句集や歌集で構成する「自分史」

https://www.rosettas.jp/column/02/20190807-304/【句集や歌集で構成する「自分史」】より

様々な形の自分史のありかたを紹介する一環として、「句集や歌集形式で作る自分史」についても触れてみます。

俳句や和歌、川柳、短歌などに親しみ、日ごろから作品を発表されている方はけっこういます。そしてこれらの作品を句集や歌集、詩集などの形でまとめているケースも多々あります。

その編集にひも付ける形でつくるのが、「句集や歌集形式で作る自分史」です。自らが書いた俳句や和歌にまつわるエピソードを、自分なりの視点で書き加えていくというのがこの形式の王道です。これらの作業をすることで、なぜその作品が生まれたかの深堀が可能です。それが結果として、「自分史」になるというわけです。

俳句や川柳、短歌や和歌といった韻文は、作者の人間性や内に秘める思いを映し出す心の鏡です。だからこそ、その作品に「自分史」的なアプローチをするのは、とても意味のあることだと思います。

ぜひ、一つの句や詩を書き上げるまでのプロセスや思いも一緒に、自分史的な作品集という形で残してみてはいかがでしょうか。

参考までに、俳句や和歌、川柳、短歌などのそれぞれの特徴を記します。

[俳句]5・7・5

季語を含むことを約束とした、日本独自の短詩形文芸。世界最短の定型詩でもある。

[川柳]5・7・5 

季語などの制約はなく、口語を用いて人生の機微や世相・風俗をこっけいに、あるいは風刺的に描写するのが特徴。江戸時代中期の歌人・柄井 川柳(からい せんりゅう 1718-1790)が流行らせたことから、この名がついた。

[和歌]5・7・5・7・7

テーマは季節や恋愛など様々。いかに華やかで美しい言葉をうまく使うかのセンスが問われる。「百人一首」など。

[短歌]5・7・5・7・7

和歌の一種。もともと和歌には長唄・旋頭歌などの意味も含まれていたが、それらが一般的でなくなった結果、‟和歌=短歌”という図式ができた。現在は和歌と同じものと考えられている。

自分史その1

命という字は人が一を叩くと書きます。

人間は 一人一人ユニークで独自の存在のように見えながら、関係存在として 相互作用、相互依存する存在です。

命の営みそのものは 代謝機能を有し 全てが循環することを示唆します。

細胞から構成される人体は 元素から成り、 全てがエネルギー(波動)であることを示し まるで宇宙の全てと相似形を成すかのようです。

きらきら光るプラウナやオーラも タオの概念も それを裏付けるかのようです。

循環しあうということは この私は吾であり・宇宙全体であり、 実であり・虚であり、有であり・無であり、二元であり・一元であるという意味です。

タオの概念に沿うと この私は陽と陰 光と水、遠心力と求心力 義と愛、男性性と女性性、西洋と東洋、左脳と右脳、分析と和合etc.の調和、バランス として存在します。 

二元的一元であるという意味です。

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私は15年あまり霊現象に翻弄されてきました。

発端は心理健康オフィス開設に当たっての自己浄化にあります。

思春期の私は生きることも死ぬこともできないニヒリストでした。

太宰治の世界に没入し 授業や試験をボイコットし退学届を出したりもしました。

自殺未遂もしました。

嵐のように襲う虚無感を 胎児のように身体を丸めて 呼吸を止め やり過ごし  耳に蛸ができるほど「生きる意味、生きる意味」を問い続けました。

生まれたことを呪い、息をするのもおぞましく、きりきり舞いを舞いながら時を送り続けました。

このような様を、レギオン(新約聖書 自らを墓場に繋ぎとめ 石で打ちつけ 吠え続ける悪霊)に譬えられました。

小さな自分が「求めても答えられない問い」を問い続ける愚かを思い知り、堂々巡りを止めようと決めました。

「意味を問う愚か」から 命の主 絶対者から「生き方を問われるもの」となろうと決め、神の啓示者「イエスと雲のような証人」に賭け、クリスチャンになりました。

結婚後 クリスチャンワーカーになるべく (子育てをしながら)大学生となり、院でも聴講し 要約 学ぶことを始めました。

院では自分の成育歴を振り返る課題もあり 戸籍を取り寄せてファミリーツリーを完成したり 聞き取りをしたり 今までタブーだった自分の過去を取り戻す作業をしました。29歳の時です。

