善悪の区別を超えて

風の香を衣に昇る天女かな  高資


視界のない能面、重い装束。制約の中足を運ぶ。

鳥の囀り、風を含んだ袖をひるがえし、能菅を聴く。

https://ameblo.jp/yumiherb2305/entry-12290335477.html?fbclid=IwAR21w_wDJP2CWJA4zBa4f23z-47W1ngp-7RcfTYlPGU-6BNLza6P8x84nNg  より


「パーソナリティの語源は仮面・社会的な役割」を連想します。

社会は 多様な役割を担うエネルギーの調和バランスで 具現化していると言えます。

子を待ちて微笑む蓮の蕾かな  高資

 写真提供 : 印南洋造氏


親子の役割。「優劣」の感じをイメージします。

人が憂うと書いて優しい、優れていると読む優の字・親のイメージです。

少ない力と書く劣の字。力まない、ありのまま、自然のままの姿・子をイメージします。

優劣は好みの問題かもしれません。

聖書に「園の中央にある善悪を知る木から取って食べてはならない。 食べると死ぬから」と書いてあります。 取って食べたアダムとイブは 神を失い、楽園を追放されます。 善悪の区分をすることは自己を神化することであり、絶対的な善悪は 存在しないということではないでしょうか。自己神化は独善を生み、エゴイズムを生み、愛と感謝を失う孤独地獄に自ら落ち込むこと。被害者意識に凝り固まり、選択の主体としてのセルフを押し殺すこと。(孤独を人間の存在条件として引き受けるとは真逆の現象) 

「ハートビーイング」というライフスキルプログラムがあります。その中で人に言われて嬉しかった言葉を書き出す作業をします。 いつもと言って良いほど トップになる言葉があります。 それは「ありがとう」です。 感謝の言葉が 人を癒し 愛の循環を生む力を持つことが 良く分ります。    

若い頃の私はモラリストが嫌いでした。偽善者のように思えたからです。しかも偽とは人(の)為と書くのも面白い。(無関係かもしれませんが 私が優の字が好きなのは人が憂うと書くからです。 憂いを知る人は優しく優れている、優秀ともいえます。)道徳律を押しつけられるのも嫌でした。 ひところ不登校が話題になりました。「よい子で頑張ること」が 不適応を生む大きな 要因と言われました。 善い子とは 周りの大人にとって都合のよい子の呼称です。 善い子は自分の意思より 周囲の期待や価値観に応えることを優先します。成長する中でいつの間にか自分を失っていくのです。 

老松に通ふ風あり薪能  高資

篝火に舞ふ羽衣や五月山  高資

人波の凪いで明神薪能  高資

うつせみへ通ふ風あり薪能  高資

刃の影を光にかへす薪能  高資

芝能と紛ふ巴のしをりかな  高資

夏の月まかる巴の運びかな  高資

明神能を鑑賞。野村万作の萩大名、圧巻でした‼︎ 巴も素晴らしかったです(^-^)/ー 場所: 神田明神


「パーソナリティの語源は仮面・社会的な役割」

社会は 多様な役割を担うエネルギーの調和バランスで 具現化していると言えます。


仮にある有機体で 沢山のパーソナリティが 自分の役割を無視することになれば、その有機体は秩序を失い 機能不全となり、やがて崩れ去ることになります。


もちろん 有機体の成長を望んで ひいては自分の成長を望んで 自分の役割を破棄することもあるでしょう。 


実存的アイディンティティが拡散されると心の病に繋がりますが 社会的アイディンティティは移り変わっていきます。それが固定観念から自由になって新しさ(不易流行)を求める在り方とも言えます。


成長過程での反抗期の役割 とも類似しています。

反抗すれば、相手からの抵抗が返ってきます。自分の行為の照り返しを知らされることになります。


このようなもがきと スタンドプレーはどのように違うのでしょうか?



http://hitokotoshinri.blog.fc2.com/blog-entry-150.html   より

【反抗期とは一体何か?―社会との関わりを発達させる青年期―】

今回のお話は「反抗期とは一体何か?反抗期は人間にとってどんな意味を持つのか」という内容です。

反抗期は、主に親や大人たちによって作られ、用いられる言葉です。子どもたち自身が「自分は今反抗期だ」という事はありません。

子どもが親や大人に対して「反抗」をしたから、反抗期と呼ばれるだけであり、おおよそ反抗の起こる13~19歳のこの時期は学術的には「青年期」と呼ばれます(最近の先進国では大学進学などもあり、この青年期が伸びているとされていますが、具体的な年齢はここでは本題ではないので割愛します)。

さて、ではこうした青年期になぜ子どもたちは問題を起こすのでしょうか?

