https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6723837/ 【俳句はコミュニケーション】
https://www.holistic-medicine.or.jp/column/report/communication/%e3%82%b3%e3%83%9f%e3%83%a5%e3%83%8b%e3%82%b1%e3%83%bc%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%b3%e5%8c%bb%e5%ad%a6%e3%81%8c%e6%9c%aa%e6%9d%a5%e3%82%92%e5%a4%89%e3%81%88%e3%82%8b/ 【コミュニケーション医学が未来を変える】より
文・黒丸尊治
「心の治癒力」に着目するまで
もともと私は薬物療法が好きではなく、その一方で自然治癒力の存在や心と体のつながりに関心を持っていました。そんな私が心療内科医になった時、患者さんの治療手段として心理療法を使うことに、強い興味を持つようになりました。当時の心理療法の世界は、まだ傾聴や受容、共感に重きを置く来談者中心療法によるカウンセリングがメインで、また小此木啓吾先生と河合隼雄先生の両巨頭が健在で、精神分析療法とユング心理学が幅を利かせている時代でした。しかし私は、目の前の患者さんの身体症状の治療には、これらの方法はあまり役立たないと感じており、治療に役立つ心理療法を探し求めていました。
そんな時に出会ったのが、解決志向アプローチという「ブリーフセラピー(短期療法)」でした。その後もNLPやMRIといった他のブリーフセラピーや森田療法、認知行動療法なども取り入れながら、特定の心理療法の枠にとらわれない自分なりの心理療法を構築していきました。
心療内科時代はうつ病や不安障害といった一般的な患者さんの他に、慢性疼痛や過敏性腸症候群、自律神経失調症などの身体症状を訴える患者さん、さらには摂食障害や解離性同一性障害(多重人格)等々、さまざまな患者さんの治療に携わっていました。
そんな心理療法による治療経験から、私は患者さんの安心感や信頼感、期待感、希望、可能性、喜びといった思いが自然治癒力を刺激し、その結果として病気や症状が改善すると考えるようになったのです。つまり、症状や病気を改善させる根底には自然治癒力があることは言うまでもありませんが、それに勝るとも劣らず、自然治癒力を活性化させ、促進させる力としての心、すなわち「心の治癒力」の存在が重要だと考えたのです。
大切なのは治療技法より患者さんとの関係性
当時の私は、心理療法の技法によって、患者さんの思い込みが変わったり、希望や可能性が持てるようになると思っていました。ところがその後、いろいろと勉強をしていくうちに自分の考え方が間違っていることに気づいたのです「心理療法の技法で患者さんの症状が改善するのは、ほんの15%だ」というダンカンらの研究発表を見つけてしまったからです。さらに最近では「技法そのものによる効果は、実はたったの1%しかない」という研究結果も発表されています。
では症状の改善にかかわる他の要因は何なのでしょう。それは信頼関係や、患者さんの期待感や納得感、治療者の信念や雰囲気、態度などだというのです。もっと驚くべきことに、治療外要因、つまり治療とは直接関係のない、患者さん自身が持っている力や資源(リソース)、ライフスタイルなどが治療効果の実に40~86%を占めているというのです。
この事実を知った時、心理療法の技法によって症状が改善されていると思っていた私は、少なからぬ衝撃を受けました。しかし一方で、患者さんの症状が改善することの背景にある、もっと重要な要因に気づくことができました。つまり、どんな治療をするにせよ、治療技法そのものよりも、治療者と患者さんとの信頼関係や、患者さんの安心感や期待感、治療者の雰囲気や態度の方が、明らかに患者さんの症状の改善には大きな影響を与えているということです。
かかわり方次第で変わる「心の治癒力」
もちろんこれは、心理療法による治療効果での話であり、薬や手術という治療手段をもつ西洋医学に、そのまま当てはめるわけにはいきません。ただ、医療における身体の治療においても、かかわりやコミュニケーションによる患者さんの思いや心の状態の変化が、治療効果に大きな影響を与えていることは想像に難くありません。
