風(ルン) ①

https://ameblo.jp/djvarahi/entry-12445323085.html   より

能く世間でも風を起こすなどと言いますが、

従来の事を変えたり新たな事を起こすようなと気などに使われるでしょう。

これも含めルンと言いますが、

個人、家族、社会、世界等、

火や水、木、金属でも物でも自然にでも何にでもあります。

しかし不思議な力や特別な力のようなものではありませんが、混同され独り歩きし

其々のところでそれぞれの見解で言われるようになってしまい、

今ではそれらが当たり前になっています。

この世の実生活やライフスタイルなどに生かして言うわけですからそれでも良いと言えるでしょう。

しかし本当に何かを求めている方にとってはロスになるだけでどこかで妥協せざる負えないでしょう。

そのような方たちのために少し書いておこうと思いますが、

大きく分けると九つに分けられ、それらが行動などを生み出します。

一つは本質のルンですが、本来瑜伽やヨーガなどで求める本質ですが、

     意識や分別を以てたどり着くことは出来ません。

     行などにいくらこだわろうが専念しようが無駄なんですね。

    これにはあるいくつかのkとが必要ですが、機会があればお伝えしたいと思います。

2、智慧の目覚めのルンです。

3、内なる明知のルンです。

4、思考の動きを起こすルンです。

  空性を得ても微細な思考の動きはまだ残っています。

  明知が乱されることはありませんが、それは無意味なものなんですね。

  これを超えなければゾクチェンなどにはたどり着けませんが、

  1~4については必要な方たちが現れましたら行などとともに書きたいと思います。

  まずはかに5~以下が行以前、行とともに今必要なのかは理解できるかと思います。

  よく読まれ理解され、周りも自分も見られるとよいと思います。

  そうして自身の立ち位置に気がつき始めたのなら、何が必要でそうでないかが実感できると思います。

5、カルマ、すなわち、われわれの動きの方向性を定めるルンとなります。

  この世に実態は何一つありません。

  未来も過去も無く、常に刹那刹那が連続して流れるムービーのようなものなんですね。

  しかし幻、錯覚、妄想に囚われて外的世界と認識してしまいます。

  そのために本質と思っていても本質は見ることができなくなっている。

  それに気づくこともできないまま、代用品を求め思い込んでしまうんですね。

  概念が凝固させてしまい

  名前という棒で混ぜられ、

  言語と論理という蓋で覆われ

  常、常識という貯蔵庫に入れてしまう。

  このように意識と世界は、本質から遠ざかり、固定されてしまうんですね。

  そうして恐れや怖れと妄想というヒビが現われる。

  覚悟を決めて決意し、固まった心の覆いと言う世界を溶かさない限り、

  都合の良いもので覆い続けるしかない。

  溶かすことができれば 、その先には本当の世界の展開が起こる。  

 

  幻の囚われが強いほど、真髄に近づくことを強く感じる事ができる。

  それは神秘性や奇跡のようなものが本当と思いはまってしまう者たちは、

  幻であっても信じ歩んでしまうだろう。

  純粋のごくわずかな欠片でさえそのように人を魅了してしまう。

  しかしそこに辿りついたものは普通にはいない。術がなけれ阿蘇の先には進むことは出来ない。

  そこを思うあまりに心がまるで神のようなものを生み出し、さらに固定しようとしてしまう。

  それが続くのはよくて2~3年程度、それでも強引に進めるからこそあれこれ付帯したりつぶれてしまう。

  そうならないよう勇気を持ち歩むしかないのだ・・・

   

  強いルンがあれば怒りも能くも貪りもみな留まり固定する。

  無力感も絶望、喪失感も持続しとめることができないのもみなそのためです。

  それを知る智慧がないからです。

  その連続持続の働きがカルマであり、留まることを知らない心と思い込んでいる意識であり、

  カルマを動かすためのルンとなるわけです。

  カルマは自分の今の居場所(所在地などではない)を見失わせ、分からなくさせてしまう。

  自業自得のようにしか理解できないのは智慧がないからである。

  

  次を生んでしまうのは、原因があるからではなく、智慧がないから原因がわからないまま

  条件をそろえてしまうからである。

  そのために結果を招く必要な縁ができるのだ。

  釈迦が縁起を説いたのは間の条件をそろえないために説いた。

  それを理解し励んでいるものはどれだけいるでしょうか?

