旅の日(5月16日・奥の細道出立の日)
二荒山さらに芭蕉のやどりかな 高資
(二荒山=男体山=黒髪山=大国主命=日本最古の医神)
蒲の穂や青人草の幸(さきは)える 高資
おほなむち兎へ光手向けたり 高資ー 場所: 出雲大社
出雲大社月始祭
さきみたまくしみたま身に入みにけり 高資
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【日本の医療と,再生医療の発祥の地を訪ねる】 より
第34回日本神経治療学会総会@米子の帰りに,日本の医療と,再生医療の発祥の地である出雲大社と,赤猪岩(あかいいわ)神社に立ち寄った.つぎのことを書いてみたい.
1)日本にも,ギリシャ神話のアスクレピオスのような医療・看護の神はいるのか?
2)日本で最初の医療行為はなにか?
3)「因幡(いなば)の白兎」の神話から,医療者は何を学べばよいのか?
4)日本初の再生医療はどこでどのように行われたのか?
1)日本にも,ギリシャ神話のアスクレピオスのような医療・看護の神はいるのか?
出雲大社の祭神である大国主命(オオクニヌシノミコト)が,日本の医療の神,医薬の祖と言われている.つまり日本の医療発祥の地は出雲である.大国主命は,日本の国土を開拓したことや「縁結びの神」としても有名である.
2)日本で最初の医療行為はなにか?
出雲大社の参道脇に,大国主命と兎の像があった
この兎が「因幡の白兎」である.隠岐の島から対岸の因幡へ渡るために,兎はワニに「お前と私とでどちらが仲間が多いか競争しよう.多くの仲間を集めて対岸まで一列に並びなさい.私がその上を走りながら数えて渡るから」と言ってだましたのだ.ワニの背中を跳びながら渡り,あと一歩でたどり着くというところで,兎は「お前たちはだまされたんだぞ」と高笑いした.怒ったワニは兎を捕まえ,その皮をはがしてしまう.痛くて泣いているところに通りがかったのは,因幡の国に八上比売(ヤガミヒメ)という美しい姫がいることを聞きつけて,求婚のために出雲から因幡に向かっていた八十神たち(ヤソガミ;大国主命の兄弟神たち)であった.「海水で洗って,風に吹かれていると良い」など嘘の治療法を教えたため,ひびが割れて痛みが悪化してしまう.そこに八十神たちの意地悪で,大きな荷物を持たされた大国主命が遅れて通りがかり,「河口の水でよく洗ってから,蒲の穂の上で寝なさい」という治療を授けたところ,痛みは消え,兎は深く感謝した.
実はこれが「日本で最初の医療行為」と言われているエピソードなのだ.河口の水は,海水と川水が混ざった,いわゆる汽水で,塩分濃度は生理食塩水に近く,さらに蒲の穂は,蒲黄(ほおう)という名前で現在も生薬として使用され,傷口ややけどに直接散布して,収斂性止血薬として用いられるのだ.
3)「因幡の白兎」の神話から,医療者は何を学べばよいのか?
「因幡の白兎」の神話を,医療者は知っておくべきとよく言われる.まず「間違った治療を行ってはいけない,正しい治療を行なうことが大切である」ことを伝えている.そして,ワニを欺いた自業自得の白兎であっても,それを咎めず,「誰に対しても公平な医療を行う」という医療の根本を伝えている.ヒポクラテスの誓いの3番め「私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり,悪くて有害と知る方法を決してとらない」と,7番め「いかなる患者を訪れる時もそれはただ病者を益するためであり,あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける.女と男,自由人と奴隷の違いを考慮しない」に通じるものといえる.
4)日本初の再生医療はどこでどのように行われたのか?