この点については、心理学と脳科学から興味深い示唆が得られています。


まず、青年期の子どもたちは非常にリスク志向になることが知られています。

興味深いことに彼らの脳の活動を他の年齢の人々と比較してみると、大脳辺縁系と呼ばれる「面白いこと」、「リスキーなこと」をしたときに活性化する部位がより強く活性化しやすいことが分かっています。

こうしたことから、彼らはリスキーなことに対してとても敏感なのだと考えられています。

また、この時期の子どもたちにおいては、前頭前皮質と呼ばれる「リスク行動を制御すること」に関わる部位の発達がまだ未熟であることも指摘されており、こうした「リスクへの敏感さ」と「リスクを抑えることへの未熟さ」が青年期の(大人から見た時の)問題行動を増やすのだと考えられています。

そして、青年期の子どもは、他人の視点に配慮した上で行動することが非常に苦手であることが実験で分かっています。

実は、すでに青年期では「一定のルールに基づいて行動する」という事に関しては、すでに大人と同じぐらい能力が発達しているのですが、この「他人の視点に配慮して行動するという能力」は、まだ未成熟です。

「相手の立場に立って考えなさい」という言葉は重要な教えではありますが、脳の成熟自体が追いついていない子どもたちにとっては物理的に難しい考え方でもあるのです。

「最近の若者が~」という論は絶えませんが、こうした視点から見ると、若者はいつの時代も大人に比べて無茶な思考や行動を取っているとも言えます(ただし、近年の「若者論」は、いわゆる青年期の若者だけでなく、「2、30代(時には40代)の成人した若者ですら」問題行動を取るようになったと指摘している点で異なり、社会的、文化的影響と脳の影響がどこまで分離して話せるかは不明です)。

さて、ではこうした反抗期はなぜ人間に備わっているのでしょうか?

ひょっとすると、「反抗期が問題行動を起こさせるのであれば、そんな時期は備わっていない方がいいのでは?」と考える方がいらっしゃるかもしれませんし、ネットで反抗期と検索すれば、「反抗期 抑え方」という言葉まで出てきます。

しかし、心理学(近年では脳科学でも)では、その心理的意味については様々な役割があると考えられています。

まず反抗期は、その多くが親に対して行われます。

親に反抗することによって、これまでその庇護下にあった親を、子どもが肉体的にも精神的にも「上回った」と考えることで、①青年期の若者が自分に自信を付けていくことが出来ると指摘されています。

そして、これまで自分を抑えつけてきた強大な存在に対して自己主張をすることで、自我が目覚め、②「本当の自分」というものを意識することが出来るようになるとされています。

最後に、自分に自信がついたことで親元から離れ、逆に親もそうした状態の子どもを一人前の人間として認めるようになり、③親離れ、子離れが促進されるという効果も期待されます。

このように、親子関係において反抗期は、基本的に脳の発達にもとづいた正常な現象であり、心理的にも基本的になくてはならないものと考えられています。

多くの親は「どうやって反抗を止めようか」と考えるかもしれませんが、問題行動を止めたとしても「子ども自身の反抗したい」という気持ちまで抑えてしまうと、子どもの「自分が自分でないような感覚」、「まるで他人が自分の身体を動かしているような感覚」を形成してしまい、その後の一生にマイナスの影響を与えてしまいかねません。

繰り返しになりますが、重要な点は「反抗期は決して不要なものでもなく、その存在自体が問題なのではない」と言えるでしょう。


スタンドプレーとは?

