水底へ洩れる光や夏木立 高資 龍神宮・群馬県伊勢崎市竜宮
群馬県北部からは蛇紋岩が産出されるようです。
【群馬県川場村、蛇紋岩メランジ露頭の岩石と鉱物】 より
【蛇紋岩との格闘 - 長崎県土木部】
https://blog.goo.ne.jp/tokujiro3/e/afe787078705b68fda893ea6becde6b0
【群馬県の鉱物】
蛇紋岩大地からは室根山のように 多くの鉱石が採掘できるようですね。しかし作物の栽培には適さなかったかもしれません。
https://www.ja-tajima.or.jp/tokusan/rice/jamongan.html
【ミネラルが多い蛇紋岩土壌地帯で多くのお米が収穫できる唯一の地】
宮沢賢治が鉱物収集から農業の必要を実感した思いがわかる気がします。
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6390282 【石と賢治】
ご参照ください。
http://www.harnamukiya.com/saijiki/index.html
【賢治・星めぐりの街・花巻歳時記】
https://washimo-web.jp/Trip/Hanamaki/hanamaki.htm
【旅行記 ・宮沢賢治を訪ねて - 岩手県花巻市】
https://chikuhobby.com/jinja/tksksusanooj/
【【高崎】進雄(スサノオ)神社へ行ってきた【群馬の神社】】
荒ぶる神のスサノオが「御祭神である速須佐之男命の和御魂」と表現されているのが印象的です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B7%E9%9B%BB%E7%A5%9E%E7%A4%BE
【雷電神社】
雷電神社(らいでんじんじゃ)は、関東地方を中心に日本全国に点在する神社。一様に雷除けの神とされる(雷神社・スサノオとは別)
竜宮は水神を祀る所なので海には拘泥しないようです。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E7%A5%9E 水神 - Wikipedia
田の神とのつながりは実におもしろいですね。そう言えば、群馬も栃木も雷が多く、また、鬼怒川や渡良瀬川などの大河もありますね。高龗神のことなど思い出しました。大変勉強になりました。
たまたま通りかかった橋のたもとに「龍神宮」とあるではないですか。よく見ると群馬県なのに何故か「浦島太郎伝説の地」と書かれていました。早速川縁へ降りていくと確かに竜宮城がありました。
https://ameblo.jp/motoharu567/entry-12187502398.html 【浦島太郎の正体(その1)】
浦島太郎。
言わずと知れた昔話の主人公です。その源流はかなり古く、「丹後国風土記」(注)の逸文にその物語の原型が記されています。
(注)「風土記」とは、奈良時代の元明天皇の治世にあたる和銅6年(713年)に、諸国の国司に命じて作成させた文書のこと。
現存しているのは、常陸、播磨、出雲、豊後、肥前の五か国だけで、それ以外は、後の世に引用された逸文から、その断片が知ることができるのみ。
この「丹後国風土記」の逸文に記載されている浦島太郎の物語とは次のものです。
<現代語訳・概略>
与謝郡、日置ひおきの里に筒川という村があった。その村に日下くさかべの部首おびとの先祖で、嶼子しまこという容姿端麗でたいへん洗練された男性がいた。彼は水の江の浦嶼子しまことしても知られている。
雄略天皇の治世に、嶼子しまこはひとり船に乗り、海へ釣りに出かけた。しかし、三日間魚は釣れず、あきらめようとした時、五色の亀がかかった。不思議なこともあるものだと思い、それを船に引き揚げて眺めているうちに、嶼子しまこは眠ってしまう。
しばらくして眠りからさめると、目の前にはたいそう美しい乙女がいた。その乙女が言うには、自分は天上にある仙ひじりの家のもので、遠くからずっと嶼子しまこのことを思っていたとのこと。
嶼子しまこもこの乙女の思いを受け入れ、この亀比売ひめに連れられて海に浮かぶ大きな島の蓬莱に出向く。そこは、地面はまるで真珠をしきつめたようであり、大きな御殿は日を覆い隠すほど高くそびえ、楼閣はきらきらと照り輝いていた。
やがて、二人は大きな門の前に到着すると、乙女は嶼子しまこを残して中に入っていく。すると、子供が七人やってきて、「こちらが亀姫さまの旦那さまになられる方だ」と口々に言った。次に、八人の子供たちがやってきて「亀姫さまの旦那さまはこのお方だ」と言った。それで嶼子しまこは乙女の名前が亀姫というのを知った。
