撫子や学校門の外に咲く 高資
門外に撫子の咲く五徳かな 高資
紅梅や学校門の開きたる 高資
門のまた奥に門あり梅香る 高資 学校門(国指定史跡)
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【日本最古の学校の遺構は美しい_栃木 足利 足利学校】
栃木県の足利市を訪れました。日本最古の学校跡である足利学校は、儒学教育で室町時代と江戸時代の2度、繁栄の時を迎えていました。そんな繁栄の面影を空間や文化財を通じてしのぶことができます。
「学校」の扁額で知られる学校門は、特別な場所への入口であることを現代人にも明確に伝える
跡地はかなり広く、室町時代に3,000人の学生がいたという繁栄ぶりを実感できる
庫裏で展示されている国宝の中国の古典籍の複製品からは、古の学生たちの息吹が伝わってくるよう
室町時代に都から遠く離れた地で、最先端の教育機関が栄えていたことは、日本文化の奥深さを表しているようなとても興味深い史実です。足利学校はそんな史実を大切に今に伝えています。
足利は古くからの地名で、室町幕府将軍家となった足利氏はこの地の領主でした。足利市のある栃木県南部は、奈良時代から史実に登場する関東地方では最も歴史のあるエリアです。奈良時代には下野薬師寺(しもつけやくしじ)が、奈良の東大寺、大宰府の観世音寺と共に、国家が正式に僧侶を認定する機関である戒壇(かいだん)の一つとなったほどです。
足利学校の創設時期は不明で、奈良時代から室町時代まで様々な説による論争が続いています。史実として確認されているのは、室町時代の半ば、関東管領(かんとうかんれい)・上杉憲実(うえすぎのりざね)による”再興”です。
関東管領は、室町幕府が関東と奥州を統治するために鎌倉に駐在させた鎌倉公方(くぼう)を補佐する要職です。鎌倉公方は室町幕府を開いた足利尊氏の四男・基氏(もとうじ)が、関東管領は越後から相模まで4か国の守護大名だった上杉氏が、それぞれ世襲していました。
憲実は対立の続いていた室町幕府と鎌倉公方を融和させる動きをした人物として知られていますが、歴史的には文化面での貢献の方が名をのこすことになります。足利学校に加え、横浜の金沢文庫も再興しました。憲実は儒教を篤く信奉していました。
憲実は1439(永享11)年頃に鎌倉・円覚寺から高僧・快元(かいげん)を招き、学校の再興を始めます。現在国宝になっている中国の古典籍の多くを集め、学校における教科書として利用させます。教育方針として、儒教を中心に医学など実学も含んだ中国の学問だけを教えるよう定め、仏教を教える寺とは一線を画します。
戦国時代には上杉氏に代わって支配者となった北条氏によって、金沢文庫にあった「宋刊本文選」が学校に移されます。これも国宝です。
こうした純粋な教育機関としての質の高さが評判を呼び、全国から学生が集まるようになります。戦国時代には宣教師ザビエルが「日本最大の坂東の大学」と繁栄ぶりを伝えています。ザビエルは京都より東には足を踏み入れていないため、学校がいかに有名であったかがうかがえます。
戦国時代の真只中にあって、各地の戦国大名が生き残るために実学を得ようと学生を派遣したほか、一旗揚げようとする者が自ら学校の門戸をたたいたのでしょう。
安土桃山時代に庇護者を失って衰退しますが、徳川家康が足利学校を重視します。江戸時代の前半に学校は再び繁栄を迎えます。江戸時代を通じて、貴重な中国の古典籍を見に来る来客が絶えませんでした。
明治になって学校としての役割を終えると、市民の間で保存運動が起こります。足利学校遺蹟図書館が設立され、貴重書は大切に守られていくことになります。1990年には庭園と方丈など江戸時代の建物が復元され、史跡として本格的に公開が始まりました。
