アラハバキ

アラハバキとは? インターネットでは「雪の反射光から目を守るため遮光眼鏡をかけた土偶」と紹介されていますが 今日的には遮光眼鏡は鉄鋼・造船・建設・製鉄などでの溶接・溶断作業及び有害光線が発生する作業から目を保護するためのものと考えられます。

https://jiiji1941.at.webry.info/201607/article_3.html

アラハバキとは

トヨタマヒメ富士日記の愛読者の一人ですが、今日読んだ昨日の4日の記事「あさま、アテルイ、アラハバキ」はいい勉強になりました。

遮光土器は宇宙服の土器というイメージで見ていましたが、縄文人のアラハバキという名の神の土偶だったという話です。

弥生初期に鉄の文化とともに渡来したアラハバキ信仰、という記事がありました。縄文の神という説とは違う説のようです。遠く南アラビアからインド、中国を経由して、日本につたわったという説です。

抜粋ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここから時代は遡ります。

古代インドにあったアラハバキはさらに遡れば南アラビアに根源がある。

南アラビアからインドに移動して来た、アーラヴィと呼ばれる一団が「その信仰を持っていた。

だが、アーリア族の侵攻で一土俗信仰となり、ついでインド仏教の雑蜜成立にともないヒンズー教その他の諸神とともに仏教の守護神という、いわば外道の神に位置付けられた。

それが中国には、インドから移動して来た、雑蜜系の僧によってアラハバキ神がもたらされ、さらに道教と習合して大元帥明王という呼び名に変身した。

その変化をいち早く知った渡会氏は、古代アラハバキを大元神という最高神に仕立て大和朝廷に抵抗を続けた古代アラハバキの信仰を持って渡来した古氏族も朝廷の暴挙に不満を持ちアラハバキ大元神に替えてギリギリの自己主張をしたのである。

籠神社の先代宮司海部穀定氏が生涯をかけた研究「神代並上代系譜略団記(深秘相伝)」巻頭には「天照大神は国常立尊すなわち大元神の所顕であらせられる」とアマテラスが人格神でないことと、国常立は大元すなわちアラハバキであるとことを明記してある。

この一連の海部氏の秘伝は「記紀」が明確に記すことを避けた神の素性に関わる疑惑に明快な回答を与えるとともに日本古代史の再考を促す超一級の証書であり資料である。

アラハバキの信仰は弥生時代のごく初期、あるいは縄文時代のごく終わりの頃に渡来したものである。

そしてその原点が南アラビヤのヤマン地方にあり、アラハバキの語源は最高の神の意味である。

古代アラビア語の「アラハバキ」からきている。

かつて、中山太郎氏は「アラハバキ神は天孫族が、我が国に渡来する以前に、先住民族によって祭られた神、すなわち地主神である」という鋭い指摘をしたが(日本民族学②大和書房) それ以上の追求は出なかった。

私も以前そう思っていました、またアラバキ族とかアラハバキ族という言葉も耳にします。

おそらくこの信仰を持っていたものを総称して表していた言葉なのでしょう。

時代が下れば、これも否定はできないと思います。

しかし、ここで述べているのはどこから発生したのかを追求していますので、もっと遡って考えましょう。

    南アラビヤからインドへ

南アラビヤからインドに入って住み着いた一団は、その後アーリア系の侵入で森林広野に住んでいたので「アーラヴィ」 (林住族)と呼ばれたことが、紀元三世紀のインド・マウリア王朝の宰相カウテリアの著書「実利論」に出てくる。

    インドから中国へ

アラハキ神はシルクロード経由で雑密僧によって中国西北部の?奴に入った。

中国本土では三世紀の三国時代(220~280)西域の雑密僧によってアラハバキを含むプレ雑密僧文化が「呉」に入り江南を中心として中国全土に広がった。

8世紀の唐代(618~907)密教教典の訳出が行われた。

この時代には、音写ではなく義訳による漢訳教典が続々と現れて、「元帥」「大元帥」の形になって行きました。

この漢訳教典は宮廷に設けられた内道場で、?命により秘訳されたということは、皇帝以外には行うことが許されない秘法であったことを物語る。

この時点でアラハバキ神の性格は護法神から国家鎮護の「大元帥明王法」として皇帝独占の秘法へと変わった。

(通常大元帥明王は「帥」の字を読まず「だいげんみょうおう」とよんでいる)

 

    中国から日本へ

9世紀になると中国で漢訳された密教経典や道教と習合した大元帥明王法は遣唐使により日本へもたらされることになった。

小栗栖(オグルス) 承和4年(837)に請来(しょうらい)空海の奏上、仁寿元年(851)以降、朝廷では二つの密教秘法が毎年正月八日に行われた。

一つの「御七日後修法」(ごしちにちのみしほ)と呼ばれ天皇の玉体護持と国家安穏を祈る。

真言密教の秘密法で、もう一つが「大元帥御修法(だいげんのみしほ)」で怨敵、逆臣の調伏、国家安寧を祈る大法であった。

    ※古語辞典では=「大元帥の法」だいげんーのーほふ

陰暦正月八日から~十四日までの七日間、冶部省(じぶしょう)で国家鎮護のために大元帥明王と本尊として行った大法会(ほうえ)

