近代俳句の超克 「切れ」再考

https://kigosai.sub.jp/bs/?p=31741 【11月 五島高資さんのHAIKU+ 報告】より

11月14日、俳人で俳句スクエア代表の五島高資(ごとう・たかとし)さんをお迎えして、オンラインで「HAIKU+」が開催されました。当日は五島さんの深い考察のお話とその後の参加者との質疑応答で予定の時間も過ぎるほどでした。五島さんから当日のご講演の概要をいただきましたのでご覧ください。

近代俳句の超克 「切れ」再考

五島高資

緒 言

数年前に刊行された「文藝春秋」臨時増刊号の「美しい日本語・言葉の力を身につける」という特集では、一一六篇の書き下ろしが掲載されていたが、何とその大半に詩や短歌や俳句など(以下、詩歌と呼ぶ)の再評価が述べられていた。ちなみに、執筆のほとんどは、散文表現を専らとする小説家や評論家などであった。このことは裏を返せば、近代合理主義に根ざした近代文学の逼塞と、それを打開するための「言葉の力」が日本文学の原点である詩歌に秘められているということへの再認識を示すものと言えるだろう。

しかし、そもそも詩歌もまた近代文学に包摂されるものと考えるならば、いま日本文学に求められているのは、現在の詩歌そのものではなく、あくまでもその文学性におけるラジカルな「言葉の力」であるということを心得ていなければならない。前述した「文藝春秋」の特集において引き合いに出されていた詩歌の大半が江戸時代以前のものであることもその証左と言える。このことは、江戸時代以前の日本文学が記紀歌謡へと溯る日本語に特異的な「言葉の音楽性」というものを保持していたからなのだと思う。もちろん、江戸時代以前の文学もまたしばしば形式主義に陥るのだが、その都度、感情と理性が調和した「まこと(真言)」の精神へと立ち帰ることによって旧染が打破され新たな文学の思潮を形成していったことは言うまでもない。そうした言葉と心が一体化する原初的な精神性の復活に大きく寄与しているのが、まさに「言葉の音楽性」なのである。

近代文学が頽廃したのは、現代文化における情報媒体の主流が活字から映像や音響によるマルチメディアへと変遷したからなのではなく、近代文学自体が「言葉の音楽性」を見失ったからなのだと思う。それは小説などの散文に限らず、現在の詩歌においても同様のことが言えるだろう。例えば、俳句界においては、高浜虚子が恣意的に俳句の必要条件とした「花鳥諷詠」という思想と「有季定型」という規則によって、近代俳句は「言葉の音楽性」を見失い、現在もなお、形式主義に甘んじる俳句が増産され続けている。逆に、そうした「言葉の音楽性」を喪失した俳句を「近代俳句」と整理することによって、真の現代俳句というものの在り方が見えてくるのではないだろうか。

衰退する「言葉の力」

「言葉の音楽性」に根ざした詩歌における韻律は、固定観念に囚われた「言葉」と「心」を解放すると共に、それによって生々しい「物自体」や「事自体」を顕現化する作用を持つ。そうして現れる原初的世界における「言葉」と「物自体」や「事自体」との新しい関係性の再構築こそが詩的創造なのだと思う。もちろん、そうした詩的創造が優れたものであるためには、そのプライオリティーと、読者に大きな感動を与えることの両方を満さなければならないことは言うまでもない。換言するならば、古人が求めた所を求めると同時に、創作による新しい関係性が直感的な集合無意識に根ざしていなければならないと言えるだろう。そして、この通時的かつ共時的な要素の統合にも「言葉の音楽性」に裏打ちされた韻律が深く関わっていることも付け加えたい。

ちなみに、西洋における原初の言葉は、古代ギリシアにおいて音楽に規定された韻文である「ムシケー」という存在として想定され、その「ムシケー」から「散文」と「音楽」とが分離独立し、さらに「散文」から、言語的に規定された韻文としての「詩」が発生したことが、T・G・ゲオルギアーデスによってすでに解明されている。もっとも、ここで言う「言語的」とは、論理的あるいは理性的という意味合いで用いられており、つまり、西洋における「詩」と、その濫觴《らんしょう》から一貫して「言葉の音楽性」に深く根ざした日本の詩歌は根本的に異質なものと言わざるをえない。むしろ、日本の詩歌は「ムシケー」そのものと言って良いかもしれない。しかし、現在、「有季定型」を盲信する作風が主流を占める現在の俳句は、そうした「ムシケー」的要素や「言葉の音楽性」によって獲得されるべき「言葉の力」を失っている。もちろん、俳句に限らず「言葉の力」を失った今の日本文学は、真の「現代文学」と言うことはできない。むしろ、それは「現代」という仮面をつけた「近代文学」の死に体に過ぎないのである。

