花鳥風月宿

Facebook近藤裕子さん投稿記事 《花鳥風月宿》かちょうふうげつのやど

これは この世の美しさを表した禅語です。

どんな状況にあっても 美しい自然はいつも私達の心を慰め 傷ついた心を癒やしてくれます。咲く花、啼く鳥、そよぐ風、照る月 心に自然を宿して のひやかに生きていきましょう。

https://ameblo.jp/zygo67/entry-12268475741.html 【固まった心をほぐす優しい禅語㊿「花鳥風月宿」-この世はいつだって美しい】より

皆さんご存知の有名な言葉ですが、下に「宿」が付きます。この「宿」とは、この世のこと。私たちが苦しみのどん底にいる時でも、美しい自然は、変わらずそこにあるのです。

一瞬でも、その自然に目を向けると、咲き誇る花や鳥のさえずりやそよぐ風や煌々と照らす月やすべてのものがあなたを受け入れてくれていることに気が付きます。

それは、宇宙があなたを受け入れていること。

私たちは、こんな素晴らしい環境の中に生かされているんですね。

だから、核兵器などで、この環境を破壊することは絶対に許せません。

http://blog.livedoor.jp/minaegao375smile/archives/51771585.html 【澄んだ心に花鳥風月は宿る】より

心(こころ・しん)~あなたを輝かせる“心”の存在

栄西禅師『興禅護国論』で、「大いなる哉心や」と、天より高く、地より深く、日月の光より輝き、果てしなき宇宙をも超越した存在が心であると説く。そんな心を持っているのが自分であり、それこそが本来の面目。

満開の桜が光の滴を放ち「自分が輝いた」という気分は、無住心・仏心仏性の境地である。誰もが持つ、すべての根本であるものが心。無限で何ものをも超越した存在である心を磨くことで、自分自身が向上し、輝いていく。

花鳥風月宿(かちょうふうげつやどる)

~自然の美しさは、人の心を映し出す

風流。花鳥風月という自然の美しい風物が宿るのは我が心。しかも無生心に宿ってこその風流の趣がある。風流なるが故、無住心となる。さらに「不風流処也風流(風流ならざる処また風流)」の語があるように、無住心は風流に執着しない。

花鳥風月に囲まれた美しい宿。「宿」とは「この世」のことを差す。季節ごとに美しい花が咲き乱れ、鳥たちは大空を舞い、軽快にさえずる。風はさわやかに、時に激しく吹き、静かに月が照らすこの夜。美しく風流があるさまを喩えてこんな言葉が生まれた。そして禅においては、邪念や妄想のない「無」の心こそ、こんな風物が宿る。

自然は、全てのものに対して平等に存在する。老若男女問わず、はたまた人間であることなど関係なく恵みを与えてくれている。人間が勝手なわがままで壊してよいというものでは決してないはず。「宿」で暮らす一員として自然を大切にし「花鳥風月」の心を持つ続けたいものだ。

無限耳鼻舌身意(むげんにびぜっしんに)

~今という時を大切に

心には本来何もないという教え。心には眼・耳・鼻・舌・身がなく、心もないという意味である。禅でいう「ない」は、有・無の「無い」ではなく、人間もふくめたものの本性は、実は実体のないもので「無相」(形のない)であるということ。当たり前のものとして感じ、無意識に作用している部分、それを実体がないとする。実体がないことを空といい、空を表現するのに眼耳鼻舌身意が無い(実体がない)とする。流星のごとく駆けゆく現象として自己の世界。この禅の宇宙観を開いたら、もっと深い人生が開けることだろう。

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「すっと気持ちが楽になる禅語」松岡哲明氏 監修永岡書店

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4心を要に生きている人に憧れる。人の表面ではなく、心の奥底を覗いてくれる人に幾度となく助けられ癒された。今まで生きてきた中で出会った、一握りの優しき人。私もそんな人になれるだろうか。いつも自問自答している。自分は今どういう心の状態で生きているかということを。そして他人の心の状態も、表面ではなく心の深いところを見るようにしている。表面や姿かたちでは分かりかねる人間の深い部分。私はこれからも自分と他人の深いところに着目していこうと思う。心を重きにおいて生きている人は、すべてのものに愛着を感じてしまう。そして無住心や無生心の境地で、宇宙よりも心の広がりを感じることができる。

人間と自然の共存が、本来地球のあるべき姿であり、すべての人類が尊い存在であることを知ることが大切である。私は自然が大好きで、小さな虫からいろいろな動物まですべてが愛おしいと感じる。蟻をずっと眺めていたり、鳥や動物の鳴きまねをしたりする、かなり変わった人である。しかし私の中では、「すべてのものが同じ命」と感じるので、生きとしいけるものとコンタクトを取ることが楽しくてたまらない。ムツゴロウさんと同じ誕生日というのも何か関係があるのだろうか?