乙女が戻ってきたので子供たちのことを尋ねると、乙女は「七人の子供たちはすばる星、八人の子供たちは雨降り星」と答え、嶼子しまこを家の中に案内した。
乙女の父と母はそろって嶼子しまこを迎え、席をすすめた。卓には数えきれないほどのご馳走が並び、兄弟姉妹もそろって杯を交わした。仙歌とこよのうたは声高く澄みとおって響き、神舞は流れるように優雅、その宴の楽しさは人の世の宴とは比べ物にならないほどだった。日が暮れていくことも知らぬまま時間がたち、やがて、嶼子しまこと乙女は夫婦になった。
月日は流れ三年がたった。嶼子しまこはいつしか故郷を懐かしく思い出すようになり、両親のことが気がかりでならなくなった。その思いは日ごとに大きくなっていくばかり。
そうして、嶼子しまこは乙女にそのことを話し、故郷へ戻ることになる。旅立ちの日、両親も親戚も切ない思いで嶼子しまこを見送った。
乙女は小箱を取り出すと、嶼子しまこに渡しながらこう言った。
「こんな私のことでも、忘れずにいて下さい。この玉匣たまくしげ(※化粧箱)があれば、もう一度、ここに戻って来ることができます。ただし、どんなことがあっても開けてはいけません」
乙女と約束をして別れを告げると、嶼子しまこは船に乗って目を閉じた。すると、あっという間に筒川の里についていた。
ところがそこでは行き交う人も、家も何もかも、見覚えのあるものはない。そこで村人に尋ねると、嶼子しまこが三百年も前に一人で海に出かけたまま戻って来なかった人だとされていることを知った。
嶼子しまこは呆然として故郷を歩き回ったが、顔見知りの者には誰にも会うことができなかった。そして、気がつけば、はや十日間が過ぎ去ってしまっていた。
寄る辺もない嶼子しまこは乙女への思いを募らせ、会いたさのあまり約束のことも忘れて、玉匣たまくしげを開けてしまう。するとたちまちかぐわしい蘭のような乙女のからだが雲となって立ち上り、風に流されて青空の向こうへと消えてしまった。
嶼子しまこは、はっと我に返って、約束のことを思い出した。もはや二度と乙女にも会えなくなったことを知ると途方にくれ、涙を流しながら歌を詠むと、雲の彼方から「決して私を忘れないで下さい」と歌い応じる妻の声が聞こえてきた・・・・・。
これが、現存する最古の浦島太郎の物語ですが、我々の知る物語とは若干違っていることが分かります。主な相違点は次の通りです。
・子供たちにいじめられている亀を助けたわけではない
・行ったのは竜宮城ではなく、海のかなたにある常世の国の蓬莱
・亀が乙女で、浦島太郎の物語の乙姫に当たる
・玉匣たまくしげ(玉手箱)を開けても、老人にはならない
さらに、浦島太郎の物語は万葉集にも掲載されていますので、その内容も紹介します。万葉集巻九の高橋歌麿作の長歌(歌番号1740)です。
<「詠水江浦嶋子一首」 (現代語訳・概略)>
水の江の浦嶋の子が住吉の海に釣りに出かけると、鰹や鯛が釣れに釣れ7日が経った。
そして、知らぬ間に海の果てまでやってくると海神わたつみの娘(亀姫)と出会った。二人は語らいて結婚し、常世にある海神わたつみの宮で暮らすこととなった。
3年ほど暮らし、浦嶋の子は故郷がなつかしくなって海神わたつみの娘にいとまごいをすると、「常世に帰ってきて、また会いたいと思うならば、決してこれを開いてはいけません」と玉篋たまくしげを渡され、住吉に帰ってきた。
海神の宮で過ごした3年の間に家や里は無くなり、見る影もなくなっていた。思わず玉匣たまくしげを開けると、常世との間に白い雲がわき起こり常世へと棚引いた。浦嶋の子はそれを追いかけて走り、叫び、悲しみに身もだえし、放心状態になった。そして、若かった肌はしわくちゃになり、黒かった髪は白くなって老人の様になり、ついには息絶えてしまった。
万葉集の方は、ほぼ、丹後国風土記の逸文と同じ。
主な相違点は次の通りです。
<物語の舞台>
○丹後国風土記・・・丹後国与謝郡日置ひおきの里の筒川村
○風土記・・・住吉(※大阪)
<行った先>
○丹後国風土記・・・海のかなたにある蓬莱
○風土記・・・海神わたつみの宮
※ただし、どちらも「常世の国」であり、同じ場所を指していると考えて良いでしょう
<最後>
○丹後国風土記・・・老人になったとは記載されていない
○風土記・・・老人になって死ぬ
また、この浦島太郎の物語は、「海幸彦と山幸彦」の物語との関連が良く指摘されるところです。
「海幸彦と山幸彦」の物語とは次のようなものです。
<古事記 「海幸彦と山幸彦」 (現代語訳・概略)>
ある日、山幸彦(※穂穂手見ほほでみの命みこと。天照大神のひ孫にあたる)は兄の海幸彦とさちを交換し海で釣りをするが、その際、兄から借りた釣り針を失くしてしまう。兄は激しく怒り、山幸彦は別の釣り針を作って返そうとするが、元の釣り針を返せの一点張りで取り合わない。
