水煙に澄みゆく空の高さかな 高資
本日、金剛界結縁灌頂を授かりました。ー 場所: 高野山 金剛峯寺
2014年10月12日 · 和歌山県 伊都郡 ·
これは二年前のちょうど今ごろ、金剛界結縁潅頂を受けるため参詣した際のものです。
空海の時代は登攀するのも大変だったと思いますが、「南山の松石は看れども厭きず、南岳の清流は憐れむこと已まず」と詠んだ空海の思いが分かるような深山幽谷でした。谷を渡りまた山を登る、而して高野の聖地に極楽浄土を感得するのでしょうね。
http://nagoyakochan.cafe.coocan.jp/TRAVEL/FIMAT170530koyasan.html
【FIMATで行く高野山】 より
【高野開創】
出会いから四半世紀、今回は新緑に包まれた高野山に向かいます。
「南山の松石は看(み)れども厭かず、南嶽の清流は憐れぶこと已まず」
「春の花、秋の菊、咲(え)みて我に向かう、暁の月、朝の風、情塵(じょうじん)を洗う」
これは空海の性霊集(しょうりょうしゅう)に収められた詩の一節です。
桓武天皇の皇子・良岑朝臣から、都の生活は素晴らしく、とても楽しいものですよ、なぜ辺鄙で不便な高野山に籠もっているのですか?と問われたことへの回答です。
7世紀、吉野金峯山寺を開いた修験道の開祖・役小角(634-701)。8世紀、白山を開いた越の大徳・泰澄(682-767)。これら先人も深山を修行の場としました。 9世紀初頭、高野に分け入った求道者・空海(774-835)もしかりです。
弘仁7年(816年)6月19日、高野山開創を願い出た空海の上表文に、高野の平原を見つけた頃の回想が残っています。
「少年の日に好んで山歩きしたが(高野山は)吉野山から南に1日、さらに西に向かって2日ほどの距離にある」
「平原の幽地になっている高野山は、四面が高い峰続きで、人の通るような道がない。修禅の場として最適と思われるので、なにとぞ下賜願いたい」とあります。
翌7月8日、嵯峨天皇の勅許がおり、高野山の下賜が決まりました。長安から帰国して10年目のことでした。
弘仁8年(817年)は、奇しくも今から1200年前になりますが、二人の若い僧が仲間を連れて高野山に分け入りました。季節は丁度今頃かもしれません。
二人の僧は、泰範(たいはん)と実恵(じちえ)と言います。実恵は佐伯氏の出身で大師の親戚です。もうひとりの泰範は、この頃空海の信任が最も厚かったお弟子さんです。近江高島の人で778年生れか?という程度で没年も未詳です。始め最澄の弟子で比叡山総別当を勤めたこともある高弟でした。最澄の誘いで、弘仁3年(812年)高尾山に登り空海からそろって胎蔵界灌頂を受けましたが、泰範だけは師匠が帰ったあとも高尾山に残り、翌年金剛界灌頂を受けました。泰範はそれ以後も比叡山には戻らず空海の弟子になりました。両巨頭が不仲になる原因となった事件です。
(略)
燈火の星とゆらめく御影供かな 高資
空風に地水の炎える五鈷杵かな 高資
https://kekj.info/report.php 【結縁灌頂】 より
およそ1200年前、弘法大師・空海が長安にて恵果和尚けいかかしょうより授けられた結縁灌頂。
弘法大師が投じられた華(花)は、いずれも大日如来の上に落ちました。師からその弟子へ、さらにその弟子へ。脈々と受け継がれて来たその儀式に、私たち一般人が参加できる……。 「えっ? それってすごいことじゃない? 本当にそんなことが可能なの?」というのが正直な印象でした。それは僧侶にならないと、受けられないと思っていたからです。しかも宗旨・宗派を問わず、誰でも受けられるとのこと。
高野山結縁灌頂は年に2回あります。5月に行われる春季胎蔵界たいぞうかい結縁灌頂と、10月に行われる秋季金剛界こんごうかい結縁灌頂です(東京別院は4月と11月に予定)。
聞けば、知る人ぞ知る人気ぶりで、高野山では最近まで整理券を求めて朝から並んだのだとか。しかも、朝から夜遅くまで待っていた人も多かったそうです。