【栄花】みはてぬゆめ

「大元帥の法といふことは、ただ公(おおやけ)のみぞ昔より行はせ給ひける」

〔訳〕大元元帥の法会ということはもっぱら朝廷だけが昔から行いなされていきた。

空海は真言密教の開祖であるが、梵語・ペルシャ語・アラビア語にも通じ、はるかインド、

さらにはアラハバキの原点に指向していたのです。

古代信仰のアラハバキがインドから中国に入り大元明王に変身して皇帝独占の秘密法となったのを見逃すはずはなかった。

当時、仏教は国家仏教で庶民とは縁遠い宗教であったが、渡会氏が外宮を大元尊神とする教理を打ち立てた

のと同様に、仏教に組み込まれて外道に落とされたアラハバキ神の本流への復活が狙いだったのでは無いだろうか。

政府間レベルの中国との遣唐使による国友の他に物部氏系や古代アラハバキ信仰を持って弥生初期に渡来し

た古氏族は、独自のルートをもって中国と交流があり道教と習合した「大元」を知っていたとしなければなるまい。                                                                          

   アラハバキと神社

弥生の初期に渡来した部族の最高神アラハバキの信仰も「記紀」の影響や仏教による変容で、すっかり影をひそめ江戸時代には、何神であるかは不明になってしまった。

わずかに古代氏族が王権の抹殺をのがれるために密かに今日までその伝統を守り続けた。

かろうじて文献のみその名をとどめるか、あるいは、末社で密かに生きつづけるのにすぎない。

神社や寺院にはアラハバキの名こそ消えてしまったが弥生文化といえば稲作と同時に製鉄の始まりであるからアラハバキ神は製鉄とも密接な関係があることを無視できない、草鞋、鉄製下駄を供えたり、目の神様になっていたり、習俗から見て元の神が変容していることを示す、例が数多く発見できる。

それから、多くの本殿や本堂ではなく、末社・摂社に追いやられているので注意したい

抜粋終わりーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「あらはばき」とは  荒脛巾神社やアラハバキの原点とはより。

https://www.travel.co.jp/guide/article/9913/

坂上田村麻呂も恐れた!?アラハバキを祀る・花巻「丹内山神社」


http://sazanami217.blog.fc2.com/blog-entry-160.html

坂上田村麻呂と阿弖流為とアラハバキ神                 より抜粋

NHK総合テレビでも土曜ドラマ「大型時代劇」として放送されたのが、

『火怨・北の英雄 アテルイ伝』です。

当時のNHKホームページにはこうあります。

「東北を平定しようと、北へ攻め上る朝廷軍の攻撃に、命を捨てて一族の未来を救った古代東北の英雄 阿弖流為の生涯を 空前のスケールで描く歴史冒険巨編。

かつて不屈の魂で東北を守った陸奥の英雄を描くことで、東北復興支援の一環とし、大震災後、復興に向けて誇り高く生きている『東北の人たちへの応援歌』を目指します。」

脚本家の西岡琢也氏は、

「西部劇だと思った。理不尽な暴力で西へ侵略する開拓者に抗(あらが)う、ネイティブ・アメリカンの物語と似ている。」とまで述べています。

朝廷の政策を「理不尽な暴力」とまで言えば、この時代反論があるのは当然でしょう。

批判の中には、「大和朝廷の侵略に抵抗する蝦夷たちが山岳に立てこもり、ゲリラ戦を展開するというくだりは、かつて毛沢東が中国の省境地域で展開した抗日山岳ゲリラ戦とうりふたつ」として、「反日番組」だという意見もありました。


『火怨・北の英雄 アテルイ伝』本編では、若き阿弖流為はアラハバキ大神の巨石前で、数年後に坂上田村麻呂と対峙する場面を予見します。大変重要なシーンです。そしてその、アラハバキ大神の巨石というのが、最初の写真でした。

私には、磐上の木に、阿弖流為の情念が漂っているように見えるのですが・・・・。

2016年6月25日には、市川染五郎や中村勘九郎らによる、シネマ歌舞伎第24弾『歌舞伎NEXT 阿弖流為〈アテルイ〉』の公開もありました。それほどまでに人々をひきつける阿弖流為の神、岩手県花巻市東和町の山中にある、丹内山神社と巨大な磐座をじっくりご覧ください。