憂い泣いていた山幸彦は塩椎しほつちの神のアドバイスで海中の綿津見わたつみの神の宮に向かう。そこで山幸彦は、綿津見わたつみの神の娘である豊玉とよたま毘売びめに見染められ二人は結婚して暮らす。
三年後、山幸彦は綿津見わたつみの神の宮に来たいきさつを思い出し嘆きだす。そこで、綿津見わたつみの神に事情を話すと、鯛の喉から例の釣り針が見つかる。
山幸彦は地上に戻って、綿津見わたつみの神から習った呪術と神具を使って海幸彦を服従させる。
海神の宮に行くところ、また、その海神の娘に見染められて結婚するところ、さらに、3年後に嘆き出して地上に戻るところなど、浦島太郎の物語と一致しています。
拙著で指摘した通り、「海幸彦と山幸彦」の物語とは、天皇の地位を奪われた仲哀天皇と、それを奪った景行天皇(=スサノオ)の物語が反映したものです。
この観点から言えば、浦島太郎の正体は仲哀天皇、そして、乙姫の正体はその妻である神功皇后ということになり、また、浦島太郎が行った海神わたつみの宮は実際には出雲ということになります。
浦島太郎が故郷に戻ってきた時、「自分の家もなく、知っている人が誰もいなかった」というのは、自分の家、つまり、天皇家がスサノオに奪われて無くなってしまっていたこと、そして、「知っている人」であるアマテラス派の人々が追放され、皆、スサノオ派の人物に変わっていたことを表しているのです。
以上、当記事では、浦島太郎の物語の紹介でほぼ終わってしまいましたが、次の記事では、この観点からさらに詳細に説明したいと思います。
https://ameblo.jp/motoharu567/entry-12187502792.html 【浦島太郎の正体(その2)】
https://ameblo.jp/motoharu567/entry-12187503151.html 【浦島太郎の正体(その3)】
https://ameblo.jp/motoharu567/entry-12187503406.html 【浦島太郎の正体(その4)】
https://ameblo.jp/motoharu567/entry-12187503726.html 【浦島太郎の正体(その5)】
枯葦や天に沖する筑波山 五島高資ー 場所: 渡良瀬遊水地
枯葦の浮洲につもる夕日かな 五島高資ー 場所: 群馬の水郷公園
枯葦に培うさ丹や伊奈良沼 高資ー 一緒にいる人: 伊奈良沼 場所: 雷電神社
雲を生む伊奈良の沼の藺草かな 高資ー 場所: 雷電神社
https://lunabura.exblog.jp/14717565/
【古代鉄の謎 ホの一族とはスズ鉄の一族だった?】 より
ある日の昼さがり、ルナは聖洲さんと話をしていました。
(聖洲さんの絵は名島神社に載せてます。)
「聖洲さん、この前ですね、馬見神社をブログに出したんですけど、
アマテラス大御神の系図を書いていたら、名前にホが付いてる世代が
三代も続いているので、「ホの一族」と名前をつけちゃったんです。」
その系図がこれです。
古代史に詳しい人は、この赤字で書かれた人たちが天皇家の祖先だとすぐピンと来ると思います。でも、そんな先入観をなくすためにわざと、カタカナで書いてみました。
すると面白い事にアマテラスの子供からひ孫まで、直系にずらりとホの字が付いています。
このホに「穂・菩・番・火」の字が当てられています。
稲穂を指しているというのが定説です。
『ひもろぎ逍遥』の旅をしていて分かったのは、アマテラスの子供と孫が三人も遠賀川流域の山々に降臨したという伝承がある事です。
具体的には、
天のオシホミミの命 ⇒ 英彦山
天のホアカリの命 ⇒ 笠置山
天のホノニニギの命 ⇒ 馬見山
です。
定説では、先ほど書いたように「ホ」を稲穂と解釈し、「豊葦原の水穂の国」を「稲穂が豊かに実る国」とします。
でも、ルナはなんだか納得できなかった。
「葦原になんで稲穂が出来るんだ?」そんな素朴な疑問です。
訳をするととても不自然なのです。
ところが思いがけず、この日、そのホの謎が解けました!
では、先ほどの会話のつづきに戻りましょう。
ルナと聖洲さんの話に大長老の光さんが入って来ました。
光さん「あのね、豊葦原の水穂の国の水穂って何だか分かる?」そう聞かれて、何故か突然、ホの意味が分かりました。
るな 「え?水穂?…。あっ、そうか。分かった!葦の穂ですね。」
光さん「そう。水穂の穂は稲穂の穂じゃなかとよ。」
るな 「何だあ。そうですね。そうか。
葦原の水穂って、そのまま解釈すればいいんですね。」
光さん「そう。」
「豊葦原の水穂の国」とは、そのまま、「葦が豊かに水辺で茂っている国」と解釈すればいい事で、無理に葦を稲にすり替える必要なんてないんですね。
なんてシンプルな事。
でも?あの葦が沢山生えてる事が何の役に立つの?
なんで日本の国を象徴するんだろう?