近代文学の終焉

正岡子規を含めて、それ以前にもことさら「有季定型」が俳句の必要条件とされることはなかった。つまり、今日において主流をなす近代俳句は、高濱虚子による「有季定型」という俳句様式の自己限定に収斂される。それではなぜ虚子がそれ以前にことさら言挙げされなかったことに執着してしかも恣意的に俳句の必要条件を唱導したのか。虚子は『俳句への道』のなかで次のように述べている。「俳句でない他の文藝に携はつて居るものが『花鳥諷詠』を攻撃するなれば聞こえるが、俳句を作つてゐる者が『花鳥諷詠』を攻撃するといふことはをかしい。俳句は季題が生命である」と。この虚子の主張に鑑みれば、「有季定型」の真意は、近代俳句が他の韻文文学あるいは散文文学を他者としてその独立性を保持するための自己限定にあったのではないかと思われる。そうであれば近代俳句の存在は近代文学全般における相対的地位に依拠していると言うことになる。

さて、アメリカの社会学者であるD・リースマンは、その著書『孤独な群衆』で、社会における「主体」という視座から「伝統指向型」「内部指向型」「他人指向型」という三つの人間類型を提唱したが、これを援用しつつ柄谷行人は「近代文学の終り」(『早稲田文学』)で次のように述べている。

日本的スノビズムとは、歴史的理念も知的・道徳的な内容もなしに、空虚な形式的ゲームに命をかけるような生活様式を意味します。それは、伝統指向でも内部指向でもなく、他人指向の極端な形態なのです。そこには、他者に承認されたいという欲望しかありません」と述べ、一九八〇年代から顕著になったのは、「主体」や「意味」を嘲笑し、形式的な言語的戯れに耽ることだと指摘した。そして『それは、グローバルな資本主義が、旧来の伝統指向と内部指向を根こそぎ一掃し、グローバルに「他人指向」をもたらしていることを意味するにすぎません。近代と近代文学は、このようにして終わったのです。

そこで、俳句に立ち帰ると、実は、近代の散文文学よりもずっと以前から近代俳句は「有季定型」という自己限定によって他の詩歌を他者として意識してきたことに気付くのである。なるほど虚子が恣意的に定義した「有季定型」はやがてグローバル・スタンダードとなり、「主体」や「意味」を嘲笑する形式的な言語的戯れに耽る些末写生句の増産をもたらすことになったのである。つまり、極端な言い方をすれば、虚子による「有季定型」は、柄谷が指摘した「他者に承認されたいという欲望」に裏打ちされたものだったのである。このことは、すでに昭和二十年代に発表された頴原退蔵による次の箴言からも推測される。

俳諧は本来決して季感文藝ではない。一體俳諧が花鳥諷詠であり、季感文藝であるなどと説くのは、俳諧がいかにして発生したか、芭蕉がいかに俳諧の本質を解釋して居たか、そうしたことに全く無知な為ではないかと思うのであります。  『芭蕉俳諧と近代藝術』

つまり、頴原は、俳句の文学性を俳諧性に見据えており、季題や季語に拘泥する近代俳句の在り方は、芭蕉が極めた「軽み」における融通無碍なる詩境とは相容れないことに苦言を呈しているのである。「軽み」とは旧染を打破し新しみを求めることであり、そのためにはまず固定観念からいったん離れなくてはならない。しかし、そもそも言葉自体が固定観念による意味づけで成立している訳だから、言葉で構成される俳句にあっては、「言葉で以て言葉を超える」ところにその詩的創造性が存すると言って良い。

「切れ」の詩的創造性

最後に、私が思うところの俳句における詩的創造性について述べたい。その概要を示したのが次項の図である。

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6888219?categoryIds=5817160  【俳句における「切れ」の詩的創造】

横軸は「観念の世界(言語的世界)」と「物自体の世界(非言語的世界)」を対極とし、縦軸は詩的昇華の度合いを示している。一口に風景(landscape)と言っても、単なる客観的対象としての実景(sight)と、見る側の主観が込められた情景(scene)という二つの要素があることを理解しておきたい。光景(spectacle)スペクタクルという語はラテン語のspectareに由来し、元来は突然出現するものとか、予期しないのに出現するもの、早くいえばお化けのようなものを意味する。