地球の中で当たり前に存在するものが、実はとても大切である。それが失われつつある今日、ひとりでも多くの人が当たり前から尊いものへと、心がシフトして欲しいと感じる。便利な社会になればなるほど、すべてのものが当たり前に存在すると感じてしまう。今自分が生きていることも、隣にいる人や周りで生きている人たちは、驚異的な存在であり稀な存在である。だからすべての人や物を大切にしていかなければならない。

心が無限の広がりを見せるとき、人は宇宙よりも大きな空間を浮遊することができる。それを感じられる人は、「生きていて良かった」と生かされていることに感謝している人生を送っている。何かの躓きや、苦しみから這い上がった人だけが感じられる感謝の人生。私はそれを感じられただけでも、生きていて良かったと思う。ひとりでも多くの人が、生きていることのありがたさを感じられたら、自他共を尊い存在として受け入れられる。

心はとても不思議。人間も生きとし生けるものも解明できなくて神秘的。それが楽しいと思えるのはなぜだろう。でも禅語や偉人たちの言葉や文章を読むことによって、自分と同じ感覚の人がいることに喜びを感じる。「蟻を見るのが好き」「この小さな花が綺麗」などと思える人が、一人でも多く増えて欲しい。ちょっと立ち止まって、足元や自分の周りの風景を見るだけで、いま自分が何をすべきなのかが分かる。自然と人間の中で、ひと時の静寂に身を任す時間。沈黙から感じる心の声。それはいつの時も真実を語る。心の声は天や宇宙と繋がるものであり、自分が欲していることに答えを出してくれる大切なものである。

https://www.lib.tokushima-u.ac.jp/m-mag/mini/133/133-2.html 【M課長の図書館俳句散歩道 (花鳥風月の巻)】より

俳句は世界で一番短い詩でありながら,その小さな体の中に大きな宇宙を持っています。

200万人とも300万人ともいわれる俳句人口は,英語などの非日本語による3行詩として「HAIKU」と称される世界にも広がっています。

毎年,募集がある「伊藤園おーいお茶俳句大賞」は,平成26年は過去最高の176万句の応募があったそうで,その頂点になった俳句が8歳のこどもさんの句「りょうはしに ぶらさがりたい 三日月だ」でした。

また,ノーベル文学賞を受賞された川端康成先生は,ストックホルムで行われた受賞記念講演で「美しい日本の私」と題して話され,「春は花 夏ほととぎす秋は月 冬雪さえて冷(すず)しかりけり」という道元禅師の歌を冒頭にあげ,日本人の美意識を世界に発信された名講演であったことは有名です。

俳句において「花鳥風月」を諷詠することは,人間を自然とのかかわりにおける存在として認識させてくれるとともに,自然と対話することが人間にとっていかに心のよりどころとなることを,あらためて紹介したいと思います。

芭蕉の「おくのほそ道」は,まさに「花鳥風月」の旅でした。元禄2年(1689年),46歳の芭蕉は「有り明けの月は淡い光ながらも遠くかすかに富士を,近くは上野・谷中の花の梢を眺めつつ,再び見ることが叶うものかと思いつつも松島の月も心に掛かりて」として随伴の曾良のふたり,江戸をあとにしました。

行く春や 鳥啼き魚の 目は泪

深川の旅立ちに矢立のはじめとして詠んだ句です。杜甫の詩 「春望」の一節,「時に感じては花にも涙をそそぎ,別れを恨んでは鳥にも心を驚かす」を引用した離別の泪の句で始まりました。

世の人の 見付けぬ花や 軒の栗

白河の関を越え,みちのくに入った芭蕉は須賀川の等窮宅を訪ね,数日間滞在しました。

目立たない栗の花がこの庵の軒に咲いているが,このゆかしい風情が庵主のわび住まいに誠にふさわしいものと思われいっそう心ひかれます。栗という字は西に木と書き,西方浄土にちなむ木です。世の人はこの花のよさを知らないけれども,それを愛でる宿の主の人柄を称賛したのです。栗の花は,特有の匂いを放つ緑白色の長い房状の花です。

石山の 石より白し 秋の風

石川県小松の那谷寺を訪れた芭蕉はその景色の美しさに感激しました。

那谷寺の岩山は白く枯れた感じがします。秋の風に色を着ければ白,この地の奇岩は殊に白いのです。

名月や 北国日和 定なき

芭蕉が敦賀に泊まったのは8月14日。「明日の十五夜の天気は」と宿の主人に訊ねると「変わりやすいのが北陸路の常で,明日の天気はわかりません」との答えでした。次の15日は敦賀の名月を楽しみにしていたというのに主の言葉どおり雨。なるほど,北国の天気は変わりやすいものだと残念がる芭蕉の顔が浮かびます。

「おくのほそ道」は全行程約2400キロ,約150日間の行程。芭蕉と曾良の二人,わずか50余句に織り込まれた「花鳥風月」を愛でつつの旅でした。

正岡子規の弟子であった高浜虚子は,夏目漱石の「吾輩は猫である」「坊っちゃん」などの小説の寄稿を受け俳句文芸誌「ホトトギス」を飛躍的に発展させました。

彼は,俳句を「客観写生」「花鳥諷詠」の詩であるという理念を掲げています。

花鳥と共におり,風月と共に居る,これが人間の一面の姿でもあります。俳句というものは花鳥諷詠の文学であります。これは我国にひとり存在するところの特異な文学であります。花鳥諷詠の文学(詩)が存在しているということは,我が国民の誇りとすべきものであります。