学校に現存する最古の建物は、4代将軍・家綱の寄進による1668(寛文8)年建築の、学校門と孔子廟(こうしびょう)です。学校門は現在の史跡足利学校を象徴する建築です。「學校」の扁額が、空間に強く緊張感を醸し出しており、最高学府としての風格を見事に表しています。学校門の正面には、足利学校の中で最も神聖な場所・孔子廟があります。
日本の孔子廟は、長崎に明治時代に造られたものが最も大規模で著名ですが、湯島聖堂や閑谷学校など儒学の学校に江戸時代から見られます。儒学は思想・哲学の最高峰として江戸時代まで日本の知識人に信奉されていました。朱子学や陽明学と言った著名な学問も儒学の一派です。
足利学校の孔子廟は、現存する日本最古の孔子廟で、儒学を信奉する日本の知識人のあこがれを今に伝えます。屋根が二層連続して設けられた典型的な中国風の建築です。屋根瓦は黄色でありませんが、中国にある孔子廟と変わらない美しさです。2019年3月現在、保存修理工事中で内外観とも見学できませんが、2020年中に再公開される予定です。
庫裏で展示されている国宝の中国古典籍の複製
江戸時代の趣を伝えるべく復元された庫裏の中では、足利学校に伝わる文化財が展示されています。足利学校に伝わる10,000点を超える古典籍の中でも、国宝指定された宋刊本文選/宋版礼記正義/宋版尚書正義/宋版周易註疏が別格です。複製を常時鑑賞することができます。江戸時代に名声を聞きつけた全国の知識人がわざわざ足を運んで見に来た逸品です。複製品ですが、本物のオーラを感じることができます。
日本最古の学校は平安時代初めに空海が東寺境内に設立した種智院(しゅちいん)が知られていますが、すぐに廃絶します。現存の東寺境内にも面影は全くありません。現在の種智院大学は、明治になってから真言宗各派有力寺院が共同で設立した学校です。
岡山県の閑谷学校と並んで、足利学校は日本を代表する学校の美しい遺構です。広大な関東平野の北の隅っこで、学問の聖地が花開いていたのです。
こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。
Facebook・ごとう 孝二さん投稿記事
「時間は未来から過去に流れてる」
時間は過去から未来に向かってではなくて、未来から過去に向かって流れているんです。
???
意味わからんと思うんで、説明していきます!
時間は未来から過去に流れてる。
「ちょっとなに言ってるかわかんない」ってなるかもしれないですが、マジです。
どういうことかと言うと。ほとんどの人は、時間は淡々と未来に向かって流れ続けていると感じていると思います。
時間と一緒に自分自身も未来に向かって進んでいる感覚。ないですか?
そして、過去に要因があって今の自分がいると思っている人。
よく言うじゃないですか。自分もよく言ってたし、感じてたんですが、例えば「あの大学に合格したから、今の会社に就職できてる」とか「あの時海外に行ったから、今英語話せてる」とか。
でもそれは視点が大きく違ったんです。逆なんです。
私たちと時間は未来に向かって進んでいるんじゃなくて、私たちは今この瞬間に立っていて、そして時間は未来から過去に流れていってるんです。
川をイメージしてもらうと分かりやすいと思います。
川の真ん中に今の自分が立っている状態です。
川上から流れ続けてくるのが未来。
それが今の自分を通り過ぎていく。
そして川下へ流れていくのが過去。
自分が動いているのではなく、時間が動いている感覚です。
そして「今この瞬間の自分」は「過去の自分の積み重ね」ではなく、実際は「イメージした未来が自分に向かって流れてきている」ということ。
過去に要因があるのではなく、未来に要因がある。
江戸時代までは時計は文字盤のほうが動いてた。
ここまでで、ぜんぜん納得感ない方もたくさんいると思います。
そこで、「未来から過去に流れているよ」って少しでも感じてもらう例を2つ紹介します。
①江戸時代までは時計は文字盤の方が動いてた?