隠喩が「意味」の次元へと向かうのに対して、換喩《かんゆ》は「非意味」の次元へと向かうとされる。そして、隠喩はもうこれ以上、意味化することができなくなる場所、つまり、言語での把握が困難な「物自体」の世界に至ると、隠喩に代わって換喩の機制が優位になると考えられる。ちなみに換喩とは本来ある事物を表現する場合、それと関係の深いもので置きかえるものである。例えば、刀で武士を表すことはその一例であるが、これは既に概念化されたものである。むしろ、ここで言うところの換喩とは初めから想定された対象を表現しようとするのではなく、無意識的あるいは語音からの連想による言葉と言葉の連鎖的なシフトによって「非意味」の世界へと向かうものである。

さて、図に戻ろう。まず、「実景」に触発された詩想に応じて観念的世界に存する言葉が選択される。ここで単に観念的な言葉の意味合いだけで「実景」を捉えたに止まる句が些末写生句である。一方、「実景」に触発された詩想が固定観念から離れることによって見えてくるのが「光景」である。ここにおいて重要な役割を担うのが韻律であり、固定観念揺るがし言葉を解放するのである。

実はそこに見えてくるのが芭蕉の云う「物の見えたる光」なのであり、「切れ」の核心もまたそのあたりに存するのだと思う。しかし、あまりにも詩想が言葉の観念性を離れすぎれば妄想(図では破線の方向)となってしまう。そこで、再び詩想は「観念的世界」へと逆戻りしなければならない。そうすることによって詩想が他者の深い無意識的共感を獲得して見えてくるのが「情景」ということになる。しかし、共感がより浅いレベルに止まればもちろん充分な詩的普遍性は得られないことになる。そこで、さらに理性による詩想の観照が必要になる。つまり、自らの詩想がほんとうに新しいものであるかを反省的に検証しなければならないのである。そのために伝統的連想性や知識といった文化的記憶との照合が必要になることは言うまでもなく、そこにおいて類想的あるいは陳腐な表現が淘汰される。ここまで来て初めて詩想はその真価を問われる対象となる。そして、その真価が認められればそれは新たな文化的記憶や伝統的連想のなかに組み込まれて定着することになる。こうした一連の螺旋的展開を呈する詩的ダイナミズムが俳句における詩的創造の本質なのだと私は考えている。そして、改めて述べるが、その初段階において最も重要な役割を担うのが韻律なのであり、もちろん、それは日本語の音感や言語構造に深く関わるものである。

J・ラカンは、「無意識は言語のように構造化されている」と喝破したが、まさに、胎児期あるいは幼児期から聞かされる日本語による音声刺激によって、私たちの脳はその構造的成長が始まるのである。つまり、母国語はその音感を介して、理性や感情や記憶を司る脳を形成する文化的遺伝子の役割を担っているのである。意味以前の言語は胎児や幼児にとってはまさに音楽なのである。「有季定型」といった形式主義はもちろん、意味やそれに裏打ちされた散文をも超えて、言語が音楽にいったん立ち帰る瞬間にこそ俳句の詩的創造は求められるべきなのだと思う。

さて、俳句の詩的創造性は、自明の理として既に「ある」主体による叙述性を超えたところにある。つまり、まず「実景」に際して、「言葉」と「物」を結ぶ一次的指示作用による固定観念を韻律によっていったん離れることによって「ものの見えたる光」すなわち「光景」へと昇華する。そこにおいて感得した詩的真実は、「切れ」の技法によって「言葉」と「言葉」の再構築がなされる。そして、その新しい「言葉」同士の関係性つまり一種のメタファによって俳句は詩的創造を獲得することになる。しかし、あまりにも詩想が言葉の一次的指示作用を離れすぎれば妄想となってしまう。従って、この「心」(ひとりごごろ)なる詩想が他者に共感をもたらすためには、「情景」あるいは「場景」へと回帰して「情」(ふたりごころ)として無意識的共感に根ざす必要がある。また、併せてその独創性を検証すべく、伝統的連想性や文化的記憶との照合によって類想的あるいは陳腐な表現が淘汰されなくてはならない。名句とは、それがやがて新たな文化的記憶や伝統的連想として不易となったものと言える。こうした詩的位相が螺旋を描く詩的ダイナミズムにこそ俳句における言語芸術の核心が存すると考える。

