天翔る富士の高嶺や冬紅葉 高資
富士の嶺や雲を彩る冬入日 高資
潮の目に冬の日の入る相模かな 高資
隠江に帆柱の立つ冬の富士 高資
潮を待つ三津の船門や冬の富士 高資
夏富士の道別きに道別く雲居かな 高資
紅富士や冬木の上に匂ひ立つ 高資
夕闇の空澄む富士の高嶺かな 高資
雲一つ離れて富士の暮れ泥む 高資
夕雲を翼と翔る冬の富士 高資ー 場所: 富士山
気をつけをして立つ父と 夏の富士 高資
壺焼や富士に雨雲近づける 高資
http://www.pref.shizuoka.jp/bunka/bk-223/fujisantanjou.html
【富士山の誕生】
現在の富士山の形は、愛鷹山・小御岳火山、古富士火山、新富士火山の3世代にわたる火山活動によって形成されています。
小御岳火山は今から10万年以上前に活動を停止したと考えられています。古富士火山は、現在の富士山の土台となった火山で、約10万年前から1万年前にかけて活動したとされています。
現在の富士山を形作った新富士火山の活動は、約1万年前に始まったとされ、1707年の宝永の噴火に至る1万年ほどの間に100回を超す噴火を繰り返したと考えられています。
新富士火山の活動が開始された時期は縄文時代の初期に相当し、富士山の周辺にも人類が生活していたと考えられています。
なお、有史時代の噴火としては、1707年の宝永の噴火は、最後にして最大の噴火であったとされています。
富士山の名前の由来
富士山の名前は古代からいろいろな表現がされています。霊峰富士(写真)
ごく一般的なのが「不二山」。他に比べようがない唯一無二の高峰という意味です。
「不尽山」は、山の頂に年中、雪が絶えないという意味のようですが、御承知のように夏の富士山には冠雪はありません。余りの大きさを“尽きることなき”と表現したのかもしれません。万葉集の山部赤人の歌「田子の浦ゆ、うち出でて見れば真白にぞ、不尽の高嶺に雪はふりける」で有名です。
万葉集ではこのほか、「布士」「布自」の文字が使われていますが、万葉仮名は一種のあて字なので、「ふじ」と呼ばれていたことだけは事実のようです。
「不死山」は竹取物語のように、不老不死の伝説からきています。
「福寿山」というめでたい名前がなまったという説、「富慈山」からきた名前だという人もいますが、いずれもあて字のように思われます。
「富士山」という今日の書き方は、士に富む山という意味で、武士道が発達する鎌倉時代以降のものとみられます。
名称の由来についてこのほか、アイヌ語の「フンチ」(火の神=火山)、マレー語「フジ」(すばらしい)などからきたという説があります。
富士山を「芙蓉」と称するのは、頂上噴火口の形からきたものと思われます。
かぐや姫伝説
ある時、竹取の翁とよばれる翁が竹の中からかわいい女の子を見つけました。夫婦で育てていくと、女の子は体から不思議な光を発する美しい姫に成長しました。都の五人の貴公子が求婚しましたが、姫は難題を言いつけ貴公子たちは次々と挫折してしまいました。やがて、帝がこの噂を聞きつけ、姫のもとに使いを出しましたが、姫は自分が月世界の者であることを告げました。
ついに姫が月世界へ帰る日がやって来ました。帝は、多くの兵を遣わし姫を守ろうとしましたが、呆然として何も手を出せません。姫は、衣服ひと重ねと不死の薬を竹取の翁に与えて月の乗り物に乗って帰ってしまいました。翁は、姫がいなくなってはこの世に未練はないと不死の薬を駿河の高山で燃やしてしまいました。
その後、山頂から煙が立ちのぼるようになり、その山を「不死」とよぶようになりました。
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