Facebook・柴田 久美子さん投稿記事
加藤先生とのご縁に感謝して。
こもれび診療所様とご一緒に活動させて頂けます事、嬉しく思います。
https://ameblo.jp/2020komorebi/entry-12682289129.html?fbclid=IwAR11T5GRo6HK5ay_OYf3D9EJpfmylqSmmjk0kIbrIqjFuQtx4na-U8Jpx_s 【こもれびの診療所 特殊外来について】より
「がん・終末期安息外来」
当院では、がんを含め終末期と診断された場合、死を抗うのではなく、死を受容し、残された命を最大限輝かせながら最後まで自分らしく、また家族と穏やかに過ごすことを目的とした「終末期安息外来」の開設を予定しております。
これは私がこもれびの診療所を開設した最大の目的の一つでもあり、また私の今世の使命であるとも感じています。
(*当院における終末期の定義とは:病気が治る可能性がなく、数週間~半年程度で死をという場面を迎えるだろうと予想される状態のことを指す。一般的にはがん終末期や老衰などがそれに該当する)
日本は学校や家庭で死に対して話し合いを持つ機会がなく、また核家族化した家庭環境により死と向かい合うことも極端に少ないため、死に対しての受け入れ準備も知識もないのが一般です。このような状況下で突如死の宣告を受ければ、当然本人、家族の双方ともにパニック状態となります。
その後の心理的変化においては、個人差はありますが大まかには、死生学研究の第一人者、エリザベス・キューブラー・ロスが提示した「死の受容プロセス・5段階モデル」を経ていくと考えられています。
第1段階:否認と孤立(denial & isolation)
自らの命が危機にあり、余命があとわずかである事実に衝撃を受け、それを頭では理解しようとするが、感情的にその事実を否認(逃避)している段階。周囲から距離を取り、孤立していることも多い。
第2段階:怒り(anger)
自分が死ぬという事実に対して「どうして悪いことをしていない自分がこんなことになるのか」「もっと悪いことをしている人間がいるじゃないか」というような怒りにとらわれる段階。根底に「なぜ、自分が」という、死に選ばれたことへの強い反発がある。
第3段階:取り引き(bargaining)
神や仏にすがり、死を遅らせてほしいと願う段階。財産を寄付したり、これまでの行為も改めるので死を遠ざけてほしいと神と「取り引き」をしようとする。なんとか、死を回避しようと模索し続けている状態。
第4段階:抑うつ(depression)
「ああ、これだけ頼んでもダメか」「神も仏もないのか」という思いと共に、死の回避ができないことを悟る段階。虚無感にとらわれることもある。
この4つの「精神的苦痛」が時には並列に、時にはランダムに、時には重複しながら、死に直面した人を襲います。この「精神的苦痛」だけでも大変なのに、終末期にはさらに「身体的苦痛」「社会的苦痛」「霊的苦痛」と呼ばれる3つの苦痛がプラスされた全人的苦痛(トータルペイン)と向き合わねばなりません。
この全人的苦痛に対して、一人で、または家族だけで戦いに挑むのはあまりにつらい。
しかし2時間待ちの3分診療と揶揄される通常の病院では、全人的苦痛に対して、解決方法を提示することは難しく、身体的苦痛に対して鎮痛剤、精神的苦痛に対して抗不安薬などの薬が処方される程度です。
これに対してこもれびの診療所「がん・終末期安息外来」では、すべての苦痛に対して、解決策を共に考えていきます。そして最終的に、「死の受容プロセス」の第5段階:受容(acceptance:生命が死んでいくことは自然なことだという気持ちになる。死生観を形成し、自分の人生の終わりを、静かにみつめることができる、心に平穏が訪れた状態)を目指します。
では、実際のどのような外来となるのか。
