を問い続けました。
生まれたことを呪い、息をするのもおぞましく、きりきり舞いを舞いながら時を送り続けました。
このような様を、レギオン(新約聖書の物語: 自らを墓場に繋ぎとめ 石で打ちつけ 吠え続ける悪霊)に譬えられました。
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私の一旦の救いは「視点変更」でした。問を一旦神棚にしまいこんで生き抜いたと言えます。
「生きる意味を問うもの」から 神から「生き方を問われるものになろう」と決めクリスチャンになりました。
年を重ね、今一度「生きる意味」を問い直す時が来ました。
人生への意味や価値は 自分で創り出すもの」これが私の見つけ出した答えです。
そのためには 魂やハイヤーセルフに繋がり自己一致をすること。
選択の主体としての自分を取り戻すことが大事です。
魂からのメッセージ
色々な場面により、いろいろな相手により私の内側から登場する自分は違います。
真実の自分を知りたいとは思いませんか?
「何のために生まれてきたの?」 「生きる目的は?」「私のライフビジョンは?」??? 気になりませんか?
魂からのメッセージは 色々な方法で聴くことができます。
魂からのメッセージを聴くことで 魂と一つになり 本来の自分を生きる喜びを取り戻すことができます。
みなみ心理健康オフィスは 本来の自分を取り戻し 「人生のあらゆる事象に意味や価値を見出す」ことができる自分になるよう スピリチュァル・ケアを心がけています。
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