ところで、日常生活の情報伝達において専ら用いられる日本語こそ、常に現在を生きる私たちの「実存」と深く関わっている。そして、その音声による情報伝達は個人を超えた無意識的連想として脳の記憶システムに蓄積され、共時的に社会的な共有感覚にも大きな影響を与える。また、通時的にも、例えば「歌枕」「俳枕」などのトポスや「季題」などにおける風土的共有感覚の醸成も相俟って、音声による情報伝達は、真に伝統的な日本の文化的遺伝子の進化にも大きな役割を担っている。もっとも、残念ながらこうした伝統性は次第に固定観念化されていくものであり、往々にして、それに依拠して言語遊戯化した俳句が作られることになる。芭蕉以後、蕪村以後における俳諧精神の停滞がそれである。そして、子規以後の近代俳句における停滞もまた例外ではない。もっとも、これを予見していた芭蕉は「軽み」という、日常卑近に詩性を洞見し、不断なる旧染の打破が重要であることを説いたが、その真意が忘れられて現在に至っている。まさに「軽み」による詩的昇華を保証するものこそが、集合無意識的な共有感覚であり、それがなければ、ただの独善的な妄想か軽口に終わってしまう。金子兜太が晩年に大事にした「生きもの感覚」というアニミズム的要素も究極的には集合無意識的な共有感覚である。そうした原初的な感覚にいったん立ち返ることが大事である。そのために俳句の言葉は脱観念化される必要があり、その契機となるのが、前述した音韻という「音楽性」なのである。それに裏打ちされた詩的創造性によって、近代俳句を超克すべき真の現代俳句における芸術的展開が期待されるものと考える。脳がまだ可塑性を保っている思春期までに聞かされる日本語によって私たちの脳はその構造的成長を完了する。「俳諧は三尺の童にさせよ」「句調はずんば舌頭に千轉せよ」と芭蕉が喝破した所以でもある。

「切れ」と「音楽性」による詩的昇華

これまで俳句における詩的創造について縷々述べてきたが、そもそも無限定なる森羅万象や日常生活を五七五という律動法(リトミーク)で詠むこと自体に「音楽性」の淵源があり、また、音韻による句調と内容との調和において、固定観念や既成概念あるいは日常的言語における「意味性」を揺るがすものとしての「音楽性」も措定される。今回は、「意味性」にのみ裨益して記号化する言葉とそれによって言語疎外が進む近代文学において、疲弊した言葉をいったん、ムシケーの次元、つまり、言葉の始原へと回帰させ、原初的な体感的共有感覚のうちに造化の神髄に根ざす詩境への志向性もまた別の意味において「音楽性」に包摂されるものとして論攷した。

最後に、そうした「音楽性」による詩的昇華を最も体現していると思われる句を取り上げたいと思う。

さまざまの事おもひ出す桜かな     芭蕉

貞享五年三月の作。『笈日記』には「同じ年の春にや侍らむ、故主君蟬吟公の庭前にて」と前文があり、伊賀上野へ帰郷した際に藤堂良忠《よしただ》(蟬吟《せんぎん》)の嫡男・良長(探丸)に招かれて、その別邸(下屋敷)で詠まれた句である。ちなみに、頴原退藏は次のように述べている。「芭蕉は脱藩の罪を犯した身だから、正式に藤堂家に出入りすることは許されなかった。『笈の小文』の本文に、芭蕉がこの句について何も語っていないのも、やはり憚った為であると思われる」(『芭蕉俳句新講』)と。しかし、芭蕉は、良忠の死後、その弟に仕えることを潔しとせず、脱藩したのだから、すでに二十余年を経て、五千石の侍大将となっていた良長にとって芭蕉を疎むことはなく、むしろ、自らも俳人となって探丸と号していた良長は芭蕉を厚く遇したのである。おそらく、その別邸は芭蕉もかつて蟬吟と訪れていたと思われ、その庭に立つ桜も一緒に眺めたことであろう。ちょうど良長は二三歳となっており、その姿は芭蕉に亡き主君の俤を彷彿させて感慨も一入だったに違いない。

掲句は、今は亡き主君・蟬吟と共に眺めたであろう桜の花を再び見つめながら、幾星霜における様々な出来事に思いを巡らす芭蕉の姿が目に浮かぶ。ところで、上五には母音aが多く、中七には母音oが多く、そして、下五には再び母音aが多いことが分かる。一般に母音aは軽く明い、母音oは重く暗い印象をもたらすとされる。つまり、まず首を上げて桜の木や空を仰いでかつての楽しかった昔に思いを馳せ、次には、おもむろに首を垂れて、泉下の蟬吟のことやこれまでの艱難を偲び、そして、再び、首を上げて今を盛りの桜を見ることができたことを喜ぶ芭蕉の姿や所作が、音韻のイメージと相俟って立ち現れてくる。