これを次回ご説明させていただければとおもいます。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
https://ameblo.jp/kawaokaameba/entry-12623129086.html 【9/7「俳句はいま」。〈死と自然体で向き合う池田澄子「此処」〉神野紗希。長崎新聞郷土文芸欄より。】より
9/7長崎新聞「郷土文芸」欄にて神野紗希さんが池田澄子さんの新句集「此処」の紹介をしてくれていました。
わかりやすいように活字にしてみました。
池田澄子は軽やかでしたたかな口を駆使し、つかの間の世を生きる寂しさや喜びを、日常の細部を透かし見つめてきた。
▪️此の世の此処の此の部屋の冬灯
「此処(ここ)」の冒頭の一句。今 ここに一つの灯がある。「比の世」「此処」「此の部屋」と入念に畳みかけ強調するほどに、「比処」で生きている時間の儚さ、外に広がる寒い闇が濃くなる。
▪️こころ此処に在りて涼しや此処は何処
ここがどこでも、私が思考する限り、心はここにある。唯心論的一句。涼しさは寂しさを呼び、寄る辺なさが満ちる。
▪️みんな死ぬ此の世雨月の更衣
▪️物干すと乾く此の世を唐辛子
▪️また此処で思い出したりして薄氷
澄子は 「比の世」「此処」と繰り返す。この世に生きてここにあることは、多くの人にとって自明だ。それがこれほど意識されるのは、ここではない場所が見えているからだろう。
▪️彼の人の彼の世へ帰る夜や桜
「彼の」を繰り返し、その人が失われた今を確認する。後記に「八歳の夏、かの戦争で父を奪われ、人は死ぬ、死は絶対であると知って以来、此の世の景の儚さを忘れることができない体質になった」とあるが、この句集で澄子は、長 年連れ添った夫を見送った。
▪️ぜらにゅーむ時おり永の別れかな
▪️柚子咲いてあなた中有は 明日まで
▪️あっ彼は此の世に居ないんだった葉ざくら
鉢のゼラニウムや「あなた」「居ないんだった」といった口語文体の日常感が、昨日まで「此処」にいた人の喪失を深く刻む。柚子の花や葉桜を見かけた日常の喜びにも、悲しみは遍在するのだ。
▪️カーブミラーにぽつんと我や夜の小雪
▪️ブランコを椅子と思えば風やわらか
▪️偲んだり食べ たり厚着に肩凝ったり
かの世を思い、この世からはみ出しながら、残りの今を生きること。
死と自然体で向き合う2句で閉じられる。
▪️ショール掛けてくださるように死は多分
▪️生き了るときに春ならこのロ紅
新型コロナウイルスまん延により、それぞれの「此処」を再認識し、死への想像力が新たに芽吹く今、澄子がアクチュアルに書きとめた死と生の哲学は、いっそう親しく私たちのそばに「在る」。
※難しい澄子さんの句をよく評されていますね。澄子さんの俳句を長年読んでこられたことがよくわかります。
※私の当ブログでも以前、この句集を紹介したことがあります↓。
https://gamp.ameblo.jp/kawaokaameba/entry-12600756777.html
https://japanknowledge.com/articles/shiorigusa/11.html【Vol.11生死】より
「神が死の以前に出生を置いたのは賢明であった。そうでなければ、われわれは人生についてなに一つ知ることができないからである」(アルフォンス・アレー)
「生は死の発端である」(ノヴァーリス)
生死は人生におけるスタートとゴールと考えるならば、その意味を問うことは人生そのものを問うことにもなり、俳句の題材としては間口が広すぎるとも思えるが、この世界最短の詩形は、案外、生や死というものとの親密な関係をみせてきた。その理由のひとつは季語にあると思われる。俳句にとって季語はかならずしも不可欠のものではないが、それが俳句というジャンルをここまで押し上げてきたことは間違いない。俳句における季語の働きは、詩中におけるキーワード的な動きにあるのではなくて、実はうつろいゆく自然を意識させるところにある。「花」といっても眼前にある花そのものだけをさしているのではない。芽吹き、花開き、そして散っていく生から死へ至るうつろいゆく時間経過に目覚めさせ、眼前の花との貴重な出会い、一期一会を強く意識させることにある。つまり季語は、生死を内に含んだ言葉として俳句にとって大切なのである。