実際、それを裏付ける研究論文はたくさんあります。たとえば「腹部の手術を受ける患者さんに、事前に麻酔科医から術後疼痛について、丁寧な説明と呼吸法を指導されたグループは、それがなかったグループに比べ、鎮痛剤の使用が半分ですみ、退院するまでの日数も2.7日早かった」というエグバートらの研究もそのひとつです。このように、医療者のかかわりが症状の改善に大きな影響を与えることは多くの研究で実証されています。
また、薬の投与の関しても、薬そのものの治療効果もありますが、処方された薬を飲むという行為によって患者さんに安心感や期待感が生じ、それが実際の症状の軽減につながることも知られています。これは、薬効が全くない「プラシーボ」を使用した多くの研究で、明らかになっています。たとえば、さまざまな病気や症状に対してプラシーボを処方した場合、15~58%(平均35%)に症状の改善が認められ、またプラシーボによるがんの縮小も2.7%に見られるという報告があります。
要するに、コミュニケーションであれ、薬の投与であれ、患者さんの安心感や期待感といった「心の治癒力」を引きだすようなかかわりが取れたならば、それが治療効果に直接反映されるということです。医療現場でのコミュニケーションは、直接的に治療にかかわる重要な要素なのです。
もちろん実際には医者の言動のみならず、ナースや理学療法士など医療に携わるすべての人の言動、病院環境、サポートシステム、患者さん自身の価値観やその周囲環境(家族、友人、職場の人)なども「心の治癒力」に影響を与えるため、治療効果を高めるためには患者さんを取り巻くさまざまな環境に配慮する必要があります。
本来は治療より予防が重要
さらに、患者さん自身の力やリソースが、病気や症状の改善には最も大きな影響を及ぼす要因であることを考えると、予防医学の重要性も明らかになってきます。実際、2007年に発表された有名な論文(New Engl J Med)では、健康に寄与する5つの要因のうち、生活習慣が40%と最も大きく、以下、遺伝子要因30%、社会環境15%、医療10%、環境暴露5%と続くと述べられています。このことからも、医療を受けることよりも、いかに適切な生活習慣を維持するかのほうが、健康の維持には重要であるかがわかります。
しかしながら、西洋医学はどうしても治療重視の医学であり、予防に関しては、多くの医者がその大切さを認識しているにもかかわらず、実際にはあまり関心を持っていません。それはそれで問題ですが、一方で患者さん側にも問題があります。
適切な食事や適度な運動、禁煙、ストレスへの対処といった予防医学において大切なことは、すべて患者さん自身が取り組むべきことです。そんなことは頭ではわかっていても、忙しさや面倒くささにかまけて、多くの人が不適切な食事や運動不足になっているのが現状です。その結果、肥満や糖尿病、高血圧症、高脂血症といった生活習慣病を患い、さらには心筋梗塞や脳卒中、がんといった病気になる可能性も高くなります。
しかし、そうなると分かっていても、適切な食事や運動ができないのは、それらに取り組み、継続しようとする意欲を患者さんがなかなか持てないことが最大の原因です。そうであれば当然、医療者がいくら運動や食事の大切さを言ったとしても、そう簡単には実行してはもらえません。
行動変容を促す対話力
このような、食事や運動を習慣化しようとする思いに欠ける患者さんに対しても、コミュニケーションの力が重要になってくると私は考えています。なぜならば、適切な食事や運動が習慣化できないのは、患者さんの意志が弱いからではなく、習慣化するためのコツや考え方、さらにはその習慣行動を持続するための工夫の仕方などについて、患者さんがその気になるような伝え方をしていない可能性があるからです。ただ単に、適切な食事や運動の重要性を説き、だから今までの不適切な習慣を改善しろと言われても、それで実行に移せる人はそう多くはありません。
何事も習慣化するためには、「小さな成功体験の積み重ね」「記録による見える化」「目的や目標を明確化と定期的に再確認」が大切になってきます。「毎日30分のウォーキングをするようにしてください」と言っても、運動習慣のない人にとっては、まず続ません。そうではなく、「それくらいならできる」と思ってもらえることを提案し、そこから始めるのが習慣化の第一歩です。
頭ではわかっていてもなかなか実行できないという患者さんには、相手をその気にさせるかかわりやコミュニケーションが必要不可欠なのです。
健康に大きく関与する要因は、医療そのものよりも患者さん自身の生活習慣の方がずっと影響力が大きく、だからこそ患者さん自身のやる気や意欲を引きだすコミュニケーションがとても重要になってくるのです。
コミュニケーション医学の浸透を目指して
