家族。命。かけがえのないものから離れた辛さを乗り越えるのは、なかなか容易なことではありませんね。
誤解を恐れずに申し上げますと、そんな執着の念を断ち切って前に歩みを進めるための、最も強い支えとなるのは「無常観」ではなかろうかと考えています。
静かに坐って「荒城の月」の無常観を感じて頂ければ幸いです。
※後半のメロディはアレンジしています。
●和歌山県・南紀白浜にある聖福寺(しょうふくじ)です。
テンポの速い曲は心を高揚させ、テンポのゆっくりな曲は心を落ち着けるそうです。時には心を静め、落ち着けてみませんか。
音楽には心を癒す力があります。この動画が心のオアシスとなりますように。
■■南紀白浜・聖福寺(しょうふくじ)■■
音楽に導かれ、心のふるさとへ参りましょう。
聖福寺(しょうふくじ)公式サイト
http://shofukuji.net/
https://shutou.jp/post-2101/ 【無常観!尊厳と誇りが為せる日本的美意識!】より
存在するすべてのものは、絶えず移り変わっていると観察する人生観であり世界観である「無常観」。
一般に無常というと、人生の短いことを儚む虚無感にも似た感覚を思い浮かべるかもしれませんが、これは無常を感情や情緒として感受していることからきています。
これに対して「無常観」とは、
・物事が成長するプラスの面を見ることであり
・四苦八苦は人間が生きていくうえで付いてまわる必然のものであり
・生あるものは必ず死ぬという現実を受け入れた上で、前向きに生きる姿勢、感覚を指します。
あなたは、若くありたい、死にたくないと思っているかと思います。
そう考えると、刻一刻と老化し最後に死ぬという現実と、あなた自身の思いとは大きな食い違いを起こします。そこに”思い通りにならない苦”というものが起こる訳です。
その苦を脱却するためには、現実と思いとの間に食い違いを起こさないようにしなければなりません。
勿論現実の方は変えようがないので、どうするかといえばあなたの思いを変えて現実に合わせるしかありません。
それが、生あるものは必ず死ぬという現実を受け入れるということなのです。
この現実を受け入れれば、現実と思いが一致するので、苦というものは起こらず、心は平安となる訳です。
こうしたあなたの思いを変えてしまうために、無常観が必要になるのです。
日本人は、ブッダの説く「無常観」に大きな影響を受けてきました。
・人の命のはかなさ、世の中の頼りなさを歌った『万葉集』
・「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と無常を想う遁世生活を述べた『方丈記』
・「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」の言葉で始まる『平家物語』
・吉田兼好の随筆『徒然草』
これ以外にも能、桜などの中にも無常観を表そうとしたものが多いですね。
永遠なるものを追求し、そこに美を感じ取る西洋人の姿勢に対し、日本人は移ろいゆくものに美を感じる傾向を持つ、独特の美意識を持ち続けてきました。
これらは、人や世間のはかなさ、頼りなさを情緒的、詠嘆的に表現しようとした日本的美意識としての「無常観」です。
これは、現代の私達だからこそ大切にすべき特質です。
虚無感にも似た現実からの逃避ではなく、現実をきちんと受け止める。
そうした中でも移ろいゆくものに美を感じながら前向きに生きる姿勢、感覚を表す。
日本人としての尊厳と誇りがなせるこうした特質を胸に、今年もしっかりと進んで参りましょう。
芭蕉とモーツァルトは宇宙の響きを掬い取った→ 響きとは無常観かもしれません。
http://www.naruto-u.ac.jp/_files/00058391/motsuaruto.pdf 【モオツァルト・無常 という事 小林秀雄 】より
本の推薦を依頼されたときに,色々な本が頭に浮かんだ.ヘッセのデミアン,カフカの
城,川端康成の古都・・なかなか決まらなくて悩んでいたとき,ふと思い浮かんだのが,
小林秀雄の『モオツァルト・無常という事』だった.この本のことを思うときにいつも思
い出すのが,小林秀雄が『モオツァルト・無常という事』の中で書いている「哀しみが疾
走する」という言葉だ.学生のとき,疾走する哀しみってどんな哀しみなんだろうねと親
友と話したことがある.小林秀雄が「哀しみが疾走する」と表した曲はモーツァルトの弦
楽五重奏曲の第 4 番ト短調だ.この曲が小林に「哀しみが疾走する」と言わせたほどに悲
壮感があるのには,それが作られたときのモーツァルトの状況が深く関わっている.モー