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B9%A5%BF%A5%F3%A5%C9%A5%D7%A5%EC%A1%BC  によると

スポーツなどで、観衆の拍手喝采を狙ってする、派手で目立つプレー。

自分を強く印象づけるための、目立つ行為。

https://ar-flower.com/suisennarushisuto0329/  

【水仙の花言葉「ナルシスト」。その由来と本当の意味は?】  より

すっと伸びた茎にラッパ型の花びらが美しい水仙の花。日本でよく流通している水仙は、中国から渡来した「ニホンズイセン」と呼ばれるものです。この水仙は小ぶりの花が房のように咲くのが特徴です。ニホンズイセンより花が大きく、茎1本にひとつの花をつける「ラッパズイセン」もあります。

水仙の原産地はヨーロッパや地中海沿岸で、特にヨーロッパでは品種改良の歴史が長くあります。ラッパズイセンや房咲き水仙のほかにも、カップ咲きや八重咲き、スプリット咲きなど約12系統に分類することができます。園芸品種の数は2万種にも及ぶと言われています。

水仙の花言葉として有名なのが「ナルシスト」です。美しくて品のある水仙がなぜこのような花言葉になったのでしょうか。それにはギリシャ神話のエピソードが深く関係しています。今回は水仙の花言葉の由来をはじめ、水仙にまつわる様々なエピソードをご紹介します。水仙の花について詳しく知ることで、神秘的で美しいこの花にもっと親しんでいただけたらと思います。

水仙の花言葉「ナルシスト」。

その由来と本当の意味は?


水仙の花言葉を知ろう

水仙の花言葉として最も有名なのは「ナルシスト」や「自己愛」です。この花言葉の由来はギリシャ神話のナルキッソスの物語です。ナルキッソスの物語を由来とする水仙の花言葉には、「私は美しい」「うぬぼれ」「自尊心」というものもあります。これらの花言葉は「ナルシスト」という花言葉のバリエーションと考えることができるでしょう。

清楚で美しい水仙の花が、このような意味を持っていることに驚かれる方もいるかもしれません。花束を贈ろうとしてこの花言葉を知り、ためらってしまうこともあるかもしれません。次の項ではナルキッソスのエピソードについて詳しく見ていきます。

ナルキッソスの神話を知ろう

美貌の少年ナルキッソスはたくさんの女性たちに想いを寄せられますが、女性にまったくなびかずにいつも冷淡な態度をとっていました。ナルキッソスに想いを寄せたアメイニアスという女性は、ナルキッソスに冷たくあしらわれて絶望し、自ら命を絶ってしまいました。また、森の妖精であったエーコーもナルキッソスに恋をしますが、相手にされませんでした。悲しみと屈辱のあまり、エーコーはやせ衰えて声だけの存在になってしまいます。

これを知った女神メネシスは激怒し、ナルキッソスに自分だけしか愛せない呪いをかけます。彼は水鏡に映った自分の姿に恋をして、水を飲むことも忘れ、やがてやせ細って死んでしまいました。彼のいたところに咲いたのが水仙の花です。

水仙の毒について知ろう

水仙はギリシャ神話で「ナルキッソス」と呼ばれます。これはギリシャ神話に登場する美少年の名前でもありますが、水仙が毒を持つ花であることに由来するという説もあります。

水仙は有毒性の植物で、特に鱗茎(りんけい)という部分にリコリンなどの毒成分を多く含むと言われています。水仙の切り口からは、粘り気のある液体が出ます。切り花にする時には、切り口をよく洗ってから扱うようにしてください。水仙はすべての部位に毒がありますが、口にしなければ大丈夫です。ギリシャ神話の「ナルケー」という言葉には「昏睡、死、無気力」「麻痺させる」などの意味があると言われています。

水仙という名前の由来を知ろう

ギリシャ神話における水仙のエピソードをご紹介してきましたが、ここでは和名の水仙という名前の由来に触れてみたいと思います。水仙は中国を経由して日本に入ってきた花で、中国名の「水仙」がそのまま使われています。清々しく美しい姿や香りから、仙人を思わせる花ということでこの名が付けられました。

中国の古典に次のような言葉があるそうです。『仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙という』。幽玄な美しさを感じさせる言葉ですね。水仙は別名「雪中花」や「金盞銀台」(銀の台に金杯をのせたような姿)とも呼ばれるそうです。いずれも美しい名前が付けられています。

黄水仙にまつわる神話を知ろう

黄色い水仙には「もう一度愛してほしい」「私のもとへ帰って」などの花言葉があります。黄水仙には先ほどご紹介したものとは別のギリシャ神話のエピソードが言い伝えられています。

