冬の陽を見て実をつけて帰りけり 高資ー 場所: 五島市富江町
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パラ磯に舞い降りたる天使かな 噓子
五島高資 空海が唐より帰って初めて上陸した日本の地・玉之浦です。井持浦教会堂とルルドも近くにあります。
後の空海此処に立ちたり 嘘子
五島高資 海面に映る夕陽が勾玉のようでした。
http://www.shokokai-nagasaki.or.jp/goto/kankou/meisho.html
【日本最初のルルドがある「井持浦教会」 (玉之浦地区)】 より
●井持浦教会
200年にも及ぶキリシタン迫害に耐えその信仰を守り伝えた五島のキリシタンたちは、1873年にキリシタン禁制が解かれると、各地に教会堂を建てた。こ こ井持浦の教会も当時に創設された教会の一つである。1897年、フランス人宣教師アルベルト・ペルー神父によって煉瓦づくりの教会が建てられたが、90 年目の1987年、台風12号のために全壊し、新築されて現在に至っている。
●井持浦ルルドの聖母
教会創設の2年後1899年に、聖母出現の聖地フランスのルルドを模して井持浦教会脇にルルドの洞窟が造られた。全五島の信者たちが、各地から美石を持ち 寄り、ペルー神父が故国フランスからルルドの聖母像を求めて洞窟に納め、更に本場ルルドの奇跡の泉から霊水を取り寄せて洞窟横の泉水に注ぎ入れた。こうし て、日本最初のルルドが造られ、以後参詣者が後を絶たない。
山門は海に開きて初御空 高資 西高野山大宝寺ー 場所: 五島市
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海に開くというと、西方浄土なのでしょうか?何となく連想させられます。
五島高資 もともとインドから渡来した不須仙人が開基した観音院だったせいか、補陀落浄土のある南に向かっています。もちろん、日本の西端であることから西方浄土との関連もあると思います。
境内には、本堂、奥の院、大師堂、事代主神社、不須仙人塚(臍神様)、泉水などがあり、参詣者が絶えません。
http://www.shokokai-nagasaki.or.jp/goto/kankou/meisho.html
【西の高野山「大宝寺」 (玉之浦地区)】 より
昔、西天じゅく(印度)のマガダコクより不須仙人が来たり、エンブダゴンという金属で鋳造された聖観音像を奉持し、玉之浦の笹海の小丘に祭り観音院と称し た。その後、大宝元年(701年)震旦(中国)の道融和尚が三輪宗を広めるため来朝、最初に上陸した大宝の浜で、白砂青松の浜を前にし、緑繁る彌勒山を背 後とする聖地を選び、笹海の観音院を遷し三輪宗の寺院を建てこれを大宝寺とした。そして第41代持統天皇の勅願寺となされた。次いで、大同元年(806 年)弘法大師、帰朝の途次、大宝の浜に上陸し暫くここに滞在し、真言宗に改宗した処から「西の高野山」と呼ばれる。(大宝寺縁起より)
●大宝寺の梵鐘
長慶天皇の応安8年(1375年)播州多賀郡西林寺住僧僧信より寄進された寺鐘は、第2次世界大戦中の寺鐘供出にも、古き由緒ある故をもって、全島の内唯一その難を免れた。(長崎県指定文化財)
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7157401 【加速するものこそ光れ初御空】
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