私は昨年「コミュニケーション医学」という考え方を提案しました先述したように、人は誰でも「心の治癒力」を持っており、医療者のかかわり方やコミュニケーションで、それを引きだすことができます。「心の治癒力」がうまく引き出され、患者さんが安心感や期待感、希望が持てれば自然治癒力が活性化され、症状や病気が改善しやすくなります。
また、生活習慣病の患者さんであっても、やる気を引き出し、適切な生活習慣を身につけてもらうためのコミュニケーションをとるからこそ行動が変わるのであり、それがひいては生活習慣病の改善や予防にもつながるのです。つまり、コミュニケーションは病気や症状、生活習慣棒の改善に直接的、間接的にかかわる重要な治療手段なのです。
そのことを理解してもらうために、私はあえて「コミュニケーション医学」という言葉を使うようにしました。いつしか、医療の分野でもコミュニケーションの治療的側面が十分に認識され、「コミュニケーション医学」という言葉が一般にも知られるようになる日が来るのを楽しみにしながら、今後の活動を続けていきたいと思っています。
文・コミュニケーション医学研究会 世話人代表 黒丸尊治
『HOLISTIC MAGAZINE 2020』より
https://blog.goo.ne.jp/haiku_2007/e/725a5e44d863665dcac8165e3b787651 【コミュニケーションツールとしての俳句】より
ご無沙汰しています。数日娑婆から離れていました。
この間、2つの大人の句会をしました。
1つは、八名川句会。参加者は十数名ですが、地域のおじいちゃん、おばあちゃん、そして八名川小学校の保護者、元保護者が中心です。
新年の初句会ということで、本格的にお茶が振る舞われ、和気藹々の二時間です。
もう一つは、気功の先生方を中心とした気功を学ぶ人たちの俳句会。
ここでは、俳句を作るのは初めてという人がほとんどです。
果たして自分もできるかしら、ちっょとおっかなびっくりという方もいるし、作ってみたらいくらでもできそうという方もいらっしゃる。
八名川句会。もちろん、点盛りもしますが、それよりも面白いのは、それぞれの句を語る場面。お正月に温泉に行ったらああだった、こうだったとか・・・・
句会を通して、お互いの生活や考え方がわかり、昔の生活や各地方の風習を学んだりするのです。
つまり、俳句はコミュニケーションツールになっているのです。
これが、文学としての俳句、作品としての俳句ということになると、作品を語ることは基本的にはするものではありません。語らないということが本筋になります。作品で分かればよいし、ああだった、こうだったというのは余計なことになるわけです。
気功の方々の俳句は、「頭の気功としての俳句」という位置づけです。頭を働かせ、リラックスさせて楽しむ。ここでも、文学作品を作ろうと言うことは当面ありません。
ひるがえって、子どもの俳句を考えてみます。子どもの俳句はどっちだろう。
子どもの俳句は教育という側面があります。それは、句をシェープアップして高める過程で日本語力を育てることで、ある意味で文学をめざすということになります。
それ以上にこんなこともあるのではないかと思うのです。
これまで、俳句を何のために作ってきたかと言うと、コンクールに応募するために作るということが多かったのではないでしょうか。そこでは、コンクールに引っかからないような句は意味ないという価値観が支配します。振り返って考えてみると、私にもその傾向性は色濃くあります。
ところが、土田先生の実践をみると、その重点は、コミュニケーションです。その中から、子ども達の心情を高めていくというやり方です。これが、学級づくりに繋がります。
コミュニケーションツールとしての俳句、生活を楽しみ豊かにするための俳句という側面に子ども俳句の観点からもっと重点をおいていいのかもしれないと思ったのは、2つの句会が実に楽しいかったからです。
コンクール参加型でない俳句、生活を共有して楽しむ、そしてその中で力を付けることを基本として考えたとすると、例えば、句会の方法にしても、作った本人にもっと語らせることを重視したかたちになるだろうとも思いました。この問題は引き続き考えていきたいと思います。
皆様方の意見も伺いたいところです。
http://kangempai.jp/essay/2021/03senoo.html 【俳句とコミュニケーションについて】より
妹尾 健
みなさんもご承知の通り、わが国は現在たいへんな状況に置かれています。 ひとつはいうまでもなくコロナの感染症状の深刻化です。いま私達はそれに気をとられていますが、他のひとつは高齢社会の到来です。