もっとも、掲句が人口に膾炙する要因としては、現在の小学生でも容易に諒解できる平易な表現であることがまず挙げられる。そして、そこには、芭蕉が晩年に志向した「軽み」の精神に連なるものが覗われる。人生の中で数十回ほどしか見ることができない桜の花と人との間には儚いがゆえに深い縁が生じやすいこともあるが、春の喜びを象徴するかのような美しい花の風姿と共に、日本人独特の美意識と共鳴する落花の潔さも相俟って、まさに様々な機微が生じやすい。そうした桜と日本人の特殊な関係性に裏打ちされた最も簡明で最も深長な詩想を体現したものとして掲句の真価が認められるのではないだろうか。

さらに付け加えるなら、掲句は一読すると、下五に「切字」があることによって、一句一章(一句のなかに「切れ」あるいは意味上の断絶がない形式)のようだが、上五・中七と下五の間に意味上の「切れ」が認められる。大抵は、桜を見た芭蕉がさまざまの事を「おもひ出す」と解釈するが、四段活用の「出す」は終止形も連体形も同じなので桜が主語とも取れるからである。そこに主客一如による詩境が立ち現れる。もちろん、最後の「かな」は切字であり桜を強調し、そのあとに続くべき何ものかを断ち切ることによって余韻を残す働きをしている。それと同時に「かな」によって下五が五音になることによって、五七五というリトミークが形成されることは言うまでもない。つまり、掲句は音韻と律動の交響としての「音楽性」によってその詩的昇華が扶翼されている。こうした様々な「切れ」の働きにも「音楽性」が深く関わっていることを再確認することが、近代俳句の超克において極めて重要なのだと思う。

さまざまの月みてきしがけふの月     長谷川櫂

まず「けふの月」すなわち中秋の名月を眺めている作者が彷彿される。ちなみに音韻的には、母音が o o u iとなり、地上から昇り出したばかりの月に相応しい。ここで「が」によって「切れ」が生じたとき、もちろん作者は単なる月を見ているだけではない。それは自分がかつて色々なところで見てきた月でもある。さらには、時空を超えて阿倍仲麻呂、藤原道長、西行、吉田兼好、芭蕉などがそれぞれに眺めた同じ月を彷彿させる。「さまざま」という音韻の高みは、そうした心の丈における高みである。

もちろん、それらの月はいま作者が肉眼で見ている月とは違うものであるけれども、古人の求めたところの月がまさに色々と見えてくる。それは「心の色」つまり「さび」を通して月の本性を色々に映し出す。その際、それら古人や過去の自分が見た月が眼前の月と一如となることによって、「もの自体」として本質的な月となる。すなわち「月」が固定観念から解放されることによって、そこに「物の見えたる光」が現れるのである。同時に、作者自身の意識も次第に拡大して最終的には宇宙と一体化し、やがて密教の月輪観を成就したあとのような清らかな心を作者は獲得する。そこにおいて「物の見えたる光」によって観照される、ほんとうの主体が立ち現れることになる。

そうした「切れ」による詩的昇華によって掲句は、これまでにない「新しみ」という俳諧の花として私たちの心に迫ってくるのである。しかも、そこには中今に仰ぐ月に一期一会の覚悟のもとに「生命」の有り難さも感じられる。「切れ」とは、こうした詩的昇華を介して、古い自分から新しい自分へと生まれ変わる生生流転の実相のなかに、はじめて真の主体を確認する詩法とも言えるのではないだろうか。

https://kamefuku.xyz/2020/10/06/%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%AE%E9%9B%86%E5%90%88%E7%9A%84%E7%84%A1%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%82%92%E3%80%81%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AB%E3%81%AB%E6%B7%B1%E3%81%8F%E8%80%83%E5%AF%9F%EF%BC%81/ 【ユングの集合的無意識を、シンプルに深く考察!】より

はじめにはい、こんにちは。かめれもん★です(^^ゞ

今回は、ユングの集合的無意識について、わかりやすく解説していければ、と思います。

正直、これを分かっていない方は、大多数だと思います。

わたしも正直、完全には分かっていません。

けれども、個人的な考察で、感覚的に分かるものがあればなあ、と思って書いていきます。

この記事の内容は、以下のようになっております。

ユングの集合的無意識って、どんなもの?とか。

そもそもユングって、どんな人?とか。

わたしが考える集合的無意識の具体的かどうかは分かりませんが、事例を挙げておきたいと思います。

事例があるだけ、なんとなく内容が飲み込みやすいかと思われます。

それでは、始めていきましょう!