そこまでルナが辿り着くと光さんがさらに話してくれました。
光さん「昔は、スズ鉄と言ってね、葦の根を焼いて精製して、鉄を作りよったと。」
るな 「え~?葦ってあの植物の葦すか?水辺に生えている。」
光さん「そう。これで作った鉄は固い。しかし、戦うと折れてしまうったい。草薙のつるぎがそうたい。韓国人が熱田神宮から、持って帰ろうとしたのがそれたい。」
るな 「韓国人が草薙の剣を持って帰ろうとしたんですか?」
これは今から二か月前の話で、まだ八剣神社を調べていなかったので、初耳でびっくりするばかりでした。
今では、それが天智天皇の時代の事件で、犯人は道行で、取り戻された草薙の剣は、一時期、八剣神社に保管されたかもしれないとまで、知っています。
(初めての方は、八剣神社、古物神社を見て下さいね。)
光さんはさらに話してくれました。
「それから、青銅の時代になったと。そのあと、砂鉄の時代になった。韓国の伽耶(かや)から出雲族が持ってきたのがそれたい。玉鋼(たまはがね)の事で、日本刀の材料。しなやかでそりが戻るのが特徴。」
「ああ、日本刀ですね。材料は砂鉄なんですか。」
それから数日後、偶然テレビで日本刀を作っている所を見ました。
白装束を着て、伝統的に作っていました。
そしてラスト。
まっすぐな刀を水に入れたとたん、ぐぐぐっとそりが入りました。
真っ直ぐの刀がですよ。
水の中で反るなんて。びっくりしましたよ。
光さんの言うのがこれ?
るな 「でも、ま、ま、待って下さい。歴史の教科書では、青銅器時代から鉄器時代と習ったんですが、そうじゃないんですか。」
光さん「そう。」
るな 「ええ?じゃあ、鉄器時代から青銅器時代になって、また鉄器時代になったというのですか?」
光さん「そう。」
教科書を信じ込んでいたルナはホント、たまげました。
でもこれなら、「ホの一族」の謎が解ける!とも思ったのですが、正直、半信半疑でした。
どうやってこれが検証できるの?
光さん「そのあと、鉄鋼石の時代が来たと。これは切れ味がいい。ゾーリンゲン砲弾によい。しかし鉄鋼石より、砂鉄のほうが質がよかった。戦艦大和と陸奥はアメリカのクズ鉄の再生品で作ったね。自分の所の船は新品でね。」
るな 「はあ。そうなんですか。そんな素材のいの問題もあったんですか。」
光さんは、戦争の秘話にも詳しいのです。
さて、光さんが金属に詳しいとなると、どうしても知りたい事がもう一つある。
あの平原遺跡に眠る日の巫女は胸に水銀を入れた壺を抱えていた…。
るな 「じゃあ、水銀は?」
光さん「水銀があれば、金と銀が採れるね。」
るな 「そんなにすごいんですか。そう言えば昔は白粉や口紅も水銀で作っていて、それで水俣病になったという話も聞きますよね。」
光さん「そう。」
水銀の重要性にもう一つ、鏡を磨くのに必要だったそうです。
平原の日の巫女は鏡のコレクターだったので、それで鏡を磨いたんだろうか。
それとも、お化粧として持っていたのだろうか。
なんでも詳しい光さんに、もう一つ聞きたいのは、あの『竹内文書』に出てくるヒヒイロカネ。
るな 「ヒヒイロカネは?」
光さん「ヒヒイロカネは自然鋼。硬すぎて折れてしまう。」
ヒヒイロカネの存在を知る人も少ないと言うのに、その使い心地まで知ってるなんて…。
余りにも物知りなので、ルナも興奮して、さらに質問です。
るな 「じゃあ、餅鉄(べいてつ)は?」
光さん「餅鉄はヒヒイロカネとは違う。」
まいったなあ。なんでも知ってるなんて。
餅鉄は川で自然に見つかったりするものらしく、もちのように丸い自然鋼です。
これをヒヒイロカネだと言う人があるのを御存じなんですね。
「ふうん。鉄と言っても色んな鉄があるんですね。」
光さんはうなずきました。
そうか、おかげで色んな謎が解けた。
「葦原の水穂の国」とは「葦からスズ鉄が採れる国」という事なんだ。
遠賀川河口に砂鉄で作る芦屋釜という茶道具の名品があるのですが、これを現代に再現した人の話が新聞に載っていて、砂鉄だけでは、割れてしまうので大変苦労したと書いてありました。
昔の人の技術の素晴らしさを痛感したそうですが、もしかしたら、同じ鉄でも材料が違うんだ。
もっと上流に残っている、スズ鉄で作ったのが本来の芦屋釜かもしれない。
そんな事も考えながら、帰りましたが、はてさて、どうやってスズ鉄を検証したらいいんだ…。
それで、ネットで「スズ鉄・葦」を検索すると、「もりもりキッズ」さんのブログに写真入りで記事が出ていました。
川に油が浮かんでいるのを見た事がありませんか?