冥界の王ハーデスは女神アフロディーテの策により、息子のエロスに恋の矢を打たれて、デメテルの娘ペルセポネに恋をします。野で花を摘んでいたペルセポネはハーデスにさらわれ、冥界に連れ去られてしまいます。この時、ペルセポネの手から落ちた水仙が黄水仙に変わったと言われています。ペルセポネの母であったデメテルは激怒し、ゼウスに抗議します。しかしゼウスはこれをはねつけてしまい、デメテルは姿を隠してしまいます。冥界に連れ去られ得たペルセポネは、その後もハーデスのアプローチに応じることがなかったそうです。

水仙のよい意味の花言葉を知ろう

水仙といえば「ナルシスト」というイメージが強いかもしれませんが、水仙にもいくつかのよい意味の花言葉もあります。「気高さ」や「神秘」といった花言葉は、水仙の凛とした美しさにぴったりです。すっと伸びた茎の先で可憐に咲く水仙は気高さを感じさせますし、水辺にたたずむ姿はどこかこの世のものとは思えない神秘的な美しさです。

先ほどご紹介した黄水仙の「もう一度愛してほしい」という花言葉は、別れた相手へのメッセージを込めて贈りたい花言葉です。またラッパズイセンには「尊敬」という花言葉があります。尊敬する人へのギフトとして使ってみてください。

いかがでしたか。ここまで、水仙の花言葉の由来をはじめ水仙にまつわる様々なエピソードをご紹介してきました。「ナルシスト」というイメージが強く、人に贈りにくいと思っている方も、よい意味の花言葉を知ることで水仙の別の側面が見えてきたのではないでしょうか。

水仙は12月から1月の寒い季節に流通することが多く、お正月のお花として和風にアレンジされます。一方で、バラやストロベリーキャンドルなどと組み合わせて洋風のアレンジを楽しむこともできます。

水仙の花は高貴な印象とは対照的に、その育て方はとても簡単。基本的には植えっぱなしでも元気に育ってくれるので、ガーデニングにもおススメです。美しい水仙の花をあなたらしくアレンジして、生活シーンに取り入れてみてくださいね。

パーソナリティの変容を求める行為と、スタンドプレーはどのように見分けるのでしょう??

因果の法則 を見てしまいます。

行為の結果を見れば 隠された意図が見えるということになるのではないでしょうか???


スタンドプレーをする者の意図は??承認欲求???


スタンドプレーに対してどのような対応ができるのでしょう?

ペーシング・リードの関りが望ましいのかもしれません。


まず自分の感情を手放す必要があります。


スタンドプレーの意図が承認欲求にあるのであるとしたら プレーヤーはみんなのニーズをキャッチしているということになります。


そのことを承認したうえで、自分のFeel Want Willing どのように感じたか、どのようにあることを望んでいるか、自分の意志はどうかを明確にし そのうえでのアイメッセージのコミュニケーションが出発になるのではないでしょうか?


しかし相互理解が得られるとは限りません。

世界は多様であり 在り方、生き方も千差万別です。以下の投稿記事が参考になるのではないでしょうか?


”それ”は在る bot@o0690oo

一切全ての観念を放棄すること。これが〈赦し〉であり、〈在る〉なのです。聖なる無視、聖なる無関心により、全てを赦して解放するのです。

一指李承憲@ILCHIjp

あなたは普段、自分自身をありのまま眺めてあげていますか?人と比べて自分を卑下してはいませんか?自分自身を最も早く不幸のどん底に落とす方法は「人と比較する」ことです。仕事ができるから、勉強がよくできるからではなく、ありのままの自分を認めて愛することから人生の主になる道が始まります。

一指李承憲@ILCHIjp

人は皆それぞれにエネルギーがあります。お天気のように、私たちのエネルギーも二転三転、変化します。雨が降れば傘を差し、寒ければ厚着をし、暑ければ脱ぐように、自分の考えや感情のエネルギー変化をウォッチングするとき、私たちは自分でエネルギーをコントロールすることができます。

「冥土通いの井戸」の奥には「黄泉がえりの井戸」があります。

死と再生はセット。パーソナリティは変容し続ける仮面。

一指李承憲@ILCHIjp

いつも同じことを繰り返し、同じ人と会っている人は「今」に何の意味があるのかと問うかもしれません。しかし「同じ」というのは錯覚です。どんなことであっても同じことを繰り返えすことはできません。昨日は過ぎ去りました。私たちはいつも違う場所に居て、違うことをし、違う人と会います。

コズミックホリステック医療 俳句療法

吾であり・宇宙である☆和して同せず☆競争ではなく共生を☆

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