それまで私は実母の名も、いつ、何が原因で亡くなったかも知らないままでした。

私は終戦直後の昭和20年に受胎、21年の9月に誕生しました。

食糧難の極致の時です。

堕胎の危機の記憶も2度あります。

そして母は 私が1歳になる前に 栄養失調と日射病で亡くなったとのことです。

私の予防接種の為、私を負ぶったまま、列に並んでいた時のことだそうです。

私の母に対する唯一の記憶は 死体の上に乗っかっていた情景です。

母の死後 父の姉が 「腹違いの兄、実兄、私,そして父」の生活のお世話をしてくれました。

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父の先妻は 堺の海鮮問屋、建具商の一人娘でしたが 男女二人の子を残し 世を去りました。

父が跡取り婿として財産を引き継ぐのを阻止する為 親戚が父と、息子(腹違いの兄)を追い出してしまいました。

世間体を鑑みて娘は 自分たちの養女に迎えました。

父は家族も職も住居も失い、ノイローゼ状態になり、父の妹の助けを得て 日立製作所の職に就き、私の母と再婚し、再出発をしたのでした。

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父にとって妻の死は大変なトラウマだったことでしょう。

私の母の死に、どれほどの精神的ダメージを受けたことか図り知れません。

家族のお世話ができる援助者を必要としたこともよくわかります。

とりあえず、父の一番上の姉がその役をすることになりました。

こんな家族構成の中で私を一番かわいがってくれたのが実兄だったようです。

この兄は、ある日よちよち歩きの私が崖っぷちを歩いているのを見て、三輪車で駆け付け、そのまま崖から墜落し入院。院内感染で肺炎になり亡くなってしまいました。

私のお昼寝中、嘆く父に対して 育児を委ねられていた長姉は「この子(私)が母と、兄を殺した」と語りました。

長姉の無責任な一言が 私の人生の前半を縛り続けたのです。

小学生時代は無気力な生きるしかばね。

中・高校生時代はささやかなレジスタンスを繰り返すレギオン。

青年期は血の涙を流し続けるニヒリスト。

「問うものから問われるものへの」視点変更が図らずも命をつなぎとめることとなりました。

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クリスチャンワーカーとしての学びの中で、自分がどれほど大きなトラウマを抱えているかを思い知りました。

それ故、愛する者に自分の歪みを手渡したくないと願い 本格的な心理療法の学びも始めました。

あるワークショップで原風景を描くテーマがありました。

私が描いたのはただ一人で座っている幼子の自分。

描いて、口から出てきた言葉は「泣けば殺される」でした。

この原風景が気がかりで もう少し深めたいと思い、箱庭療法で表現してみました。

その時は「ナイル川を流されるモーセ」のようなイメージを持っていました。

置いた箱庭を見ると川下に置かれた幼子は「羽根のとれた天使」でした。

川に流されるのではなく遡っています。

その行く手には大きな鬼を置いていました。

私には「母と兄を殺したデビルチャイルド」という信じ込みがありました。

置いたパーツはみんな白!!!

置いてみての感想は「デビルチャイルド」という人生脚本をもって生きることを、自分が選択したという実感でした。

この箱庭体験が 自分の関わる心理療法の一つの柱に「箱庭療法を取り入れたい」という願いに繋がりました。

自分史その2

私の人生での出会いの特徴はキリスト教と心理療法です。

NLP,スリーインワン、ブリーフセラピィ、催眠療法、キネシオロジー、認知療法、ユング(箱庭中心)、アドラー其の他いろいろ学び、それなりの資格も習得しました。

心理療法こそ 過去を清算し未来に空を生む方便です。

人生で出会ったものを他者のために生かすことは 「生かされてきたことへの感謝とお返し」であり、自分の人生の統合でもあると考えました。

次の働きの場を心理健康オフィスに選んだ理由です。

他者の援助をするためには是非とも自分をクリァリングする必要があります。

その為に必死で一人セッションを続けました。

一番大きなトラウマである デビルチャイルドのスタックポイントを解放したときに 身体が立っておれないほど振え 鮮やかなアメジスト色の光が輝き、次いで白昼光が輝き(二回繰り返しました)次の日やや鈍い光の繰り返しを見ました。

それから霊現象がはじまりました。すべてに紫光が見え始めました。、

(目を閉じたときの紫光は 平安そのものでしたが マゼンダーやライトグリーンの光も見えました)

基底部から(前につんのめる様に) エネルギーがあがり続けました。

それは心地よい体験でした。クンダリーニエネルギーが覚醒したわけです。

それから白くて透明な歪んだ像が見えたり 目を覆いたくなるような苔むした 醜い蛇(龍?)やサソリが見えたり 事物の裏に色々な像が見えたり 

美しいコーラスや 自然の音リズムに乗って 霊のメッセージが聞こえたり 

その話の内容は (脳の情報を読むこともありましたが、)私の知らない世界のことばかりでした。

毎晩こむらがえりが3,4度起こり始めたのがスタートでした。 

心停止が起きたり 歩くことができなくなったり 指がなえて伸びなくなったり 、毎朝 瞼は開けようがなく 指でようやく開ける状態でした。

霊現象は書き上げればきりがありません。

人知を超えた「死と隣り合わせの不思議な現象」はどんな意味があったのでしょう?

