高氏とゆく反り橋や風薫る 高資
水平に昼を燭すや常楽会 高資
鑁阿寺本堂(国宝)ー 場所: 鑁阿寺
山門へ登れば茂る宝珠かな 高資ー 場所: 雲巌寺
鮮やかな反り橋からアマルガム塗装を連想してしまいます。
https://www.hg-nic.com/mercury/pros_cons/index.html
水銀と人類のかかわり より
古代~中世
水銀は天然では遊離した状態で存在することは稀で、大部分は赤色の硫化物 (=HgS:辰砂しんしゃ cinnabar) として存在し、主に火山地帯や温泉地域の熱水鉱床に産出します。
この朱色の辰砂を空気中で加熱すると水銀蒸気と亜硫酸ガスが発生し、その水銀蒸気を冷却凝縮させることで水銀が精製できます。
水銀と人類のかかわりの歴史は古く、エジプトの墳墓や中国の殷の遺跡からも硫化水銀 (辰砂) を主成分とした、朱で彩色した出土品が数多く見つかっています。
また、水銀は不老不死の薬の原料として、中国の始皇帝など歴代の皇帝にも愛用されていました。薬としてだけではなく顔料としても、日本でも飛鳥時代には既に珍重されていたという歴史があります。
日本においては大和朝廷の時代より神社の鳥居や朱門などに辰砂が利用され、特に歴史上有名な水銀の利用は、奈良時代の東大寺の廬舎那仏 (大仏) 建立時の金メッキ塗装です。
金と水銀を一定比率で混合したアマルガムを銅で出来た大仏の表面に塗布し、それを周りから熱することで水銀を蒸発させることで金メッキを完成させたようです。
一説では大仏の完成までの期間に使用された水銀は2トンを超えたとも伝わっており、その際に発生した有毒の水銀ガスの吸引により多数の死者がでたと言われています。
奈良県の大仏
古代日本では水銀の価値は金や銀よりも高価であったとされ、水銀を制するものが政権を制するとさえ言われる程の貴重品でした。
一説では空海 (弘法大使) は中国の唐に渡った際に、銅や水銀鉱脈の発見方法を学んで帰国したとも伝えられており、全国における鉱物資源の産出地と空海ゆかりの場所が数多く一致しているとも言われています。
また、あのニュートンも水銀による不老不死の研究を真剣に手掛けていたようです。
現在
現代においても国際的な使用規制が強化され始める1900年代後半頃までは、水銀は私たちの生活に非常に密接なかかわりをもって世界の経済発展に大きく寄与してきました。
ただし、同時に水銀におけるデメリットもクローズアップされ、様々な規制の取り組みが始まったのもこの時期です。
水銀のメリットとデメリット
メリット
世界における水銀の使用用途としては、代表的なものとして下記のようなものがあります。
金アマルガムによる金採掘, 精製
水銀電池
計測, 制御用 (体温計, 血圧計など)
薬品 (ワクチン防腐剤, 赤チン, 殺菌剤, 農薬など)
照明 (蛍光灯, CCFL)
工業品 (整流器, リレー接点など)
塩化ビニル工業, 塩素アルカリ工業など
その他 (塗料, 顔料, メッキ, 化粧品など)
2005年度世界の水銀使用目的
2005年度の世界における水銀総消費量 (約3,800トン) のうち金採掘のための使用や化学工業における触媒としての用途が半分以上を占めます。(なお、この同時期での日本での水銀消費量は約12~15トン程度となっています)
水銀のデメリット
日本人にとって水銀が特に有害物質の代名詞のように理解されているとすれば、1950~60年代に世界的な公害問題として注目を集めた、熊本県水俣市にて発生した水俣病の影響が非常に大きかったと思われます。
工場排液中に含まれた有機水銀 (メチル水銀) が水俣湾へ流入し、湾内の食物連鎖の中で、プランクトン, 小魚, 大型魚へと水銀の体内濃縮, 蓄積が進んだ結果、これを食べた猫や人に甚大な精神・神経症状となって現れました。
このような水銀の健康被害は、これまでにも世界の各地で発生しています。イラクでは1960~70年代にかけて、メチル水銀で殺菌処理された種子により育った麦をパンとして食用したことで、約6,500人もの中毒者と400人強の死亡者を出しました。
また、金採掘の現場ではコスト優先の原始的な精製が未だに行われているところがあり、砂金と水銀をアマルガム化したものを加熱し水銀を気化して残った金を取り出しています。
その作業により気化した水銀ガスを吸引したために水俣病と同様の症状に苦しんでいる労働者が数多くいるという報告がなされています。
更に地下資源 (石油, 天然ガス, 石炭など) に含まれる水銀は、微量ながらも石油精製工場のパイプラインを通過する際にアルミなどの金属とアマルガムを形成し、これが原因となってパイプラインに穴が開き、そこから漏れたガスにより大爆発を引き起こした例も幾つか報告されています。