短夜や乳ぜり泣く子を須可捨焉乎すてっちまおか竹下しづの女
しづの女は夫の急逝後、福岡市立図書館に司書として勤め、二男三女を育て上げた。その気丈ぶりは「汗臭き鈍〈のろ〉の男の群れに伍す」といった句にも充分うかがえるが、そんな日々にも、このように何に対して怒りを向けていいのかわからない一瞬の苛立ちにおそわれることがあったのだろう。それでも下句をあえて万葉仮名表記にしたところが、いかにもしづの女らしいしたたかさである。「乳ぜり」は母乳を催促すること。
あぢさゐの花より懈たゆくみごもりぬ篠原鳳作
妻が懐妊したのだが、その様子が紫陽花の球状の花(手毬花、瓊〈たま〉花という別名の由来)より気だるそうだというのである。紫陽花が気だるそうに咲いているというのは、その色や形から納得させられるが、身ごもった妻はもっと気だるいのだという断定は、意表をついて面白いし、断定した分だけほほえましくもある。「赤ん坊の蹠〈あうら〉まつかに泣きじやくる」「太陽に襁褓〈むつき〉かかげて我が家とす」といった生命賛歌の明かな他の鳳作の作品にも通じる生命への暖かいまなざしをやはり感じる。
吾子あこ生るわれ頭づを垂れてをりしかば
吾子は死にもろ手をたもちわれ残る渡邊白泉
自筆稿本『白泉句集』の中の「涙涎集」に収める連作“吾子誕生”と“吾子逝川”にある二句。昭和15年、早産のために出産後1ヶ月足らずで長女を失った折の句である。ともに無季の句だが、初めての我が子を得た厳粛ともいってよい喜びと、それをたちまちに失ってしまった茫然自失ぶりが、きわめて洗練された表現を得てみごとに定着されている。
柊ひいらぎや罪生誕の刻にあり斎藤慎爾
柊は常緑樹なため、ヨーロッパでは冬でも生命を保つ神秘的な木とされ、古くは冬至の儀式に使われた。現在、クリスマスに使われるのはその名残だとされる。この句でイメージされている柊は明らかにクリスマスにおけるそれで、キリスト教の原罪思想が背景にある。一方、日本では「疼〈ひいら〉ぐ木」からきたヒイラギという名前からもわかるように、触れば痛い棘のある葉を厄除け魔除けに使ってきた。ここでは和洋両様の意味が重ね合わせられ、散文的に単純化していえば、原罪を産む人間の誕生は、それゆえに痛みを伴うのだということだろう。
なきがらや秋風かよふ鼻の穴飯田蛇笏
重厚高邁なだけでなく、時にゾクッとするような冷徹な眼差しを感じるのも蛇笏の句の特徴だ。この句などはその典型。言っている以上の意味はないのだが、もうそれで充分という気がする。「夏真昼死は半眼に人をみる」というのも充分に気持悪い。「死病得て爪うつくしき火桶かな」はそれらとは違い、物語性を帯びた艶美な句である。
大寒や見舞に行けば死んでをり高浜虚子
「大寒の埃の如く人死ぬる」も同じ時につくられた句だという。ともにまことに素っ気なく、冷たく突き放したように人の死を扱っている。不謹慎じゃないかという声があがりそうな気がするぐらいだが、死をちゃかしたり、弄んだりしているわけではない。厳然とした事実をそのまま粛々と述べているだけなのである。この押しても引いてもびくともしないような、揺るぎない俳人としての腰の据わり方がいかにも虚子なのである。
朝顔や百たび訪はば母死なむ永田耕衣
