https://ameblo.jp/agejyosachi/entry-12434786359.html 【俳句はその効果も認められている心理療法で長文が苦手な子どもに優しい文芸です】より
ことばと癒しのチカラで支える人を支える心にいいこと専門家・セラピストコーディネーター・講師のサチです。
今日は午後から「とよかわ俳句サロン」でした。
毎回、学びの目的をレジメに入れるのですが、今回は「余情のある句の作り方のコツ」でした。
「あぁ余情♩」って最高じゃないですか?笑
ジャンバルジャンをイメージするか?アンルイスさんをイメージするか?は年代によって様々ですが「コトバでアソブ」はオトナの嗜みです♡
そんな俳句ですが、あまり知られていないようなので改めてお伝えすると…俳句はその効果も認められている「心理療法」の1つです。
もともとは1960年代に、アメリカで詩歌療法の効果が認められ、日本へと入って来た際に、日本の文芸である「俳句」や「連歌」などにその効果が見られ、心療内科やクリニックなどでも使われています。
作文や読書感想文など、長文が苦手なお子さんには、たった十七文字で完結する俳句は、「やりきった感」が出来て文章作りの自信や、興味を持つキッカケになります。
カウンセリングにも使えるし、俳句による心理療法が広がるように、私も頑張ろっ^ ^
次回のお題はズバリ「男女の恋」^ ^
どんな一句に出会えるか?楽しみです。
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癒しとは、自分の心の声や言葉に気付いてあげること
アナタの言葉が目覚めるサロン「ことばの温度」主宰 さち♡
サロンでは(植物・色彩・詩歌・数秘)による、セラピーや心理ワーク・カウンセリング・お教室、セラピスト起業サポート講座を開催。
また、NPO法人日本セラピーブリッジ理事長として、癒しと医療を繋げ、日本の心の健康を支える活動もしています。
http://imagawa-clinic.com/blog/other/740.html 【当クリニックでの認知症予防の取り組み 「俳句療法」と「暗記歩き」】より
前回は、ゴルフが認知症予防で注目されているお話をしました。 ただ、やはり自宅でできる認知症予防も非常に求められています。 それは、日本認知症予防学会 理事長 浦上教授は、短歌や俳句といった創作的な活動や普段使わない神経を刺激するために利き腕と違う手を使うこと、を提唱しています。
俳句といえば、近年TBS系列の番組「プレバト」テレビ番組から火が付いた「俳句ブーム」がありますので、俳句を以前より身近に感じることが多いのではないでしょうか。当クリニックでも、平成31年2月より当クリニックオリジナルの「認知症予防のための俳句療法」に取り組んでおります。以前にご説明した認知症予防の3つの柱である①知的活動である上に、➂家族でのコミュニケーションもとりやすいようにあらかじめしております。また、もちろん俳句を一度も作ったことがない方がほとんどでしょうから、季語などもきちんと取り入れられるよう一から指導させていただき、例えばコンクールなどに出品できるようなきちんとした俳句がどなたでも簡単に作れるよう 工夫しております。実際、最初は俳句といわれて戸惑う方もいらっしゃいますが、大勢の患者様から好評をいただき、また、名句も多数生まれております。
また、ご自分一人で取り組める認知症予防として、②運動療法をとりいれたものとしては、「コグニサイズ」として以前にご説明した、「デュアルタスク」(二つのことを同時にすることで脳を刺激する)であることが重要です。こちらに関しては平成31年6月以降に開始予定ですが、身近なものの名前を暗記しながら、散歩して頂く「暗記歩き」をご紹介していく予定にしております。この暗記歩きは、逆に大学受験で「歩きながら暗記」として近年ものすごい注目をあびて、大手予備校でも取り入れられています。暗記の内容としては、野菜や果物、お花名の名前など日常的な単語から、国名や歴史上の人物など色々ご用意しております。