ユングが提唱した集合的無意識とは、どんなもの?

これはですね。

簡単に言えば、世界と繋がっている感覚とでも言いましょうか。

世界と繋がっている、なんだそれ?

と思うかもしれません。

しかし、これは実際、普通にあることだと思います。

わたしは世界と繋がっているとき、ものすごく安心感があって、時代の流れに身を任せている感覚があります。

あと、詩を書いていくときに、詩人と呼ばれる人は、集合的無意識に到達している人が大半かと思います。

そして、その意識で書かれた詩は、ほんとのことだな、と思うし、読んでいて安心感や、面白いといった感覚が生まれるようです。

芸術とかも、そうかもしれませんね。

それでは、そんな概念を提唱したユングとは、いったいどんな人なのでしょうか?

ユングとは、どんな人?

ユングは、フロイト・アドラーと並ぶ、心理学の3大巨頭の内の1人です。

無意識、深層心理に興味があったみたいですね。

日本で、ユング心理学が親しまれているのは、日本でかつて有名だった河合隼雄氏の影響が強かったからだと思われます。

超心理学にも、メスを入れており、現代のスピリチュアルにも通じるところが多少あると思われます。

いずれにしても、ユング心理学はユングとともに、日本に親しまれる要素があったようです。

続いて、集合的無意識の3つの事例について、述べていきたいと思います。

集合的無意識の3つの事例

閃きは、自分の力で降りてきたのか

人は閃きが生まれたとき、自分が生み出したんだと思う方が、大半かもしれません。

しかし、自分がコントロールして、閃きが生まれたという人は、一部の霊能者くらいではないでしょうか。

閃きが生まれるとき、それは自分に必要だったからではなく、世界が必要としていたから、と思うのはどうでしょうか。

そうすれば、閃きが生まれたことに傲慢にならずに、逆に世界にその閃きを使って何ができるだろうと考えることができると思います。

国境を越えても、人と理解し合える

国境を越えて、人と理解し合えるのは、なぜか。

言葉も文化も違うのに。

それは、同じ人間だから、です。

もっと、深く言うと、同じ存在している何か、だからです。

だから、人類は、分かり合えないと思っても、結局同じ人間だから、普遍的に通じる何かはある、ということです。

物にも命があり、与えたものが返ってくる

さて、これは、アニミズムの話にもなってくるのですが、人類が皆、繋がっている何かがある、とすれば、これは人類だけの話なのか、という疑問が生まれませんか。

実は、おそらく、その通りです。

試しに、物を思う存分、傷付けてみましょう。

もちろん、想像の中で構いません。

すると、あまりいい気分にはなりませんよね。

実際、わたしも物を傷付けたとき、自分に災難が降り掛かってくるのです。

これは、自分だけの話ではなくて、どうやら家族も同じようなので、皆さんもぜひ気を付けてみてください。

つまり、物とも繋がっているから、自分に跳ね返ってきた、とも言えませんか。

ちょっと無理がありますかね(笑)

それでは、まとめに入ります。

おわりに

ユングの集合的無意識は、普遍的無意識と呼ばれます。

スピリチュアルでは、天と繋がっているという言い方もできるかもしれません。

創作するとき、人は必ず集合的無意識に力を借りていると思います。

そうでないと、いい作品は生まれないと思います。

日本人は、もともとスピリチュアルな能力に秀でた民族だと思います。

例えば、神道やアニミズムなどは、今でも信じられているのではないでしょうか。

そういったものと、親和性が高いのですね。

閃きも、自分一人の力ではないはずです。

そして、人類は同じ人間だから、いつか理解し合える要素は既にある。

アニミズムのように、物を傷付けたら自分に返ってくる。

これは、人にも言えることです。

なぜなら、すべては、既に繋がっているからです。

それに気づいていない方は、それに気づく旅路を、これから歩んでいくでしょう。

いつか気づいたとき、それはすべての存在が、幸福に満ちているときと、言えるでしょう。

なんか、神秘的な話になってしまいましたが、この辺で、終わります。

かめれもん★でした(^^ゞ

また、お会いしましょう!(^_^)/~


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