「こんな所に油を捨ててひどいなあ」とルナも思った事があるんですが、その油は鉄バクテリアの集まったもので、それが鉄を集めているそうです。
ですから、その葦の根を焼けば簡単に鉄が採れるんですね。
温度は野焼きで大丈夫だったらしい。
知らなかったァ。
でもね、これで日本神話の初めの神の名の意味が分かったよ。
「古事記」の冒頭の文です。
天と地が初めて別れた時、高天(たかま)の原に現れた神は
天の御中主((あめのみなかぬし)の神でした。
次に、タカミムスヒの神。
次に、カミムスヒの神です。
この三柱の神は、みな単独の神として、身を隠されました。
次に国土が出来たばかりで、水に浮かんだ油のように、クラゲのように漂っている時に、
葦の芽が牙のように大地を突き破って芽生えるようにして、出現した神の名はウマシアシカビヒコヂの神。
次に、アメノトコタチの神。
この二柱の神もまた、単独の神として、身を隠されました。
以上の五柱の神は特別な天(あま)つ神です。
この太字の部分をスズ鉄の出来るようすとして解釈すると、「それまで海だった所に次第に土砂が堆積して、国土が出来始めた頃に、川には鉄バクテリアが油のように浮かんで、クラゲのように漂っている時に、葦の芽が牙のように大地を突き破って芽生えるようす」を神格化したのが、「ウマシ葦カビヒコヂの神」という事になります。
「ウマシ」は「すばらしい」、「カビ」は「芽」、「ヒコヂ」は「中州」です。
組み合わせると「すばらしい葦の芽が生える中州の神」。
おお、なんとすっきりと訳が出来るんだい。
スズ鉄の氏族はこの葦の芽映えを心から待ち望みました。
この神は、中州が出来て、鉄が採れる葦が生えて来るようすを神格化したものでした。
こうすると、アマテラスのあと二人の息子の「天津日子根」「活津日子根」の根も葦の根を象徴しているのが分かります。
この砂鉄とスズ鉄の事については、真鍋大覚氏も詳しいのですが、さすが工学部の助教授らしく、化学式で説明されているんです。
鉄の鉱石成分はFe3O4とFe2O3の二種があって、日本には前者は無限に埋蔵されており、原料に事欠くことは絶対にないが、これを還元するには山林をあまねく伐採しなければならない。
しかし、後者はわずか少量で事足るが、産地が稀である。
これを言い換えると、砂鉄は火山の国、日本なので、無限に採れるのですが、木を沢山燃やすために、周りの森がすぐになくなってしまいます。
スズ鉄は葦の根を燃やせばいいので、木も少なくていいけど、河口の湿原地でないといけないので、遠賀川や信濃川など、産地が限られてしまう訳です。
スズ鉄は農耕には十分だけど、戦いの為の刀にすると折れやすいので、砂鉄の部族の方が有利だったのが分かります。
なるほど、これで、いろんな歴史的事件の謎も解けるんだ。
(パズルがカチカチとはまる音)
でも、今日はここらへんで。
今回は、思いがけず「ホの一族」の謎が解けたページになりました。
なお、「もりもりキッズ」さんから教えてもらった、古代鉄を知る本はこれです。
「古代の鉄と神々」真弓常忠 学生社 1997年刊これにスズ鉄の事が詳しく書かれています。それでは、「銀の冠」を見に行きましょか♪鞍手町歴史民俗資料館へ。
浦島の鰐に跨がる伊奈良かな 五島高資ー 場所: 雷電神社
雷電神社(らいでんじんじゃ)は、関東地方を中心に日本全国に点在する神社。一様に雷除けの神とされる(雷神社・スサノオとは別)
コメントのやり取り
亀じゃないんですかm(_ _)m
五島高資 和爾宮司さんが確かに鰐だと申しておりました。縁起が和爾 (柿本若子の祖先)・王仁に通じるのかもしれません。南方系と北方系の神話が混交したのかもしれません。坂東とはそいう土地柄なのでしょう。ちなみに因幡は人麻呂の終焉の地と云われる石見の近くですね。
因幡(鳥取県東部)の白兎伝説に言われる、ワニとはサメの事です。兎が島に渡りたく、数えてあげるからとワニを並ばせ騙して、それに怒ったワニに毛皮をはがれたと言われています。
五島高資 たしかに。龍亀かもしれませんね。
古代豪族の和邇氏は旧大和国の現在では天理市辺りを本拠としました。その後壬申の乱に手柄のあった氏族の流れは現在の滋賀県、琵琶湖の西岸小野川の北側に移ったようです。今でも琵琶湖の西岸「和邇」との地名が残っています。さてお写真の見事な透かし彫りの彫刻は、先般拝見したものですね?北関東に多いい雷様を鎮める為の雷電神社と推察致しますが、徳川将軍家からも篤く信仰されていて、神社の縁起は相当古いところと拝察いたします。伊奈良とは邑楽郡にある地名とようやく判りました。
五島高資 和邇氏は息長氏とも深い関係にあり、やはり琵琶湖西岸で水運や製鉄にかかわっていたと考えられます。瀬田川・淀川・紀伊半島、あるいは尾張から太平洋航路を開拓し、利根川水系へと版図を広げたのではないかと思います。この雷電神社の直ぐ近くには埼玉の津があり、交通の要衝として古代から発展していたのではないかと考えられます。