また、銀行や病院に行ったときなどに普段字を書いていないから住所や名前を書くのが不安になるという御意見を多数いただきましたので、 書き取り練習も当クリニックのオリジナルの季節の教材を使い、指導しております。以前にブログでもご紹介した「キョウヨウとキョウイク」のキョウヨウに関しましては、御本人様の個性や興味、認知症・MCIの進行度、御家族様のご要望、など様々な観点を踏まえたうえで、治療につながるように、「MCIカラーリング」「俳句療法」「季節の書取り練習」「暗記歩き」複数のオリジナル療法が充実させてまいりました。キョウヨウ(今日用)に是非お役立ていただければと思います。 ご興味ある方は是非当クリニックまで気軽にご相談ください。 今回も御一読頂き誠にありがとうございます。
https://tutahu.com/%e8%b3%87%e6%96%99%e5%ae%a4%e3%80%80document/%e4%bf%b3%e5%8f%a5%e3%83%bb%e9%80%a3%e5%8f%a5%e7%99%82%e6%b3%95/
【俳句・連句療法】より
一つの日本語観 中井久夫
明治初期 大槻文彦を発憤させた「日本語に文法無し」という知識人の見識
これより日本語に文法を作ろうとした。
森有礼 英語を以て国語とすべしと提唱(文部大臣)
志賀直哉 第二次世界大戦後という次期に、国語をフランス語にと提案
しかし時枝誠記は、日本に伝来した西欧の言語観に基づいていることに不満を感じ、
日本語独自の見方を求めていった
時枝は、英語を天秤に例えた。主語と述語とが支点の双方にあって釣り合っている。それに対して日本語は「風呂敷」である。中心にあるのは「述語」である。それを包んで「補語」がある。「主語」も「補語」の一種類である!「行く」という行為、「美しい」とうい形容が同心円の中心にある。対人関係や前後の事情によって「誰が?」「どこへ?」「何が?」「どのように?」が明確にされていない時のみ、これを明言する。
とにかく述語が中心にしっかりあればよいというのが日本語の構造であろう。(このことと、述語を重視する西田哲学との相互影響関係はどうであろうか)。「何を言うか言わないかは、主に対人関係、ひろくは状況の関数である」
自然な、よい日本語とそうでない日本語の区別は、未知を既知に織り込んでゆく順序の自然さ如何である。
連句と対話精神療法 神田橋條治
わたくしは、頭のなかであれこれ思いを巡らすのが癖のようになっている。執筆予定の原稿があるときなどは、目覚めているあいだの連想の途切れるときがない状態のとなる。この習癖は、わたくしが考えを纏めあげ論述するさいの拠り所である。連想を流しているさい、わたくしの意識は常に当面の主要テーマに執着している。そうした意識状態で思いを巡らしていると、ふと連想が跳んだような思いつきが湧くことがある。このとき、意識はあくまで主要テーマに執着しているので、跳び出してきた連想をなんとか無理にでも主要テーマに関連付けようとする。それがうまくゆくと主要テーマが少し膨らんだような感じになる。しかし、意識状態の移し替えに困難を覚える。
ところが、連句を始めて気がついたのは、句作にあたっての連想のありようと、これまでのわたくしの習癖とがまったく異質である。
連句の作業においては、目前のテーマに執着するのではなくその周辺の雰囲気のなかに意識を放っておく姿勢が必要のようであった。
連句の世界、すなわち専ら命の伸びやかさとその関わりの伸びやかさを鼓舞する祭りの世界、しばしば、殻を破る殻が破れるとう現象が生起する世界。
まず連句における座の雰囲気がある。みんなと一緒にいながらも、”みんなと一緒”という”関係”を意識せずに自分自身の思いにふけられ、それでいて、やはり傍らには誰かがいる。そして、その人も同じ心境のようである。そんななにかを共有している、漠然とした”いっしょ”という感じのなかに浸りこんでいる。
ここで思考実験として、「式目」という規定を取り去って、各人が自由気ままに連句を行った場合を想像してみよう。その結果としてできあがる一巻は、とらわれの表れ、すなわち特定のテーマの頻出と特定のテーマの回避とで、とても気色の悪いものに仕上がるであろう。
式目は一見不自由な人工的型に身を置かせることを通して自由な世界へと導くという導きの方式である。この性質・方法論は、わが国の多くの芸道の「型」に共通のものである。「型より入りて、型を脱する」と言われるように、それらの型はすべて自由へと導く方便としての不自由さであり、すでに型を越えている先達からの後進への手引きなのである。ちなみに、自ら型を越えていない凡俗が捉えた型は不自由への罠となる。
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