心理健康オフイスを通しての人生へのお返しより 霊的な戦いのほうが 私の真実のライフビジョンかと思ってしまいました。

(顕在意識の意図を超えて起こってしまいましたから)

霊現象は同時に激しい魂の嘆きを伴うものでした。

ダンワールドの主宰するセドナ瞑想旅行に参加したことがあります。

(ダンワールドの指導者資格、マスターヒーラー資格も取得しています。)

ベルロックに足を踏み入れた途端 跪きたいような畏敬の念と嘆きが起こり涙を流し続けてしまいました。

かの有名なグラウンド・キャニオンにも行きましたが 大した感慨もなく 、シナイ山の勇壮さを偲んでしまうほどでした。

ダンワールドではダイナミック瞑想をしながら 魂の吠える嘆きを嘆き続けました。

魂の嘆きの意味を知ることこそ ライフヴィジョンを捉えなおすことになりました。

私が得た結論は 今世のライフヴィジョンとも重なるヴィジョン。

「木を植えた男」のように、「ヨブ」のように ヒーリング活動をしていくことです。

自分史その3

潜在意識に眠るものは 自己神化の欲望? いいえ、決して。今ですら「無になって結構」が私の本音です。

潜在意識に眠るものは 愛欲?多分満たされていると思います。

地位と名誉?今更、十分です。

しかし自己実現への欲求は明らかに願いとして存在します。

以前スリー・イン・ワンという プログラムの中で 自分の心の小部屋を見たことがあります。

心の小部屋には 紫光に満ちていて 全てが一つに溶ける様な安らかで平穏な部屋があるとともに 深い、真っ暗な部屋がありました。

そのワークを導いたリーダーは 「その穴に蓋をしなくていいか?」と尋ねましたが 「私の中にあるものだから構わない」と答え 穴に下りていく階段さえイメージしました。

その小部屋から出る時 ドアに鍵をかけるように勧められましたが 人工的な鍵をかけたくなく ありのままに置いておきたいイメージで終わりました。

その穴は 虚無の淵、孤独の淵でした。今は 死の淵と思えます。

それ故、私は霊現象とともに死の淵をさまよい続けたのかもしれません。

愛する者との死別が 「デビルチャイルド」以上に 私の 今生で乗り越える必要のあったテーマかもしれません。

(激しい嘆きが生じました。 多分そうだと思います。)

幼い頃、我が家では 母と兄の死はタブーとして扱われ それに向き合ったのは 30代になってからです。

大学院の 聴講科目の課題で「ファミリーツリー」を完成する必要が生じ、可能な限りの戸籍を取り寄せ、抵抗を振り切って 義母やレイプをした腹違いの兄から できる限りの情報を収集しました。

父も自分の母を幼い時に亡くしています。最初の妻を亡くし、私の母を亡くし、その母との間に生まれた愛子(私の兄)を見送っています。

最初の妻を失ったことに伴い 仕事も、住まいも、娘も失い 自律神経失調症になりました。

それは父の持病となり 晩年それが昂じて自死をしました。

両親に全面依存する 幼い子は 両親の不仲や 自分が虐待される状況に置かれると 自分が「悪い子」だからだと 考えると言われます。

母と兄が「私の出生」が原因で亡くなったと信じた故、母や、兄

(聞き取りによると 母と兄は自分を無条件に守り、愛してくれた存在だったようです)以外の者を愛してはならないし 愛されてはならないと 自分に命じたと考えられます。

周囲に愛があっても「愛を受取らない枠組み」を自分に嵌めることになったとも言えます。

ニヒリストであった思春期 「武者小路なんて、なんと甘い!」と考えていました。

愛なんて歯が浮くような欺瞞だとも決めていました。

そんな思いは 渇望しても得られない願いを誤魔化すための 自我の防衛機制だったとも考えられます。

人生の最終点が死であるのであれば 自分を満足させてくれるものを求め 切羽詰まれば死ねばいいと 考えていました。

「自分を満たしてくれるもの」 「自分の存在の意味」を 脅迫的に求め続けました。

しかし一番渇望しているものを封じ込めていたため ニヒリズムに足を掬われ 中学生半ばから学業も放棄してしまいました。

キルケゴールは 死とは絶望を生き続けることだと言います。 

つまりは 私にとっては 虚無と孤独と死が一つだと言えるのかもしれません。

コズミックホリステック医療 俳句療法

吾であり・宇宙である☆和して同せず☆競争ではなく共生を☆

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