なお、「なぜか、鳥居前まで来ていながら、境内にどうしても足を踏み入れることができなかった。」という方もいらっしゃる、きわめて厳粛で特別な聖地です。並みの神社とは違うことが、鈍感な私にも感じられました。

「トラベルjp」様の旅行案内には、こう書かれています。

丹内山神社の草創は今から1300年より昔。この地を開拓した神である多邇知比古神(たにちひこのかみ)を祀ったと伝えられています。

が、境内にはアラハバキ神の巨岩が鎮座。アラハバキ神は古事記や日本書紀に登場することのない、謎の神です。かつてはこの神を祀っていた神社のほとんどが、ご祭神を変えてしまいました。蝦夷の神、物部の神、製鉄の神、賽の神などとする説がありますが、本当のところはわかっていません。ただ、アラハバキ神が祀られているところには必ず磐座があると言われています。この丹内山神社も恐らくはアラハバキ神を祀るために草創されたのではないでしょうか。

(中略)

坂上田村麻呂が延暦年間(782~805年)の東夷征伐の際に参籠した、との言い伝えもある丹内山神社。その頃はまだ日弘による創建前。敵の神に祈願したことになります。

よほどの霊験があったのでしょうか。東夷征伐の後、田村麻呂はこの神を恐れ、同じ東和にこの神社を睨むように毘沙門天を祀りました。(成島毘沙門堂)


敵の神に祈願し、最後にはその神を封じる巨大な毘沙門天が、この神社の方角に向けて建立される・・・・・なにやら謎めいています。

『日本紀略』には、同年の4月15日の報告として、阿弖利爲(アテルイ)と母礼(モレ)が500余人を率いて降伏したことが記されています。二人は田村麻呂とともに7月10日に平安京に入りました。田村麻呂は2人の命を救うよう提言したものの、平安京の貴族たちは「野性獣心、反復して定まりなし」と反対したため、8月13日に河内国にて二人は処刑されました。

なお、田村麻呂の名誉のために書いておきますが、伝記には、その人物像について、

「怒って眼をめぐらせば猛獣も忽ち死ぬほどだが、笑って眉を緩めれば稚児もすぐ懐に入るようであった」

と言われており、敵である蝦夷にも信頼されるような稀有の武将だったようです。

https://butsuzolink.com/narushima/

【見仏入門】No.14 岩手県花巻・成島毘沙門堂の仏像/兜跋毘沙門天立像・伝吉祥天像など

東日本大震災二周年に際して

東風吹けばつぎつぎとアラハバキの灯  五島高資

アラハバキの灯とは???

塩釜・多賀城・七ヶ浜・利府・松島 公益社団法人 塩釜青年会議所 ...

www.sgjc.org/news/index.php?page=8&year=2013

東日本大震災で多くの住民と塩釜JCメンバーが被災し、「震災後」と言われている今の時代にこそ、この素晴らしい運動を震災から .... 塩釜JCには「塩竈みなと祭陸上パレード」「みなとのまち100km徒歩の旅」「アラハバキの灯」といった、まちづくり・ 青少年育成を目的とした継続事業があります。 ... 私も日本JC、東北地区協議会、宮城ブロック協議会への出向を経験させていただき、多くの学びと、 多くの仲間との出会いを得てきました。

多賀城とは

https://wondertrip.jp/90860/  多賀城跡から紐解く歴史…多賀城の歴史は、東北の歴史

(一部抜粋)

蝦夷の反乱と多賀柵の造営

しかし、蝦夷には彼らを束ねる強力な指導者がいないことに加え、資源が豊かな上に金鉱山まで発見された東北地方を、朝廷が放っておくわけがありません。

じわじわと北方に拡大していく朝廷の領土を前に、蝦夷との摩擦は増えていく一方でした。

中には朝廷と結んで部族間の抗争に勝とうと企む者や、朝廷に従属して官位をもらい、現地での行政官を任命される者などもいました。

土地の境界線争いだけでなく、蝦夷同士の分裂を誘うなど様々な切り口から蝦夷を圧迫していく大和朝廷に対し、ついに蝦夷が一斉蜂起する事態が発生します。

720年、陸奥国において、史上初といわれる蝦夷の大規模反乱が勃発。

朝廷は多治比懸守(たじひのあがたもり)を征夷将軍として、乱の鎮圧を命じます。

乱そのものは1年と経たずに鎮圧されてしまうのですが、その4年後、朝廷は現在の宮城県北部を中心とする蝦夷との国境付近に、複数の砦を建設。

それらを後援し、また支配下におさめた土地を開拓させる民を送り込み統制するために、大野東人(おおののあずまびと)によって多賀柵(たがき)が造営されます。

これが、多賀城のはじまりです。

多賀柵(たがき)→多賀城(たがき)→多賀城(たがじょう)という変遷を経て、今私たちの知る多賀城という呼称に変わっていくわけですね。

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