古事記に記されている「因幡の白兎」の話には続きがある.兎は実は,八上比売の使いであって,姫に,八十神ではなく大国主命を夫として選ぶよう忠告をする.そして姫は忠告通り大国主命を選ぶのだが,逆恨みした八十神たちは大国主命を殺害する計画を立てる.因幡から出雲に帰る途中の手間の山の麓にさしかかった時,八十神は大国主命に「この山に赤猪がいる.俺達が追い出すからお前は待ち伏せて捕まえろ」と言い,大猪と偽って,真っ赤に焼いた大岩(赤猪岩)を転がして落とす.これを受け止めた大国主命は焼き潰され,絶命してしまう!これを知った母親の刺国若姫命(サシクニワカヒメノミコト)は嘆き悲しみ,天の生成の神である神産巣日之命(カミムスビノミコト)に嘆願したところ,蚶貝比売(キサカヒメ;赤貝)と蛤貝比売(ウムギヒメ;はまぐり)を遣わした.二人の姫神は,赤貝の貝殻の粉を,ハマグリの汁で練って,大国主命の皮膚に塗るとなんと再生して蘇り,むしろ以前より男らしく生まれ変わった.つまり大国主命自身も医療行為を受け,再生したわけである.これが日本における最初の再生であり,その地に立つ神社が,赤猪岩神社である
大国主命の殺害に使われた大岩は神社の後ろにある.ただし地上にあってこの地を穢けがさないように,その周りには柵さくが巡めぐらされ,しめなわが張られて,土中深く埋められ,その上は大きな石で幾重にも蓋がされていた
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また2人の姫神は,出雲大社本殿隣りの天前社(あまさきのやしろ)に,看護の神として祀られている.ちなみに貝から作った薬は,「八上薬」として山陰地方ではやけどの特効薬として使用されている.殻の炭酸カルシウムと,蛤からのタウリン(抗酸化作用)が効くと考えられている.これらの神話は,古事記が記された712年よりも数百年前の話と考えられているが,そこに記された医療行為は理にかなっていると感心させられた.もし出雲大社に行かれることがあったら,日本の医療の発祥の地でもあることを思い出していただければと思う.
https://www.yomeishu.co.jp/genkigenki/crudem/170830/index.html
【“人間は考える葦である”で有名な「アシ」】より
「蘆根(ロコン)」の名で知られる生薬
至るところに見られるアシは、休耕田にすぐ繁殖するため、厄介者の印象が強い植物です。
その一方、かつて農家では、農閑期にアシを刈り取り、すだれ用に出荷したり、屋根材や壁材、燃料、肥料などに幅広く利用しており、生活になくてはならない植物でもありました。
『古事記』(712年)に、「この豊葦原の千秋の長五百秋の瑞穂の国」という記載があるように、古くから日本人とアシには深い結びつきがありました。
アシは北半球の気候温暖な地方の湿地や川辺、湖沼の岸などに野生するイネ科の大型多年草です。高さ2~3mに成長し、大群落をつくります。黄白色の根茎は扁平で、泥の中に横たわっています。茎は堅く中空(中が空洞)です。若葉のころは一斉に生育する新緑の美しいアシ、夏には黒ずんだ濃い緑の青アシ、秋には茎の先に大型の円錐花序を出し、雄大な淡紫色に輝くアシの穂の変化を楽しむことができます。
アシは昔から多くの詩歌にも詠まれてきました。
和歌の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る 山部赤人
葦刈の 早これまでと 夕暮れぬ 草野駝王
アシの植物名について、牧野富太郎博士は「日本名のアシは捍(ヨシ)の変化したものだろう。これをヨシというのは、アシが「悪し」に通ずるのを嫌ったからである」と述べています。
漢名は「蘆」が正式で、別名に「葦」「芦」「浪速草」などがあります。万葉時代(645~733年)には、もっぱら「アシ」と呼ばれ、文字には「葦」「蘆」「葭」「安之」が用いられていました。「浪速草」は、水の都と呼ばれる大阪に多く生育していたことから、大阪府の郷土の花にもなっています。学名は「Phragmites australis」で、垣根状に生える姿から、属名は垣根を意味するギリシア語の「Phragma」です。
17世紀のフランスの哲学者パスカルは、「宇宙の無限と永遠に対し、自己の弱小と絶対の孤独に驚き、大自然に比べると人間は一茎の葦のようなもので、最も弱い存在である。しかし、人間は単なる葦でなく『考える葦である』」という名言を残しています。それにちなんで、「考える」「哀愁」「音楽」がアシの花言葉になっています。
アシは薬用にも使われており、根茎は「蘆根(ロコン)」という名の生薬として、利尿、消炎、止瀉などに煎じて用いられてきました。また、春先のアシの新芽は、食用にも使われていました。
出典:牧幸男『植物楽
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