冬晴れて拝む御霊や吉祥寺 高資
富江五島家墓所(諏訪山吉祥寺・文京区)
躓けば羊歯の光りて月の山 高資
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〔書評〕海野謙四郎著『光る月山 ――異能の絵師爛水』 より
雨宮由希夫 (書評家)
2012年3月にスタートした「異能の絵師・爛水(らんすい)」シリーズの第3弾である。本書で初めて爛水に接する読者のために、若干の説明が必要であろう。
物語の舞台・「櫛(くし)流村」は平家の落人部落である。第1巻に「能登を回って西国と蝦夷地を行き来する巨大な船の寄港地として栄える湊町・高洲へは歩いて半日の距離。その間には、城下町の丸窪がある」とあることから、評者(わたし)は桃源郷のようなその場所を富山湾沿岸にほど近い北陸の山村と比定したものだが、巻が進むにつれ、「丸窪藩」は「山形藩の近隣に位置する北国の小藩」で櫛流村は「羽黒山から歩いて半日」の距離にあると知る。
主人公は2年半ほど前の、年号が元禄から宝永に変わる頃、「旅の絵師・北野爛水」と名乗って、櫛流村にやって来た甘さと精悍さが融けあったような優男という風貌の男で、ちょうど勃発した大事件を鮮やかに解決し、絵師として村のために風神雷神の絵を描いたばかりか、村々を自由に歩き回り、怪我人や病人の治療を事もなげにやってのけ、また、芋焼酎の調理法を村人に伝授するなどして、瞬く間に村人の心を掴み、櫛流村の名主・保井覚左衛門の入婿に納まる。
しかし、爛水の前歴について、村人どころか名主夫婦も、妻の「ふゆ」さえも知らない。爛水は上方、長崎や江戸をはじめ各地をめぐって知識や多様な技を身に着けたことは話したが、それ以上のことは明かしていないのだ。謎に包まれた爛水の過去と度外れた博学多才ぶりが爛水に「異能」が冠されるゆえんである。
さて、本巻のスタート。本巻には二本の筋がある。一つは、「ある日、ひとりの男が柏木屋を訪れた」として爛水が丸窪の菓子舗柏木屋の主人安右衛門を訪れ、いわば一方的に、紅葉型の落雁という京風の菓子の製法を伝授してしまう。新たな異能ぶりをこともなげに晒す爛水の姿がここにある。
もう一つは、出羽三山の別当代が再建中の出羽三山の堂宇の一つ峰中堂(ぶちゅうどう)の堂内に掛ける軸物の絵を爛水に描いてほしいと、使者を遣わすことである。出羽の国南部に位置する出羽三山は羽黒山、月山、湯殿山の総称で、千年の歴史を有する修験場である三山のそれぞれの山は、羽黒山が現世、月山が前世、湯殿山が来世という三世の浄土を表すとされる。「三関三渡(さんかんさんど)」の旅ともいわれる出羽三山詣は、羽黒山から入り、月山で死とよみがえりの修行を行い、湯殿山で再生する巡礼で、死と再生の意味をもつ。三山を巡ることで人は一度死者となってあの世に行き、再びこの世に生まれ変わることになる。
絵を描くことを快く引き受ける爛水だが、仕事に取り掛かる前に是非出羽三山にお越し願いたいという別当代の使者に対し、出羽三山には行ったことがあると招待をにべもなく辞退する。
二筋の話の流れがラストエンドに向けてどのように絡み合うのか、爛水の行動がもたらす光と影の交叉から読者は目を離せない。
「さすらいの絵師爛水」を語るに、矢島という櫛流村より北にある土地から逃れてきた哀れな母子の話は見逃せない。26年前の延宝8年(1680)、領主が江戸にいる間に留守を預かる家臣たちが年貢高を一挙に4倍に引き上げたことから悲劇が生じる。困窮した百姓たちは江戸の領主に対して直訴しようと、訴状を持って江戸に向かった名主は斬られ、訴状を浄書した山伏は小石詰めで殺さる。山伏の女房は幼い息子を連れて櫛流村まで逃げおおせてきたが、無残な死を遂げる。父と母を失った礼蔵という当時、五つか六つの男の子こそが爛水であった。母の死を見届けた礼蔵は村を出て消息不明となるが、港町高洲に辿り着いた爛水はそこで廻船問屋多嶋屋清右衛門の母親「りつ」らに助けられ、城下町丸窪郊外の凌雲寺に預けられる。が、1年後、ある事件がおこり出奔、ふたたび消息不明となる。ここまでが第2巻までに知られた爛水の略歴である。
25年前の延宝9年(1681)秋。江戸から長い旅をしてきた夫婦者・櫛職人千吉と「えん」は羽黒山麓の町、手向(とうげ)に入る前で倒れていた男の子を助ける。7歳の礼蔵(れいぞう)であった。羽黒山の麓を彷徨(さまよ)い、行き倒れた礼蔵は江戸者の夫婦に救われ、手向の町の宿坊・久源坊に担ぎ込まれる。やがて久源坊の主で羽黒修験の山伏・明峻と女房「とよ」の子として引き取られ、8年の間、家族として育てられる。「出羽三山に行ったことがある」どころか、礼蔵は青春を羽黒山麓で過ごしたのである。出羽三山は爛水こと礼蔵の忘れ難き故郷であったろう。
