古墳時代

みささぎの空へとつづく枯野かな  高資

みささぎや風をまとえる冬木立  高資


前二子古墳ー 場所: 大室古墳群

前二子古墳は豊来入彦命の陵墓かもしれないとのこと。命の名前が意味深ですね。

関東にはニギハヤヒの命の痕跡も多くあるらしいですが、日本史の謎を解くことにも繋がりそうですね。


五島高資 前方後円墳です。直ぐ近くに中二子古墳などもあります。良き週末を!!

みささぎに道草を食う冬日かな  高資

 大室古墳群(国指定史跡)

五島さんの写真には焦点があるような気がします。何気なく取られたと思える写真ですが、左奥の木の方に吸い込まれます。<m(__)m>

五島高資 造出と呼ばれるあたりかもしれませんね。祭祀を執り行う特別な場所です。この世とあの世の結節点ですね。

五島高資 国指定だけあってとても立派な古墳です。それにしても往時の莫大な資力と労力と想像力が偲ばれます。

下野は前方後方墳が多いですが何か理由があるのでしょうか??

五島高資  前方後方墳は那珂川水系に多いのが特色です。下野でも思川や鬼怒川水系では前方後円墳が多く見られます。つまり、両毛において利根川水系に前方後円墳が多いことになります。神社の種類も河川によって異なるようですので、当時の文化圏は河川と深い関わりがあるようです。

 よく整備されている古墳ですね。つい道草の気持ちよく分かります。特別史跡には基本的に建造物を建てることができません。このような景色理解できます。稲沢市のあたりでも、明治の中頃まで、工場への物品の搬入搬出、思い瓦や醤油等、小さな三宅川を遡った水運の記録が残っています。古代の遺跡と河川は不可分です。古墳が多いのは、水系の社会構造の問題だと思います。両毛は非常に多い地域ですね。

五島高資 、古くは縄文時代から太平洋と河川を経由した交通があったようですね。重い物などを運ぶ際に水運は便利だったんでしょうね。明治時代、栃木の田中正造も渡良瀬川経由の汽船で上京していたと聞いています。


役行者も夜に一言主大神を使役したそうですね。神仏の世界は不思議です。この前二子古墳はアーネスト・サトウが調査研究しています。

みささぎは、山稜(やまとおか)の意もあり、特に巨大な前方後円墳だけに崇神天皇の皇子で下野毛氏の祖・豊城入彦の御陵である可能性は高いですね。

当時、奈良を凌ほどの渡来系文化による一大国家が存在した可能性があります。群馬県だけでも三千基の古墳があります。また栃木県那須には前方後方墳が多く別の国家体制があったのかもしれません。

愛知県春日井市には二子山古墳があります。きれいな公園になっていますが以前は盗掘や自衛隊の飛行機墜落でかなり痛んでいたようです。三河安城にも二子古墳があります。きっとあちこちにあるのでしょうね。

しかしこの古墳は美しいです。


五島高資  二子玉川河畔は高麗人の開発によるものだと思います。両毛地区は、新羅か百済系ではないかと思います。いずれにしても渡来系の文化文明が発展していたことは間違いないようです。

五島高資  古地名に多い二子には特別な意味がありそうですね。群馬県の古墳管理はとても良く手が行き届いています。栃木県那須の上侍塚古墳は徳川光圀による発掘調査で有名ですが、その後きちんと現状保存を図ったところが素晴らしいと思います。http://www.ohtawara.info/spot/pix/sakuraituka-2b.jpg

冬の日を入れて林の社かな  高資

日を入れて太敷き立てる冬木かな  高資

天つ日や空を支える冬木立  高資

 大室古墳群(国指定史跡)ー 場所: 大室古墳群

五島高資  北関東に大きな古墳がたくさんあるのに改めて驚きます。古墳時代にしてかなりの国家的機構が確立していたのですね。

本当に当時の毛野の国の力は西の吉備や出雲に負けぬほどだったと思いますね。

五島高資 信州の安曇野なども海人・安曇族によって繁栄していたようですね。世界地図を俯瞰すると日本の関東はまさに東の果てですから、色々な文化文明の吹きだまりだったんでしょうね。

なるほど、壮大なものの見方です。ちなみに五島さん、網野善彦の言うように日本を含む極東の地図を上下(つまり南北)逆さまにして眺めたことありますか?世界観が変わりますよ(*^_^*)

五島高資 たしかに逆さまだと不思議な感じですね。以前、東を真下にした世界地図を見たことがありますが、それをパチンコ台に見立てるとちょうど日本列島あたりに玉が全部戻ってくると説明されていたのを思い出しました。

五島高資 シルクロード、シベリア、マラッカ海峡など、色んな所を経由して玉が落ちてきます。長安の入賞口に玉が入ったら真言密教が伝来したのかもしれませんね(笑)

 


みささぎに幾たび沈む西日かな  高資

 塚山古墳(兵庫塚古墳)・全長約100メートルの剣菱形前方後円墳 宇都宮市西川田ー 場所: 塚山古墳

宇都宮にはこうした大型の古墳がたくさんあります。関西における皇族の古墳と同じ剣菱形前方後円墳であり、皇族に近い有力者のものと考えられています。また、前方後方墳が多い那須地方は那珂川水系に発達した別の文化圏の存在が考えられています。那須国造碑に、当時、奈良の都でも知られていなかった永昌元年という唐の年号が刻まれていることもその証左です。

忍城の近くにも三成が堤防に供したさきたま古墳群がありますね。那須には、水戸光圀が調査した整備した上侍塚古墳などがあります。関東には奈良に比肩するほどの文化文明があったと考えられます。森浩一先生が関東学を興された所以でもあります。

穴はみな南を向いて梅雨晴間  高資

 長岡百穴古墳・宇都宮市


不動明王・長岡百穴古墳

古墳時代後期、岩を掘って造った墳墓らしいです。埼玉の吉見百穴が有名ですね。

 なるほど、やっぱり。東国にはこのパターンが多いのかな?

五島高資 畿内の前方後円墳とは違い、那須国では、前方後方墳が多く、直接、日本海や太平洋を介した大陸文化の移入によって中央とは異なる一大文化圏があったようです。那須国造碑が中国の元号である永昌を用いているのもその証左とされます。因みに、この碑が出来た頃、奈良ではまだ唐の古い年号しか知らなかったようです。

してみると畿内には少なく下野あたりに多い前方後方墳もやはりヤマトと別の文化圏を主張していた証しでしょうか。

五島高資 御意。関東学を提唱している森浩一先生もそのように考えておられます。

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