自分の人生を歩むって言葉はそもそも明治時代以降に生まれた言葉です。
しかも江戸時代ごろまでは時計は文字盤のほうが動いていました。
これは自分(針)は動かず、時間のほうが未来から流れてきているという感覚に近いと思います。
②行く年来る年(ゆく年くる年)
年末年始、よく「行く年来る年」って言いますよね。
これって昔からある言い回しだと思います。
行く年は終わる年、来る年は来年(新年)ですよね。
でも仮に時間が過去から未来に流れているなら、行く年が新年、来る年が終わる年のはずです。
しかし実際は、一般に知られている通り行く年=終わった年(今を通り過ぎて過去に行った年)来る年=新年(未来から今に向かって流れて来た年)ですよね。
つまり昔から、時間って未来から過去に流れていると感じていたはずなんです。
未来に向かってボールを投げる。
未来から過去に向かって時間は流れていることを前提にして、自分のなりたい姿、ありたい姿、夢、妄想のボールを常に未来に投げ続けましょう。
上でも書いたように、今の自分は過去の積み重ねではなく、未来に起因している。
だからよりよい未来を想像することがめちゃめちゃ大切なんです。
今の自分がよりよい未来をイメージしてそのイメージのボールを投げる。
そして、流れてくるボールをキャッチしていこう、自分がイメージしていた自分を実現しようってことです。
ここで大切なことが2つあって1つは、一回きりではなくて、常に投げ続けること。
2つめは、それをみんなでやることです。
例えば、年始に目標を立てたとします。
ちゃんと目標達成に向けて動いている人は、それを1年間見続け達成に向けて、試行錯誤して一年を過ごすかもしれません。
でもこれはちょっと危なくて、年始に目標を立てた自分って、それはもう過去の自分になってるんです。
つまり、私たちは未来に向かって今この場に立っているはずなのに、気が付くと目標を立てた過去の自分に向かっている(過去のほうをむいている)ことにもなりかねないのです。
そうすると、今この瞬間も流れ続けている、未来から流れてくるボールをつかみそこなってしまうかもしれません。
だからこそ、未来を見続けながら、常に今の自分の理想のボールを投げ続けることが大切なんです。
2つめに関しては、未来に向かってボールを投げているのは自分ひとりだけではないってことです。
世界中すべての人たちが同じ川に立っています。
そして、世界中のいろんな人たちが未来に向かってボールを投げます。
そのボールがぶつかり合って、相互作用して、抽象的に投げていたボールが具体性を帯びて今に流れてきます。
投げたボールがいつ、どんな形で流れてくるかはわかりません。
ですが、流れてきたボールから、どれを選んで受け取るか、捨てるかは今この瞬間の私たち次第です。
ぼくは、このボールを選択することこそが、自由であることの証じゃないかなと思ってます。
・時間は未来から過去に向かって流れてる。だから今の自分は過去ではなく、未来に要因がある。
・未来に向かって、自分の理想のボールを投げよう。
・流れ続けてくるボールを選択するのは今の自分だ。この選択こそが自由だ!
理想の自分を実現しているかのように行動する。
つまり未来に向かって、自分の理想の姿のボールを投げる。
そして未来からそのボール(自分)が流れてきて受け取る。
そういうことなんじゃないかと思います。
時間は未来から過去へ向かって流れてる。
ひとつの視点として、こういう考え方もあるんだなって少しでも思ってもらえたらなと思います!
歴史を勉強する意味
未来が大切って話をしてきたんですけど、未来に原因があるんだったら過去を考える必要とかってなくない?
例えば、学校で歴史とかって学ぶ意味ってなくない?って思いません?ちなみにぼく自身はそう思いました。
みなさんは歴史を学ぶ意味ってどう考えていますか?
ぼくは歴史は嫌いでした。
でも最近は歴史おもしろいなーって少しずつ感じてきています。
というのも、歴史を学ぶって過去の人たちがどういうボールを未来に投げていたかを学ぶことだと思うんですね。
だって過去の人たちが望んだ姿、未来に投げたボールはまだ流れてきていないかもしれないですし。
それを受け取るのは私たちかもしれないわけです。
だからこそ、過去の人たちの意志とか何を考えていたかどんなボールを未来に投げていたか、それを学ぶことが、歴史を学ぶってことなのかなと思います。
というわけで、どんどん歴史に触れていきましょう。
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