彫刻は本当に鰐(ワニ)なんですね!最初、因幡の白兎のワニ=ワニザメかと思いました。
五島高資 宮司さんからそう教えてもらいました。あるいは龍亀かもしれませんが不思議ですね。
http://www.webchikuma.jp/articles/-/1409 より
上垣外 憲一
7月刊行のちくま学芸文庫『古代の鉄と神々』(真弓常忠著)より、上垣外憲一氏による文庫版解説を公開いたします。本書の初版刊行が昭和60年のことですが、その後著者の学説を裏付ける考古学的発見もありました。本書で提唱されている論点のポイントや魅力を紹介します。
『古代の鉄と神々』が、ちくま学芸文庫から再刊されるとのことで、筑摩書房から解説をとのお話があり、喜んでお引き受けした。著者の真弓常忠先生には、先生が住吉大社宮司をされているとき、住吉大社に伺って、古代製鉄についていろいろとお話を伺ったことがある。
真弓先生はその時、泉南で得たという「高師小僧」、つまり低湿地に生ずる褐鉄鉱の塊(子供の頭のように見えるのが小僧の名の由来であろう)を見せてくださって、私の質問に答えてくださった。
先生の古代製鉄に関する説は、この『古代の鉄と神々』に先立つ『日本古代祭祀と鉄』を読んだ時から承知しており、私の古代史に関する著作に大きな影響を受けたと自認している。同じ学生社から、『古代日本 謎の四世紀』(平成23年)を書くにあたって、特に神武天皇の『古事記』、『日本書紀』の記述が鉄にかかわる部分が多いと気づいて、真弓先生からお話を伺おうと思って住吉大社を訪問したのであった。
高師小僧の語源は、百人一首「音に聞く高師の浜のあだなみは」の高師浜であって、今日も大阪府高石市にその名を残している。高師浜は、もちろん大阪湾に面しているが、大阪湾は、古い呼び名で「茅沼(ちぬ)の海」とも言い、神武天皇の伝説では、神武天皇の兄である五瀬命が敵の矢で傷を負ったとき、その血を洗った「血の海」、血海=「ちぬ」と呼ばれたことにその地名は由来するという。
なぜ高師小僧が大阪湾に面した地に産するか、ということと、なぜ大阪湾が血の海と呼ばれたかは、真弓常忠先生の本書、『古代の鉄と神々』を読めばたちどころに了解できるのであるが、そうでなければ、古代史に自分は詳しいと自負している人でも、到底理解できるものではない。
『古代の鉄と神々』の論点の核心は、日本の弥生時代には褐鉄鉱を原料とする「弥生製鉄」が存在したこと、そしてそれは、日本の地方の古い神社の祭祀から証明できるということである。一般に、日本の製鉄遺跡は早くて五世紀で、六世紀のものが多く、弥生時代にはごく例外的なものを除いて製鉄遺跡が発見されない。従って弥生時代には日本列島内ではごく少量しか製鉄は行われていなかったというのが、考古学界のこれまでの定説である。
それに対して、本書の主張は、遺跡が発見されないからと言って、製鉄が盛んに行われなかったという証明にはならない、褐鉄鉱は融解温度が低く、それを鍛造すれば鉄器は製作でき、それが弥生時代には沼地に生ずる褐鉄鉱を用いて盛んに行われていたとするものである。
高師小僧と同様の沼地に生ずる褐鉄鉱の塊は日本の各地で発見される。それが高師浜の名を冠するようになったのは、そこが都に近い、代表的な高師小僧の産地であったから、と言える。大阪府南部、泉州の山には鉄分を多く含む地層がある。それが雨を受けて流れ出し、その鉄分を含んだ川水が、河口付近、海に近く茅の生える沼沢地で滞留し、そこでバクテリアの働きで鉄分が茅の根元に凝集して、鉄のイオンの色、赤色を呈する。それが血の色の海、血海(ちぬ)の語源なのである。高師浜もそのような鉄分の流れ込む沼沢のあった海辺であり、子供の頭のような褐色の鉄塊、高師小僧の産地となったのである。
いまでは、珍しいもの、単なる愛玩物であるが、弥生時代においては、農業生産の根幹となる鉄器の原料として、最も重要な鉱物原料だったということなのである。
「すず」は今日では錫に当てられて、マイナーな金属の名称にすぎなくなっているが、古代においては、金属一般、特に鉄を指して言う言葉だったというのが、真弓常忠説であり、地名、神社の神名などの説明を多くの古社の例を引いて行っている。
その中でも最も根幹をなす考察は、諏訪大社の「鉄鐸」を用いた神事は、鉄鐸=すず=鈴を振り鳴らすことで、沼沢地に生ずる褐鉄鉱の盛んな生成を願ったもの、とする説である(本書「三 鉄輪と藤枝」)。諏訪大社のような、出雲神話にも登場する地方の重要な神社の神事には、弥生製鉄と結び付けて説明できるものが多々あるという。
同様に、金属精錬と神社の関わりを説いたものに谷川健一『青銅の神の足跡』があるが、青銅以上に重要な、古代国家にとっても最も重要な金属であった鉄と日本の古社の祭祀の関わりを説明する本書の重要性は、『青銅の神々の足跡』を超えるもの、と言わねばならない。