いや到来などと悠長なことをいってはいられません。そのスピードといい、及ぼす影響は大きな社会環境の変化を生み、これまでにない生活状況の変化を引き起こしています。
コロナの発生と高齢社会の到来はこれまでの我が国が漠然として持っていた未来への安易な予想を覆す時代がやってきたことを感じさせます。こうした現実にともなって俳句もまた変貌の予感が身近に迫りつつあることを実感させます。
俳句はこれまで時代や社会の影響をうけながら、厳として形式を守ってきた、とおっしゃる方もおられます。 他方、俳句は時代とともに新たな進化を遂げていかねばならない、というご意見もあります。
大体に分けて考えてみると、この2つの方向に分けられますが、その前にすこしコミュニケーションの問題について考えてみましょう。
筆者は長く教壇にたっていたものですが、最近、ある中学生から先生は何年のお生まれですか?と質問されました。よくある質問です。
「1948年10月です。」と答えますと、なんとその生徒は「じゃあ先生は戦争中のお生まれですね。」と平然と言うのです。
絶句しました。おい、おい、と言いたくなりましたが、完全に世代間どころではない相違を感じてしまいました。
つまりこれは日本人としての共通の体験がどこかで切れてしまっているということになります。
そこでコミュニケーションという問題が出てきます。つまり他人との間の交流や齟齬を考えでみようというわけです。
実は先日私の通っている公民館講座の「健康元気アップ体操」の研修会でコミニュケーションの講座がありました。それが俳句とどんな関係があるのか、などといわないで、まあ聞いて下さい。 コミニュケーションの領域には2つの領域があるというのです。
①は言語コミニュケーションー主に意識的・直接的
②は非言語コミニュケーション―主に無意識・間接的 例 表情 しぐさ 態度などです。
このうち②の非言語の威力はどのくらいかという実験をアルバート・メラビアンという心理学者の実験結果をききました。 その方法は視覚(表情・しぐさ)・聴覚(話し方)・言語(話の内容)といったもので矛盾した情報をあたえられたときに、人はどれを優先して受け止め情報に対する態度や判断をするかといった結果を見てみました。
この方法から導き出される結果を「メラビアンの法則」というのですが、ほぼ一般的な結果として視覚55%・聴覚38%つまり、言語では7%にといった結果が出てきました。
視覚・聴覚が圧倒的に相手とのコミニュケーションの判断要素になっているというわけです。
これは対人関係における一例ですが、これをチームでのコミニュケーションまで考えますと、チーム(句会なども入ります)内に情報が入ってくると、情報はまず3段階で整理しなければなりません。
○事実
○解釈
○価値観・観念
です。
その情報が、今の段階でどこに属しているのかということです。そして今の段階でそれぞれ段階の階というべきものをそろえておかねばなりません。 これをそろえておかないとひとつの情報に対する、事実と解釈、解釈と価値観に観念の対立 事実関係の判別ができなくなるおそれが出てくるのです。
相手の意見がこちら側に伝わってこない、相手が言っている意味が受け止められないなどということになります。 これは結局事実をどう解釈し、その解釈によって、自分の持つ価値観・観念を相手にどうつたえていくのかということになります。
起っている事柄・情報について自分の価値観や解釈・観念を強引に主張したり大きな声で相手を捩じ伏せたりすることは相手を萎縮させてしまいます。情報や事実のことよりもさきに、その人に対する視覚・聴覚による判断が先行するのです。
「あの人はいつも上から目線でものをいう」「いつも大きな 声でものをいう」「不満ばかり先に出てくる」という判断を相手に与えてしまうのです。
俳句などの文学作品の評価などにおいても、こうした価値観・観念の論争になってしまうのです。文学作品にとってもっとも大切なものは価値観や観念の主張ではなくて、作品そのものを事実として把握することです。そしてあの3つの領域に従って議論がすすめられていくことです。
俳句にはまず形式があり、句会には作法があります。句会の要領、司会者の分担、披講者の役割主宰者の判断や批評は心得ておかねばなりません。
また時代によって言葉の使用例も変化します。俗語を正すことはもちろんですが、口語調の導入や文法の約束など知っておくのは必要なことです。さまざまな試行の上に立って俳句の文学的創造を進めていきましょう。
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