ツァルトが弦楽五重奏曲の第 4 番を作ったのは 1787 年 5 月 16 日と言われている.第 3
番が完成して約 1 か月で書きあげられたことから,第 3 番と第 4 番は並行して作曲された
のではないかと言われている.この頃,モーツァルトは前年に「フィガロの結婚」で成功
を収め,「ドン・ジョバンニ」が完成間近という充実した時期である反面,自身の健康の
不調,父親の重病,経済的な不安など苦しい状況に追い込まれていた.そんな中で並行し
て作られた2つの弦楽五重奏曲は,第 3 番が重厚で明るい曲なのに対して,第 4 番は終始
物悲しさが漂っていて,モーツァルトの深い哀しみを表しているようだ.「モ オツァルト
のかなしさは疾走する.涙は追いつけない.涙の裡に玩弄するには美しすぎる.空の青さ
や海の匂いの様に,「万葉」の歌人が,その使用法をよく知っていた「かなし」という言
葉の様にかなしい」(45,46 ページ)
小林秀雄は,モーツァルトの妻が,モーツァルトの死後に再婚して初めて前の夫が天才
だったと聞かされ驚いたことから,「それほど彼女は幸福であっ た.彼の妻への愚劣な冗
談が誠意と愛情とに充ちていたからである」(48 ページ)と書いている.この一節には,
以前読んだときに違和感があった.夫の心の闇を知らされず,夫の成功も知らされず,た
だ愚かな男を演じられている妻が,なぜ幸福なのだろうか?親友は「心の闇を見せられて
も 幸 福 なん か じゃ ない よ . 心配 を かけ まい と 愚 劣な 冗 談を 言っ た こ とが 愛 情な んじ ゃ ない?」と言った.「私なら,辛いなら,辛いと言ってほしいし,辛いときにはお互い支え合いたいと思う」と言うと,「みんな,そんなに強くないんじゃないかな」と・・でも,親友と話したことで,モーツァルトの美しい曲だけでなく,愚劣な冗談を言っているときのモーツァルトのことも,なんだか愛しく思えたことが懐かしく思い出される.
モ ー ツ ァ ルト の 曲 は春 の 訪 れ のよ う な 美し く て 明 るい メ ロ ディ ー と い うイ メ ージが強く,そこから想像できるモーツァルトは 35 年という短い一生の間に多数の曲を遺した天才だ.反面,300 通あまりの手紙や,モーツァルトに面識のあった人々の記録からは,天才というよりも,狂気のようなものが感じられる.小林は弦楽五重奏曲第 4 番から,そん
なモーツァルトの心の奥底の闇を「かなしみが疾走する」と表したのだ.この紹介文を書
いた後,モーツァルトの哀しみを感じながら弦楽五重奏曲第 4 番を聴いた.
推薦者 青葉暢子 鳴門教育大学大学院准教授
https://koten.sk46.com/sakuhin/mozart.html 【モオツァルト―小林秀雄による音楽評論の傑作―】より
小林秀雄(1902~1983)の評論。
昭和21年(1946)、『創元』十二月号に発表。
詩的な文章でモーツァルトの音楽の世界を表現している珠玉の一篇である。
もう二十年も昔の事を、どういう風に思い出したらよいかわからないのであるが、僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀どうとんぼりをうろついていた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである。
僕がその時、何を考えていたか忘れた。いずれ人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、そういう自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭を一杯にして、犬の様にうろついていたのだろう。
兎とも角かく、それは、自分で想像してみたとはどうしても思えなかった。街の雑沓ざっとうの中を歩く、静まり返った僕の頭の中で、誰かがはっきりと演奏した様に鳴った。僕は、脳味噌に手術を受けた様に驚き、感動で慄ふるえた。
https://edupedia.jp/article/5e93cd0829968a00005cb782 【「夏草―「おくのほそ道」から」―歴史的背景や無常観を通じた読解】より
1 はじめに
この記事では、中学3年生の国語で学習する「夏草—「おくのほそ道」から」の授業を行う際に役立つヒントを掲載しています。
「おくのほそ道」は、松尾芭蕉による紀行文であり、古典文学の傑作でもあります。芭蕉の俳諧に対する思いや、歴史観をしっかり理解したうえで読解を進めることがポイントとなってきます。
参考資料へのリンクも掲載していますので、お役に立てましたら幸いです。