  在家であろうが専門であろうが、職業出家であろうが関係ない。

  それを行うものを釈迦の親子(しんし)と言う。

  団体、肩書き、得度ごっこは一切関係ない。

  枠に入れ固めてしまうのは、ただの破壊のカルマのルンでしかないと言うことを刻まなければならない。

  釈迦が嫌ならどの聖人でも構わない。

  なぜなら聖人はみな同じことを角度と手法を変えて超古代より説いて来たのだから。

  慕うのなら都合よく利用してはならない。

  都合よく利用している段階で破壊のルンを強めてしまう。

  そのためいつも宗教が火種となる。

  個人であっても同様です。

  自身の破壊を大きくしてしまう。

  思想も主義も論理もスタイルもみな固定すれば破壊を招く。

  評価、中傷、誹謗、 揚げ足取りなどもみな同じです。

  固めて覆いいくらや戒や世間で大人と言っても、その精神や心は育たない。

  虐待と騒ぎ対策対応でいくら固めようが、さらなる破壊の基礎でしかない。

  

  一人でも人の大人がいたのならたしなめいさめ痛ましいことを防ぐことは出来たかもしれない。

  心理学の専門家がいようが後付では意味がない。

  どの程度であろうと上に立つというのなら、人としての大人がならなければならない。

  過程であれば親がそうでなければいけないでしょう。

  少し前までは、地域にはそのような方がどこにでもいました。

  豊かさや便利さ、一見自由と思われることの置き土産がこの結果を招く。

  この結果とは破壊のルンなのです。

  これが更に世に広がっていけばどうなるでしょうか?

  どんな力、エネルギーでもとめることは出来ないんですね。

  忘れずに向き合っていただきたいと思いますね。

6、負の感情を起こすルンですが、貪・瞋・痴・慢・嫉 の五毒で心の苦のルンですね。

  あらゆる病気もみなこれにより起こることになります。

  そのような働き(これ外も含め連動し現れるもの)を力やエネールギーと要約されたものが

  未熟なものやそれぞれの思想などによって様々な言われ方となり、

  さらに都合のものに変わってしまったわけですが、

  本当に理解していくというのは大変です。

  便宜的なものでも良いモチベーションが保て、ライフスタイルに生かせるなら

  そのほうがよいでしょう。

  しかし本当に心を求めたり変えるとなればそうはいきません。

  考えや心持は変えられても本質とはかけ離れたものなんですね。

  思考や感情、それ由来の心を正しく道に送り込む、誘導するというのが

  気やエネルギー、プラーナやプラーナルート、ルンやツァ、チャクラと言うところですが、

  それを正しく知り教えているところは世間ではありませんね。

  真似したり、マネして言う者たちに学んだり、本など読んでそう思いここまで広まったわけです。

  一つは言語の限界故とも言えるんですね。

  サンスクリット語は論理的見解では半分も理解できません。

  伴うべきものがなければ理解することは出来ないんですね。

  そのため熱性の強い者たちが急いたためや利益などのために出てしまったわけです。

 

7、それぞれの体質を乱すルン

  病気を引き起こしたり心(自我の感情)の不安定さや固定させる(物や形)ルンですね。

  これは薬などでどうにか出来るものではありません。

  心や精神の不調や、肉体の病気など、

  それらはみな怒り(嫌悪)や執着(愛着)無知(論理)と繋がっています。

  これら正確に知る方法もありますが、それはまたの機会にでも書きますが、

  これが現代では非常に膨れ上がっているわけです。

  さらに人は論理をいくら持っても動物かしているんですね。

  性、食、論理情報の乱れや好み優先は運を損ない続け姿は人でも動物になるんですね。

  これでは叡智も智慧も持つことは出来ません。

  

8、存在、現実と言うリアル(の認識や幻であるということが分からなくなる)と言う環境を作るルンです。

  これは現在のように職業や地位やスタイル、ステータスなどに対し自己を当たり前のように自己同一化し

  枠外での融通性がなく本当の意味で変わることができなくなってしまい、環境、社会、地域や宗教、会社

  団体などで違和感や縛られていると思っていても感じているだけで変えることもできないことや

  変化への機会すら認識できなくなったり、妄想などを強化してしまう事や、

  一つの観念から抜けられないのも同じなんですね。

  これにより偏った力やエネルギー、気などと言う概念にもはまってしまうんですね。

  そのリスクに気がつくことも無く、その枠すら抜け出せなくなってしまうんですね。

9、存在や環境などを破壊するルンです。

  これはそのまま破壊と言う強いもので、主に集合的な働きなので、開発や戦争、

  主に人類の都合のものが多いでしょう。

  それが自然や地球そのものにも反映してしまうわけです。

  当然組織的なものもこの働きと言えます。

  その結果として生命や環境を荒廃させる。

  人にとっても集団心理のように作用してしまうんですね。

  今の環境破壊や大気汚染生態系の破壊などみなそうですね。

  どんなに人為的に対策しても戻すことも保つこともできずに先送りしているだけと言うことになります。 

  世捨て人や自殺などもこのルンの働きとなります。

コズミックホリステック医療 俳句療法

吾であり・宇宙である☆和して同せず☆競争ではなく共生を☆

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