耕衣には母親を、特に死との関連で詠んだ句が多い。「朝顔や老母死なねば死とてなく」「寒雀母死なしむること残る」「母の死や枝の先まで梅の花」「母の忌や後ろ向いても梅の花」等々。「私の作句エネルギーと結実は父母の体内から持続しているものであり、父母の体内以前の存在の根源、そのカオスからの恵まれである。あるとき父母に執するのは、父母を超脱する志によるものであったといっていい」(「陸沈條條」)と書く耕衣にとって、母の死を俳句によってとらえることは、自分の存在を超越する行為といってもいいのだ。掲出句中の二句に出てくる「梅の花」には「産めの端」が隠されている。
白露や死んでゆく日も帯締めて三橋鷹女
鷹女が50歳を越えたばかりの頃の作品で、老年にさしかかった人生の哀歓が強く響いている。帯はかつての日本女性の身も心も強く締めつけてきたもの。だからこの句は、あくまで自分は日本の女として死んでいくんだという決意を表明しているのである。そのプライドを保って、それに殉じて死にたいということである。「日本の我はをみなや明治節」という句もある。
暗がりに檸檬泛かぶは死後の景三谷昭
自分の死後の光景を幻想しているのだが、生前と切り離されてそれがあるわけではない。冥界の空間に泛かんでいるのは1個のレモン。その明るいレモン色がいかにも三谷昭だという気がする。俳句における青春の祝祭ともいうべき新興俳句運動に邁進し、弾圧事件で自らも検挙されるが、めげることなく、戦後の俳壇をリード。その向日性を象徴する色がこのレモン色だという気がする。
とこしへにあたまやさしく流るる子たち三橋敏雄
「流」の「〈とつ〉」は流屍の象形。上半分は頭の形、下は髪の毛が水に漂う形で、流れゆく屍を表わしている。初生児を水に投棄した俗もこの字の背景にあるという(白川静)。三谷昭の句にある「泛」もやはり流屍の象形だが、そのことを彼がどれだけ意識していたかはよくわからない。しかしこの敏雄の句では明らかに作者はそれを知った上でこの句をつくっている。字義がそのまま句意になっているからだ。生と死の間〈はざま〉を永遠に流れゆく子供たち。その髪の毛がやさしく水に漂っているのである。
http://www.kouhoku-hospital.com/staff/1143/ 【俳句っていいな】 より
梅一輪一輪ほどの暖かさ
立春を過ぎたとはいえまだまだ寒いこの時期、この句をいつも思い出します。
たった17音の詩『俳句』は、見事に映像を切り取ったり、ストーリーを連想させたり、
本当にすごい芸術だと思います。
俳句のルールは単純。原則17音で必ず季語を入れること。この『季語』が、また風流です。
歳時記に、各季節の季語が、天文・地理・動植物・人事などの項目別に分類されています。
例えば「梅」は春の季語ですが「探梅」は冬の季語。
早咲きの梅を探して山を歩くのは冬というわけです。
私は「山笑う」という春の季語が大好きです。
寒々としていた山が、薄緑の葉に覆われてゆき白やピンクの色もちらほら見られ、
どことなくほんわかと柔らかくなってきているような春の山は、本当に笑っているようです。
調べてみると、北宋の画家・郭熙の「春山淡冶にして笑うが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧うが如く、冬山惨淡として眠るが如く」に由来するそうです。
絶妙な表現!と感動してしまいます。
そこから「山笑う」を春の季語として用いている俳句の世界は趣き深い。
ちなみに「山滴る」は夏、「山粧う」は秋、「山眠る」は冬の季語です。
生活の中で、ふとした瞬間に季節を感じるのは、しあわせなことだと思います。
日本人が大切にしてきた文化です。それを俳句に詠むことができたら本当に素敵!
もっとも、今の私は俳句をひねる時間の余裕もなく、「プレバト」を見て楽しむ程度ですが、老後の楽しみに俳句をと考えたりしています。
えっ?吟行という名目で食べ歩きに行くだけだろうって?・・・そうなりそうですね(笑
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