そして,俳句は「極楽の文学」になるという事も言っています。

「俳句は花鳥諷詠の文学であるから勢ひ極楽の文学になる。如何に窮乏の生活に居ても如何に病苦に悩んでゐても,一度心を花鳥風月に寄する事によつてその生活苦を忘れ,仮令一瞬時と雖も極楽の境に心を置く事が出来る。俳句は極楽の文芸であるといふ所以である。」

(『俳句への道』)

高浜虚子の「花鳥風月」の句を紹介します。

咲き満ちて こぼるゝ花も なかりけり

大きな桜の樹木の枝に,その枝が見えないほど咲き満ちた花。風のない満開の桜は,やがて春風が吹いて,見事な花吹雪へと時は過ぎていきます。

ゆるやかに 水鳥すすむ 岸の松

ゆっくりと岸辺の松の木にむかって水鳥が進んでいます。水面に浮かぶ水鳥と水面に映える松,そして水面に広がる波紋の情景のコントラストが見事です。

春風や 闘志抱きて 丘に立つ

大正2年俳壇に復帰した際に詠んだ句。俳句のスタイルで相容れない同門の河東碧梧桐への対抗意識が込められているといわれています。

暖かく吹き抜ける春風の季節の今,静かな深い闘志を胸にいだいて丘に立っています。

はなやぎて 月の面に かかる雲

月が美しく光り輝いています。雲が月にかかっていますが,それさえも華やいで見えます。

春にただ花といえば。桜の花ですが,これは春の花を代表しているからです。

花の笑み,花に紐解く,花の鏡,花の唇,花の形見,花筏,花篝,花盗人,など花の季語は多彩で,心奪わる印象的な言葉があります。

花の季語はたくさんあり,それぞれの意味や季感がちがっています。

しばらくは 花の上なる 月夜かな    松尾芭蕉

鳥の季語も,たくさんあります。

春は鶯・山鳥・雲雀・岩燕・鳥合

夏は四十雀・郭公・仏法僧・白鷺・鵜飼

秋は百舌鳥・啄木鳥・椋鳥・雁・渡り鳥

冬は鴨・都鳥・木菟・笹鳴・冬鴎

新年は丹頂・初声・初雀・初鴉・初鶏

無季はカナリヤ・孔雀・鸚鵡・鳩・鳥籠

小林一茶の「花鳥風月」の俳句を紹介します。

山の月 花盗人を てらし給ふ

「八番日記」所収。一茶57歳の作。花盗人とは桜の美しさに惹かれて枝を折り盗むことで,花泥棒と呼ばないところが風流です。月は誰でもどんな境遇にある人でも平等に照らしてくれるという一茶の美しい想いを感じることができます。

平安時代の歌人であった藤原公任に次の和歌があります。

「われが名は 花ぬす人と たてばたて ただ一枝は 折りてかへらむ」

うつくしや 昼の雲雀の 鳴し空

うつくしや 雲雀の鳴きし 迹の空 

2句とも文化9年(1812年),一茶50歳の作です。天空の一点にとどまって囀る雲雀の姿や雲雀が空から下りてしまってもどこまでも深く澄み渡る空の広がりを小さな雲雀を使って巧みに詠んでいます。

春風や 牛に引かれて 善光寺

牛に引かれて善光寺参りとは,人に連れられて偶然にある場所に導かれるということわざの意味ですが,仏さまが牛に姿を変えて,信仰心のない強欲な老婆を寺に導き,仏さまの慈悲に触れて自分の行いを改めたという逸話があります。

涼風の 曲がりくねって  来たりけり

裏長屋の奥のわが家には,涼風も曲がりくねって,ようやくたどり着きます。自分の貧しい境遇をさらりと風刺しています。

秋風に あなた任の 小蝶哉

あなた任せのあなたとは,阿弥陀如来のことで,仏さまにまかせるほかないという意味です。

一茶といえば蠅や雀の俳句が有名ですが,蝶の句もたくさんあります。

有明や浅間の霧が膳(ぜん)を這(は)ふ

夜が明けても,まだ空に月が残っています。早立ちのために食膳につくと,浅間山の方から霧が流れてきて膳のあたりを這っています。

一茶にとっての「花鳥風月」は美しい自然でなく,まさに生活であり,苦難の人生そのものでした。しかし自然との対話による彼の心は清らかです。

青春は未来への希望と不安の中で迷うことばかりですね。

そんな時は図書館で好きな本を開きながら,ほんのすこしリラックスをしてはいかがでしょうか?

そして四季折々の季節を感じながら,「花鳥風月」に思いを馳せてオリジナルな和歌や俳句を作ってみませんか?

あなた自身の世界に,おもいがけない波紋や風紋が広がって,ちょっぴりしあわせな気持ちになると思います。

青春は 自分探しの 迷い道 本を開けば 春の風吹く

コズミックホリステック医療 俳句療法

吾であり・宇宙である☆和して同せず☆競争ではなく共生を☆

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