FacebookTakahisa Taniguchiさん投稿記事
今日は富士山のふもとの中学生が、自分の学校に呼んでくれたのでお話をしてきました。
ヨーロッパの教育機関で教わった、この事について学校でも話しています。
「日本では、義務は教えるけど、権利は教えない」
そうすると、「義務脳」といって、
頭の半分が「やらなきゃいけにない事」で、
残りの半分も「やってはいけない事」でいっぱいいっぱいになり、生きていてしんどいそう。
僕をこの事を意識し始めてから、色々な事がシンプルになり、生きやすくなりました。
例えば、問題に取り組む時、「しなくちゃいけない」と義務で取り組む人がいます。
僕は、これはしないようにしています。
必ず、しんどくなるから。
マジメな話をすると、大人としての「責任」はあると、僕も思います。
だけど極論、「しなくてもいい」ということもできます。
自分にムリヤリなにかをさせれるのは究極、自分自身にはいないのですから。
誰になんと言われようとも、周りがどうであろうとも、「やらない」という選択はありますから。
そんなことよりも、自分は「やりたい」のか、「やりたくない」のか‐。
これが本当に大切かと。
僕は、「しなくちゃいけない」からやっているわけではありません。
自分が「やりたい」からやっているのです。
他の誰でもなく、あくまで自分の選択であるという事を、自分で潔く認める事が大切です。
選択でいえば、僕は自分の仕事や、付き合っている人の事を悪く言わないと決めています。
仕事もパートナーも、「選んだ」のはまぎれもなく自分自身。
それを悪く言う事は、自分自身の選択を否定してる事になります。
それはあまりカッコいい事だとは思いません。
自分が選んだと認めていると、他にもいい事があります。
生きていれば、いい時もあればよくない時もあります。
よくない方の時、自分の選択だと認めていない人は、人のせいにしがちです。
それは自分と周りをしんどくします。
だけど、自分の選択だと認めている人は、スッキリして立ち直るのが早いです。
「自分が選んだ道だから」
「自分がやりたくてやってる事だから」
問題に取り組む「義務」があるのではなく、問題に取り組む「権利」がある。
もし「権利」が無ければ、問題を知っても取り組んではいけないわけです。
これほどツラい事もないと思います。
だけど「権利」があるから、取り組む事ができる。
問題の解決を、「ねばならない」ではなく、「していい」で取り組む‐。
そう考えてみると、それはとても素敵な事だと思います。
未来を自分が望む方向に近づけていい、という事ですから。
問題に取り組む「義務」があるのではなく、問題に取り組む「権利」がある。
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