石油精製会社にとっては水銀の除去は必要不可欠なのです。
参考文献
『はるかなる水銀の旅』山文社:山本斌曠著
『水銀』丸善:日本化学会編
『水銀処理技術が日本のエネルギー危機を救う』シーエムシー出版:幾島賢治著
国連環境計画局 (UNEP):Technical Background Report to the Global Atmospheric Mercury Assessment (2008)
UNEP Technical Background Report to the Global Atmospheric Mercury Assessment (2008)
http://www.biwa.ne.jp/~futamura/sub73.htm
顔料と染料について より抜粋
赤色顔料:
赤色顔料は,おそらく古代人が最初に意識した色でしょう。太陽や燃える火に通じる色であり,昔から宗教的に神聖な色とされ,めでたい色,高貴な色として扱われてきた色です。
赤色顔料としては,(1)水銀を含む鉱物から作られる「朱」,(2)赤鉄鉱や褐鉄鉱の鉄鉱物から作られる「ベンガラ」,(3)鉛を熱して生成する「鉛丹」が代表例です。
(a)朱(水銀朱)
「朱(しゅ)」は神社の鳥居などに着色されている色で,古代からの代表的かつ高級な赤色顔料です。
中国湖南省辰州の地名に由来して「辰砂(しんしゃ)」・「丹砂(たんしゃ)」・「朱砂」・「丹(に)」などと呼ばれています。 製法としては,これらを含有する鉱脈から辰砂を含む鉱石を掘削・粉砕し,水中で比重分離して採取したようです。
日本各地に,鉱石を産したと思われる「丹生(にう)」のつく地名が多く存在しています。
(「上丹生」,「下丹生」,「丹生川」(にゅうかわ),「丹生郡」,「丹生川村」,「丹生神社」・・・など。)
これらは,(ア)九州,四国から 紀伊半島にかけての「中央構造線」に沿った地域,および(イ)滋賀・福井から 中部地方(岐阜,長野)を経て埼玉・群馬に至る地域で,和歌山県には全国で208か所あるという丹生神社の総本山である丹生都比売(ニウツヒメ)神社があります。
なお,古代から奈良地方(大和地方)に古墳(下記の纒向(まきむく)遺跡も含まれます)や都(飛鳥など)が多くあった理由の一つとして,隣接地域にこの「辰砂」の鉱脈のあったことが挙げられています。 また,空海が高野山を開いたのも,高野山近辺がこれらの産地であったことが大いに影響しています。
「朱」の化学成分はHgS(硫化第2水銀,天然のものはヒ素Asを含有)で,水銀(Hg),ヒ素は有毒です。
しかし,この有害な顔料は,仙薬,不老長寿の秘薬(「丹薬」,「仙丹」)として(あるいは丸薬の赤い衣として),一部の人々(王族,貴族など)の間で服用されてきました。
(平清盛などは,この仙薬を服用しすぎて病気になったようです。また,歴史を遡ると,すでに弥生時代に大陸からこの丹を求めて大和地方を目指した集団(→いわゆる「除福」一行)があったなどとする説もあります。)
**********水銀(Hg)の特性と利用********
水銀(Hg)の融点は-39℃(室温では液体),沸点は357℃,水に不溶,金(Au)・銀(Ag)・銅(Cu)などの金属と溶け合い,合金(アマルガム)を作ります。
水銀(Hg)は天然には単体で存在することは少なく,硫黄(S)との化合物である硫化第2水銀(HgS)として存在します。これが辰砂で,これを粉砕・加熱し,発生する水銀蒸気を冷却すれば(例えば水中に導けば),水銀が得られます(→蒸留法)。
この水銀は,多くは奈良時代に大仏への金メッキに利用されました。
これは,加熱状態の水銀に金(Au)を溶かし込み合金(アマルガム)を作り,これを銅などの仏像にかけた後,沸点(357℃)以上に木炭などで加熱して水銀を飛ばす方法です。
奈良東大寺の大仏には,金が約9ton,水銀が約50ton(すべて「伊勢水銀」)が使われたそうです(金と水銀の比率は1:5~1:6)。しかし,多数の水銀中毒患者の出たことが,結果として平城京から平安京へと遷都するきっかけになりました。
(b)ベンガラ
「ベンガラ」は弁柄,紅殻,紅柄とも書き,その名称は,インドのベンガルに由来しています。
(a)赤鉄鉱(Fe2O3,酸化第2鉄,ヘマタイト)を粉砕して得たものと,(b)褐色~黄色の褐鉄鉱を(Fe2O3・nH2O,水酸化第2鉄,リモナイト)を焼いて酸化・発色させ,粉体にしたものがあります。また,鉄丹とも言い,色は通常,赤茶色ですが(写真参照),)製造条件により黄味から黒味まであるようです。