無惨にも幼くして父母と死別した爛水の運命はまさに過酷きわまるが、作家は主人公を悲惨な運命に晒される者としてのみには造形していない。爛水を慈しむ多くの人がいて、爛水が命を繋いできたことを読者は知る。千吉と「えん」、明峻と「とよ」、そして松尾芭蕉も、爛水にとってかけがえのない人となる。
『奥の細道』によれば、元禄2年(1689)夏、芭蕉は弟子の曾良と強力を雇って出羽三山を巡拝した、とあるが、本書の作家は強力を務めて芭蕉を案内したのは15歳の礼蔵であったと物語る。礼蔵の資質を見抜いた芭蕉は諸国を歩いて見聞を広めることをすすめ、やがて礼蔵は芭蕉の添え状を持って上方へ旅立つことになる。実在した歴史上の人物が違和感なく小説の世界に納まると小説そのものがひきしまる。時空が創造の世界の輪郭を明瞭にするからである。
明峻は上方から寄せられた礼蔵の手紙で、礼蔵を助けたえんが丸窪から来た3人の若者に遭遇し、そのうちのふたりに辱めを受け自害したが、礼蔵が8年前から、その3人に恨みを持ち続けてきたことに気づく。明峻から、「阿修羅道に堕ちるな。恨みを持たず、生きとし生けるものと己れとをいつくしむのが羽黒山伏だ」と諭される礼蔵であったが、礼蔵は生きながら阿修羅の道を旅することを選ぶ。
奈良興福寺の三面六手の像で知られる阿修羅は釈迦によって教化されたとみなす場合は八部衆の一つとして仏教の守護神だが、また、六道のひとつで、常に戦い合う世界の存在ともされる。阿修羅道は阿修羅が住み、常に憎しみが支配する殺伐たる世界である。
夭折した愛娘に再会することだけを願って死と再生の巡礼をつづけた夫婦。その願いは叶えられ、かわりに残酷な運命に見舞われた夫婦。その夫婦の仇を討つため、わずか7歳の礼蔵は「丸窪から来た3人の若者」の素性を探し求め阿修羅の道に分け入る。巻頭に登場する柏木屋安右衛門は3人の一人であった。
櫛流村は母が無惨な死に方を遂げた村だが、爛水はその櫛流村の名主の家に婿入りし、莫大な身上と近在に鳴り響くほどの聡明で美貌のふゆを手に入れて妻とし、将来、名主の地位と保井家の身上を引き継ぐことを約束されている。その爛水は前巻で「生き物は幸いを得るために生きる。そして身の幸いを得るためには、楽しまなければならない。この世とは、自分で生き抜いて、そして楽しむところなのだ」と嘯(うそぶ)いていたが、その上で、なおも自分の正体をひた隠しにして阿修羅道を旅するというのだ。
そもそも、爛水の来村の目的は何なのか? 「私にはまだやらなければならないことがある」とつぶやく謎の絵師・爛水は何が不足で何事かを企むのか。
ついに本巻でも、名主夫婦も爛水の妻子も、爛水の本名・礼蔵を知らない。これまでに爛水は母の復讐を果たしたが、父の無念はいまだ晴らしていない。
作家は今後、どのように物語を展開していくのか。第一巻を読了した際、この作品は救いようのない悲しみに彩られた復讐譚である、と読み解いたものだが、作家の意図は復讐譚の域を超えていることはまちがいない。
私が生まれたのも昭和43年です。
泥土を養分にして美しい花を咲かせる蓮。美智子妃にちなんだ舞妃蓮は、そんな蓮以上に華麗で高貴だとか。泥土に生きながら より華麗で高貴な「新しい蓮の命」を生きるためのシンクロ誕生年でしょうか?
命を輝かし切った後の安堵の溜息???蛹のように蓮の命は泥土に籠り、春の訪れを待つのでしょうね。
神代より産したる苔や栗笑ふ 高資
facebook・長谷川 ひろ子さん投稿記事 【苔は死なない】 より
知ってました?苔って死なないんですって。
どんな命も必ず終わると思っていたのにこの地球上に死なない植物があるなんて!
何かそこにヒントがあるはず!と血が騒いでしまって苔学者の上野健さんのお話を初めて聴き、興奮状態。というか覚醒した感覚
矢作直樹先生のご著書「人は死なない」を思い出してしまった
根っこが無いので体全体で水分を取り入れるけれどその分、体全体から水分が出て行きやすい。水分が抜けて枯れたように茶色くなってしまっても、実は水を含むとまた何百年経ってもまた青々と蘇るそうで、明らかに死んでしまったかのように見えるけれど、冬眠とも違うらしい。
苔の神秘を知れば知る程、真理に辿り着きそうな。
「君が代」の中に「苔の結ぶまで」とある初対面の上野先生に名刺をお渡ししたらなんと昨年3月に「いきたひ」を既にご覧下さったとの事
その時の感動を熱く語って下さり
嬉しいやら有難いやら、驚きやら。
次のステップに繋がりそう
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