それが、今ではチケットぴあにて事前予約できることになり、家のパソコンやスマホからでも予約可能に。これは画期的です。
体験取材に伺ったのは春季胎蔵界結縁灌頂。集合場所は高野山の「金堂」です。多くの参加者に混じって一人で受けることになりました。 決められた時間に金堂前に着くと、すでに同じ時間に受ける人たちが並んでいました。靴を脱いで回廊を歩き、金堂に入る前に簡単な高野山の説明があります。簡単といっても、まったく知らなかったことも教えてもらい、期待はどんどん高まります。
金堂に入ると中は薄暗く、同じ班の人たちと席に座ります。20~30人くらいでしょうか。堂内からは真言の声が聞こえ、前の班の人たちがまさに儀式のまっ最中。
やがて、僧侶の説法が始まります。しかし、感動的なお話で、内容が良かっただけでなく、何かが違うのです。それを言葉にするのはとても難しいのですが、1200年続く“長い歴史の中にいる”という感覚でした。
説法が終わり、阿闍梨様から戒律と、結縁する際に必要な真言や印を授かります。そして、受者一人ひとりが仏さまになること、仏になって世の中のために尽くすことを教わります。そこで、この儀式が本当にすごいものだということを再認識します。
密教が初めての人には分かりにくいかもしれませんが、これは「即身成仏そくしんじょうぶつ」という言葉を理解するとよく分かります。つまり、生きながらにしてそのまま仏さまになること。仏となって世のために働くことです。仏さまになることはゴール地点ではなく、この世の中のために働くスタート地点なのです。
自分も仏さまになる。それは、仏さまと縁を結んでいただくための、最低限の礼儀なのかもしれません。
その後、班全体で違う場所へ移動。堂内には大勢の人が結縁灌頂をしているのか、少しずつ儀式が進行します。その間、高野山の僧侶をはじめ、参加者たちの真言しんごんが金堂内を埋め尽くします。真言が堂内で反響し、エフェクトされていく。結縁灌頂が神秘的といわれるゆえんです。
とにかく、こういう儀式へ初めて参加する私には、体験したことのない神秘的な儀式。日常のそれとは全く別次元のわくわくドキドキ感です。
次の場所に移り、いよいよ教えてもらった印を組みながら、真言を唱え始めます。そして、その次の部屋からはなんと、目隠しをして歩くことになります。 両手は印を組み、樒しきみを指で挟み、真言を唱えながら前へ進むのです。しかし、目隠しをしているので、前の人の背中に指を当て、その感覚をたよりに歩くことになります。
ただ、心配することはありません。僧侶が優しく導いてくれます。前の人の背中から指が離れてしまっても、そっと僧侶の方が手を貸してくださいました。
真っ暗な空間でずっと真言を唱え続けていると、いつの間にか自分が“個”を超えて、その場と一体となっていく感覚を覚えます。自分が違う世界へ、一歩入ったことが分かりました。今まで体験したことのない新鮮な体験なのだけど、どこか懐かしいというか。弘法大師からずっと続いてきた歴史の中にいることは確かでした。敏感な人ならもっと良い表現が見つかるかもしれません。
やがて、僧侶に誘導され、ある場所に到着します。そこで両腕を伸ばし、樒を落とすのです。そうです。これこそ弘法大師が唐の都・長安でされたという「投華とうけ」です。
何も見えませんが、そこには曼荼羅が置かれ、自分と縁を結んでいただける仏さまがいらっしゃるはず。そして、ついに目隠しを外され、僧侶に勧められて目を開けます。そこには……。
外へ出ると、降っていた雨も上がり、清々しい壇上伽藍がそこにありました。いつもの世界へ帰ってきた感覚といいましょうか。まるで夢を見ていたかのような時間でした。
結縁灌頂のお守りなどを授かり、すべて終了。所要時間の1時間半はあっという間に過ぎていきました。
じつは高野山では何度も参加しているリピーターの方が多いのだとか。まさに同感! 一度参加すると、また参加したくなる。そんな儀式なのです。
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