日本の神社の中でも最も重要な社、伊勢神宮についても、その五十鈴川の名前について、「鈴」は鉄であり、この川で鉄原料が採取されたことに由来するとしているのは卓見である。大和朝廷にとって最も重要な神体山、三輪山についても、三輪山は鉄の産地であり、そこから流れる伊勢神宮と同じ名前の五十鈴川が鉄資源を含んでおり、それが、三輪山の神聖性の根源である、とするのも、神職にある研究者としては、まことに革新的な説と思われるが、それは真弓常忠先生の真骨頂である。「祭祀学」という言葉を本書で使っておられるが、「古代祭祀」の考証を実証的に綿密に重ねていった結論であって、私は全面的に賛意を表するものである。
皇室の祖神である「ホノニニギノミコト」のホは、穂の意味に解されて、皇室の祭祀が稲作と関わりの深いことと説明するのが普通である。しかし、本書において、天孫降臨神話に現れる神名、たとえばホアカリノミコト(火明命)を、製鉄にとって最も重要な、火が明るく(つまり非常な高温で)燃え盛る状態を表すとして、製鉄神と解するのも私には素直に理解できる。稲作に最も重要な農具が鉄で作られること、そこに皇室の祖神の性格を読み取るのである。従って、本書の古代祭祀において製鉄を重視することは、皇室の祖神の性格が、稲作ではない、と言いたいのではなくて、「稲と鉄」が皇室祭祀の両輪であることを、主張していると言い換えることができる。
皇室の祖神の大本、イザナギノミコトについても、鉄鐸の「鐸」がサナギと読まれ、イザナギ、イザナミの語源である、と本書ですることにも、私は賛成である。先にあげた『謎の四世紀』では、神武天皇の出自について、皇室祖神のイザナギを祀る淡路国一宮の主祭神がイザナギであることと、近くで発見された鉄の鍛冶工房遺跡、五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡との関連で私は考えた。イザナギが鉄にかかわりのある神である、という点で私は真弓先生に賛成である。
本書の最初の刊行(昭和60年)が、五斗長垣内遺跡の発見(平成13年)にはるかに先行するものであることは、本書の先進性を物語って余りある。考古学が、真弓先生の祭祀学を後追いしているのである。
本書の提出した仮説で、いまなお論争となるであろうことは、銅鐸の用途が、沼地の褐鉄鉱の生成を願う鉄鐸と同様の神事のためであったという点であろう。私は、個人として真弓常忠先生に賛同するものであるが、多くの人々が議論に加わって、銅鐸祭祀の真の姿の解明を行ってほしいと願うものである。
手近にある地名、近くの神社の社名、神名の起源が、本書を読んで、なるほど、と明らかになることは、私を含む読者が体験することである。それによって、まず本書の信頼性を確認し、地方の伝説、地名と鉱産物の関係の解明を進めるならば、謎多き日本の古代社会の姿が次第に具体的に浮かび上がってくるであろう。その期待を記すことで本書の解説を結ぶこととしたい。
https://jumgon.exblog.jp/15138704/ 【わが国の鉄の歴史・スズについて】
真弓常忠「古代の鉄と神々」によれば
銅鐸が姿を消して弥生時代が終焉し、古墳時代がはじまったのは、スズを採取しての原始的鉄生産から、砂鉄を採取する方法を会得したことによる、と謂われている。その後のいっそう大規模な製鉄技術は、天日槍などの神の名で語られる帰化系の技術者によって飛躍的に増大し、それは畿内では四世紀後半から五世紀初頭にあたる、と思われる。
今回は今まで断片的に述べてきた「スズ」についてまとめてみよう。
*ここでいうスズは(元素記号 Sn)のスズではない。褐鉄鉱を意味しています。
「みすずかる」は「信濃(しなの)」にかかる万葉集の枕詞です。「みすず」は「み」+「すず」で,「み」は貴重な鉄の原料である「すず」の美称です。
「すず」とは、古代より製鉄の原料として、温泉地帯の湿地帯に生える植物(葦や茅,薦等)の根に,ある種の鉄鉱石(褐鉄鉱)が付着した塊をいいます。
この 「すず」は、"たたら"製鉄より古い製鉄方法によって、"たたら"より低い温度(土器を焼くくらいの温度)で精錬された。
特に信州(信濃)などで盛んに行われました。またこれらの「すず」をつける植物群も「すず」といいました。だから「みすず"刈る"」です。
この根は鉄鉱石成分が付着しどんどん成長し、中が空洞になると同時に小さな塊が残り、振ると音がします。これが本来の「すず(鈴)」です。この「すず」は成長するのに、数十年以上の長い時間がかかりました。現代でも、神社などで鈴を鳴らすのは、この「すず」がたくさんとれるように、と祈った名残りです。
また葡萄の房のように、この鉄鉱石の「すず」がたくさん付いた状態を「すずなり(鈴生)」という説があります。
◎日本建国神話中の建御名方神 が諏訪にまで逃げていったのがわかった!