ベンガラは,紀元前5,000~6,000年前の縄文時代から土器や埴輪,建造物等の彩色として,また極めて貴重であった「朱」の代用品として用いられてきました。しかし,これらの顔料としての利用以外に,悪例や邪気を避けるための呪術的利用として顔に塗ったり,格子(ベンガラ格子)に塗布したようです。また,「代赭(たいしゃ)」はベンガラの薬名で,このような鉱物系の薬物を「金石玉丹」といい,朱などと共に仙薬(不老長寿の薬)とされ,また「阿加都知(あかつち)」「ベンガラニツチ(弁柄丹土)」とも言われていたようです。
最近ではフェライト用原料としての需用も多くなっています。
(c)鉛丹
オレンジ系の赤色顔料で光明丹とも呼ばれ,その主成分はPb3O4(四酸化三鉛)です。
鉛が高温で酸化されると一酸化鉛(PbO)となり,これが更に高温で酸化されてできます。
魏志倭人伝には,卑弥呼が魏の皇帝から鏡や真珠と共に鉛丹を授かったと記されており,この粉体が日本で作られるようになったのは,室町時代以降と考えられています。
木材の腐食や防虫目的で,鉛丹も多くの神社の楼門や鳥居に塗られており,京都八坂神社などの例があります。また,奈良興福寺の阿修羅像には鉛丹が塗られ,更に朱も上塗りされていることが明らかになっています。
なお,正倉院には大量の鉛丹が保存されているようです。
http://www.ooedo-toryo.com/shuiro/shuiro.html 神社仏閣用専門塗料|朱赤
西暦700年頃に造営されたキトラ古墳にも使われていた朱色
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※辰砂から得られる天然顔料は、人工的に製造された銀朱とその主成分は同じく硫化水銀(HgS)ですが、真朱とも言われる天然顔料の方が赤みが強く深い色をしています。
この辰砂からは、水銀(Hg)を得ることができます。
また、水銀は金(Au)を溶かし込むことができ(これをアマルガム=鍍金と呼ぶ)、日本では古墳の副葬品や奈良の大仏様に鍍金を使って金メッキを施したそうです。
余談ですが、奈良の大仏様に鍍金を塗り、炭火で水銀を蒸発させて金メッキにしたそうです(西暦752年開眼)が、大量に蒸発した水銀により中毒が広がり祟りと恐れられたそうです。
そのため、僅か30年余り後の784年には京都府の長岡京へと遷都を余儀なくされたとの説もあります。
朱色は、元来、辰砂(主成分は硫化水銀:HgS)と呼ばれる鉱物から得られた天然顔料です。
この辰砂は和歌山県や三重県、奈良県等で産出され、全国各地の縄文式土器にも辰砂を使った朱色の土器が発掘されています。酸化鉄を主成分とする赤土が容易に得られていた中、敢えて辰砂で縄文土器を造ったという事は、当時から辰砂の朱色がそれなりの価値があった事の証しと言えます。
その価値の一つに、緋色以上に鮮やかな発色をし、かつ、染料ではなく顔料であるため”塗り”に使える事。もう一つの価値は、ベンガラと比較できないほど鮮やかな上、古来より木材に対する防腐効果が認められていたためと推測できます。
そのため、豊穣を表す色、魔力に対抗する色、生命の躍動を現す色等と見なされ、後世になって伏見稲荷大社(京都市伏見区)、厳島神社(広島県廿日市市)、東大寺中門(奈良市)、鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)等の神社仏閣の丹塗りや朱漆や朱肉等に朱色が使われてきました。
※諸橋徹次(現在に至るまで、日本最高の漢学者)の「大漢和辞典」によると、
朱は、この文字が”木”から成り立っている事でも分かるように、中心部が赤い木の事を指し、訓読みはありません。これに対して、
丹は、赤い鉱物の事を指し、訓読みには”あか”と”に”があります。
※朱(赤)色は、必ずしも辰砂を主成分とするものだけではなく、代用品として鉛丹(主成分は四酸化三鉛)、世界的に産出量が多いベンガラ(主成分は酸化鉄)や人工的に造られた銀朱(主成分は硫化水銀)も使われてきました。
従って、上記の神社仏閣の丹塗り、朱漆、朱肉の朱(赤)色が、現在でも辰砂を主成分としたものであると確認したものではありません。
また、文化財の修復や再生を行う京都などの塗り師は、丹塗りの主材料としてベンガラや銀朱などを使っているようです。
なお日本では、水銀(Hg)は青酸カリ(KCn)と同じく毒物に指定されていますが、銀朱の主成分である硫化水銀は毒物にも劇物にも指定されていないようです。
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