2 「夏草—「おくのほそ道」から」の内容
「夏草—「おくのほそ道」から」の歴史的背景
「おくのほそ道」について
江戸時代前期に活躍した松尾芭蕉による紀行文です。芭蕉は、弟子の河合曾良とともに東北や北陸をめぐり、岐阜の大垣までを旅しました。その記録が「おくのほそ道」です。芭蕉は、それまで滑稽さやユーモアを主体としていた俳諧の世界を、芭風と呼ばれる芸術性の高いものとして完成させました。
「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。」で始まる冒頭部分には、これから出発しようとする芭蕉の旅への思いが記されています。
「平泉」について
平泉は岩手県の南部にあります。平安時代に、藤原清衡、基衡、秀衡の奥州藤原氏の3代が治めており、その歴史を回顧しながら、この地を訪れた芭蕉が俳諧を詠んでいます。
上記のように、奥州藤原氏は3代しか続かず、特に秀衡のときに源義経をかくまったことから、源頼朝に滅ぼされてしまいます。こうした歴史的背景を理解しているかどうかが、読解においても重要です。
3 授業実践のヒント
授業展開の例
1.門出
芭蕉の旅への思い
冒頭では、芭蕉が旅への思いを切々と綴っています。ここでのポイントは、芭蕉がどのような思いで旅に臨もうとしていたのか、その並々ならぬ決意を実感させることです。
現代における旅と芭蕉の旅との違い
旅といっても、現代の私たちにおける旅と芭蕉の旅では、その思いが全く異なります。その違いに焦点を当てながら、芭蕉の思いを読み取っていくと展開しやすいでしょう。
(例1)旅をする目的の違い
現代→気分転換、趣味など
芭蕉→どうしても俳諧を極めたいという思いを実現するため
「そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて、取るもの手につかず。」
(例2)旅に対する心構えの違い
現代→旅を楽しみにする
芭蕉→家を人に譲り、死ぬことも覚悟する
「古人も多く旅に死せるあり。」
「住める方は人に譲り」
上記のような部分から、旅に対する芭蕉の覚悟を読み取りましょう。
2.平泉
歴史的知識からの導入
すでに解説した通り、この場面は奥州藤原氏3代の栄華と深いかかわりがあります。まずは、その歴史的背景の導入から入りましょう。可能であれば、社会科の先生をゲストティーチャーとして迎えるなど、教科横断的な学びができると効果的でしょう。
「無常観」の読み取り
無常観とは、すべてのものは変化し、常に同じであることはないという考え方のことです。この「平泉」の場面においても、特に自然と人間との対比において、その無常感が示されています。
(例1)「三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたにあり。秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。」
→秀衡が築いた館はすっかり田んぼや野原になってしまっているのに対し、金鶏山だけが形を残している風景を見て、奥州藤原氏の栄華が夢のように消えていったことを、より強調しています。
(例2)「夏草や 兵どもが 夢の跡」
→ここでは、功名を得ることを夢見て戦った源義経やその家臣の藤原兼房らに思いを馳せ、それらが歴史の中に夢のように消えてしまったことを句にしています。ここでも、今はその戦場に「夏草」が生い茂っているのみであることを表現することで、自然と人間を対比しています。
(例3)「五月雨の 降り残してや 光堂」
→風雨に晒されて朽ち果てていく運命だった光堂(金色堂)が、周囲の四面を囲い、風雨をよけるようにしたことで何とか残されている様を詠んでいます。ここにも長い年月が経過し奥州藤原氏の栄華が自然の力によって失われていく儚さと、何とか耐え忍んでその栄華を残している金色堂とが対比されています。
このような「無常観」を中心とした読解をしながら、それぞれの句の解釈にも触れていくのが良いでしょう。
4 参考資料(各項目からリンク先へ)
NHK for school / 10min.ボックス おくのほそ道(松尾芭蕉)
上記サイトでは、「おくのほそ道」の内容が10分間でわかりやすくまとめられています。
また、 参考教材もあります。
奥の細道『平泉』 わかりやすい現代語訳と解説(おくのほそ道)
走るメロス氏による解説です。特に「平泉」を読解するにあたっての歴史的知識や、現代語訳を知るのに役立ちます。
おくのほそ道|序文朗読|松尾芭蕉
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