私はただ遠いところへ逃げた、といい加減に解釈していた。
信濃、諏訪は「すず」が採れるところだ。
*建御名方神は原始的なスズによる製鉄でなく、「神穴流し」、すなわち砂鉄による初期製鉄を行ったように 思われる記述もある。
日本建国神話中の建御名方神wikiより
建御雷神が大国主に葦原中国の国譲りを迫ると、大国主は息子の事代主が答えると言った。事代主が承諾すると、大国主は次は建御名方神が答えると言った。
建御名方神は建御雷神に力くらべを申し出、建御雷神の手を掴むとその手が氷や剣に変化した。
これを恐れて逃げ出し、科野国の州羽の海まで追いつめられた。建御雷神が建御名方神を殺そうとしたとき、建御名方神は「もうこの地から出ないから殺さないでくれ」と言い、服従した。
なお、この神話は『古事記』にのみ残されており、『日本書紀』での葦原中国平定にあたる部分に彼の名は見えない。
*このスズの例として。高師小僧があります。
http://www.geocities.jp/tyuou59/index2.htmlより
愛知県指定天然記念物の褐鉄鉱(かってっこう)のこと。
豊橋市の高師原(たかしばら)で多産したことからこの名前が付けられています。
愛知県の天然記念物 : 高師小僧
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(豊橋市地下資源館より)
◎色々な形になるらしい。鈴の形のイメージはない。
成分は鉄と土です。
鉄分を多く含む水の葦原ではバクテリア(鉄細菌)が葦の茎に付着して、葦の腐敗にともない有機物を取り込む一方、水中の鉄イオンを酸化することでエネルギーを獲得しその結果の褐鉄鉱が植物の周りに沈積したと考がえかたが有力です。
この高師小僧は、砂鉄等とともに、古代の鉄の生産原料の一つであったと考えられます。
豊橋を中心に、地名を探ると、諏訪とか須賀とか産鉄地名が多く認められます。
鈴なりということばは、この葦などの茎に鉄分がこびりついている様子からきたという説が有力です。
青森県岩木山北麓 巖鬼山神社にこんな鈴があるのを見つけました。
これはスズ鉄ができる様子を表わしたものではないでしょうか。
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青森県岩木山北麓 巖鬼山神社 : 坂上田村麻呂が再建した神社
この地区には鬼神社など鬼にちなんだ神社が結構あります。また鬼伝承も色々有り、鬼が水路を作ってくれた話とか、村娘をお嫁にほしいと言って、刀を10振り作ったら嫁にやるといわれたので一生懸命つくったら、その一振りを隠されてしまい、泣く泣くお嫁にもらうのをあきらめた話などがあります。
もともと、鬼伝承の有るところには産鉄がおこなわれていた気配が濃厚で、鉄をとるという作業は山を伐採し炭をとるので、川の氾濫を招いたりし、稲を作っている人たちとは生活上相容れないようなところがあり、産鉄に携わる人たちを鬼と呼んで、嫌ったり避けたりしたようです。
◎以前に紹介したスズ石(鳴石)も褐鉄鉱です。重複しますが再度記しておきます。
北海道名寄市の鈴石
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国指定の天然記念物で、直径3~6cmの球状の石で、
振るとカラカラと鈴の音がするので「鈴石」と呼ばれています。
核となる粘土などに鉄分が殻のように巻き付いてできたと考えられる褐鉄鉱の一種で、内壁の小石が剥離して 中で動き音をだします。
指定地周辺の土中に包蔵される拳ほどの大きさのものが多い。
◎吉野座王像の蔵王権現の胸に飾ってあったアクセサリーには鈴がついていた。わたしはこれが気になっていた。この鈴・スズは「スズ鉄」を表現しているのではないかと思う。
修験道は鉱山と関係があるという説があるのです。
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でもこの蔵王権現が造られたのは天正20年(1592)です。
今ある蔵王権現坐像は役行者が桜に刻んで、山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に祭祀した蔵王権現の形を踏襲しているのではないかと思います。
◎これは私の個人的な考えで、正しいかどうか分かりません。
■褐鉄鉱から磁鉄鉱へ
葦や薦の水辺の植物の根に「スズ」のなるのを気長く待って鉄を得ていたわけであるが、砂鉄を採取することを知って、鉄器の生産は著しく増大し、ここに弥生時代は終焉し古墳時代となる
古墳時代の文化は鉄器によって作られた。それと共にその頃より帰化系技術者(韓鍛治)の渡来もはじまった。
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