篠井(上越変成帯)の鉱山

水涸れてなほシトリンのふふみけり  高資

あまたの岩石がある中に光るものあり、手に取ってみると何と黄水晶でした。もう一つ見つけましたが、ほかは普通の石ばかりでした。

黄水晶です。鉄分のために黄色くなっています。

龍脈が水晶の生成に関わっていますね


宇都宮篠井の鉱山から採れた紫水晶です。http://d.hatena.ne.jp/kocteau/20080406/p1


https://okatsubo.com/2017/08/15/%E7%AF%A0%E4%BA%95%E9%87%91%E5%B1%B1%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%8E%B2%E8%BC%89%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99/  【篠井金山の歴史掲載します】

篠井には大昔、金の採掘で有名だった篠井金山がありました。(西暦1500年代の戦国時代~江戸時代にかけてです)金の産出量もそこそこ多くて金山の文献などで時々名前を見ることが出来ます。しかし歴史の全貌が定かでないためよく分からない点が多く、住民の頭の中から消え失せてしまいそうな状況になっています。

私は5年位前に地元の広報誌の委員をやっていて何とかその歴史をきちんとまとめたいと思い、調査をしながら年4回程度発行する広報誌に金山の歴史を載せていました。しかし、十分資料が集まらず5,6回掲載したところで中断してしましました。

江戸時代に書かれた篠井金山絵図

今はスマホでネットを自由に見られる時代なので、過去まとめた内容をネット上に公開し、その都度分かったことを追記する形で継続して資料作成していくことにしました。当サイトの固定メニューに「篠井金山」という項目を作り、記事がある程度まとまったらアップしていきます。(現在まとめています)

1.篠井金山の歴史概略

~佐竹氏による金山開発~

篠井金山の歴史は戦国時代(西暦1500年頃)にまで遡るだろうと言われています。言い伝えでは当時、宇都宮藩を治めていた宇都宮氏がお隣、茨城県(常陸太田)の大名「佐竹」氏の力を借りて金山開発を始めたのではないかとされています。(この両者は政治的に結びつきがあり、佐竹の娘3人が宇都宮氏に嫁いでいます。)

茨城県は当時、良質な金山がいくつも存在し、佐竹氏の支配のもと運営されていました。佐竹氏が金山の採掘技術や鉱山運営のノウハウを持っていたのでそれを借りて篠井の山を金山として開発したと思われます。

金山の場所としては榛名山(当時はガンガラ山)、男山、本山にかけての一帯だったとされています。(実際、採掘跡が確認されています)

現在、中篠井には「東海寺」というお寺がありますが、ここが金山開発時の事務所(金山奉行所)だったと伝えられています。佐竹氏は茨城県の常陸太田を本拠地としていた大名で、現在の東海村の村松にある虚空像菩薩を持念仏(じねんぶつ)として崇拝していました。篠井の金山開発において安全祈願と事業の成功を祈願して東海寺に虚空像菩薩像を寄進して守り神としたそうです。東海寺もこの時までは別の名前が付いていましたが、東海の地から仏様を持ってきたこと(勧請;かんじょう)にちなんで「東海寺」と改名されたということです。(東海とは原子力発電所でよく名前が出てくる現在の東海村のことです。)

戦国時代後半(1500年代後半)、篠井の金山開発が盛んになり、19代当主「佐竹義宣(1570-1633年)」(さたけ よしのぶ)の頃が最盛期だったと「篠井の郷土史」は伝えています。当時の金山の坑夫達が歌ったとされる「篠井金掘唄」では「ハ~ 佐竹奉行は己等(おいら)の主よ 恵みあつきで精が出る」と佐竹氏の名前が出てきます。

しかし、天下分け目の戦いと言われる「関ヶ原の戦い」で篠井の金山開発の状況が大きく変わります。佐竹義宣は徳川家康の敵側の石田三成に加担したというかどで1602年に石高(こくだか)も告げられぬまま秋田に転封(てんぽう;お国替え)されてしまうのです。(1602年というのは江戸時代が始まる前年のことです)

佐竹氏は家臣を引き連れて秋田に向かい、秋田の大名(久保田藩)として懸命に生き延びていきます。江戸時代一度も家督が途切れることなく、名家の血筋を繋いでいったのです。佐竹氏が秋田に移ってから、経済基盤を確立させるためにすさまじい勢いで金銀山の開発、森林資源の開発(秋田杉など)を行っています。

現在の秋田県知事の佐竹敬久氏も佐竹の末裔です。

2.江戸時代の金山開発

江戸時代になってから篠井の金山開発がどうだったのか全く分かりません。茨城県ではそれまで金山開発を行っていた佐竹氏がいなくなり、金山は徳川に引き継がれたが、次第に衰退の一途をたどったと歴史書には書かれています。秋田に転封になったときに主要金山の坑口は全部ふさいでしまい、金山技術者も一緒に連れて行ったとされています。徳川側に金を持って行かれるのが嫌だったんでしょうね。

戦国時代末には宇都宮藩の当主、宇都宮国綱は浅野長政の陰謀で改易となり、備前国(岡山県)に流され、宇都宮氏は断絶します。金山開発の実行部隊であった佐竹氏もいなくなる等篠井金山の運営は窮地に立たされます。

江戸時代に入ると全国の金山は幕府の直轄領となり、幕府が直接、採掘、運営に携わることになります。篠井金山はどうなったのでしょうか?現在の所、資料が無いので全く分かりません。

こんな感じで金山の歴史をまとめて固定ページの1メニューとして掲載します。


http://gondwana.sci.yamaguchi-u.ac.jp/?page_id=4845  

【日本列島の地質構造区分と主な地質体】  より抜粋

C. 関東地方

関東地方北部、日立地域には阿武隈帯に続く白亜紀花崗岩と日立変成岩が分布する。

日立変成岩は、茨城県北部に分布し、約5億年前のカンブリア紀と石炭紀~ペルム紀の岩石が白亜紀に広域変成を受けた地質体で、日立鉱山など含銅硫化鉄鉱床を含む。

足尾山地から八溝山地にかけては、主にチャートや砂岩・泥岩と石灰岩を含むジュラ紀付加体(足尾帯)が分布する。群馬・新潟県境付近、谷川岳周辺から利根川・片品川上流にかけて、新第三紀以降の火山岩などの下位に、蛇紋岩や結晶片岩、変成苦鉄質火成岩などからなる小岩体が分布し、これらをまとめて上越変成帯と呼んでいる。

関東山地には、北側から三波川帯・秩父帯・四万十帯に相当する地層が分布し、西南日本の地質体配列の連続が認められる。北部の筑波山地には花崗岩と変成岩の小岩体があり、領家帯に相当すると考えられている。また丹沢山地には、新第三紀の丹沢層群中に中新世の深成岩が貫入し、その周囲に丹沢変成岩が分布する。小笠原諸島では、ボニン岩(Mgに富む安山岩)の産出が知られている。



http://www.town.hamatonbetsu.hokkaido.jp/sightSeeingEvent/usotan-mamechishiki.phtml

【砂金豆知識】  より抜粋

金が採れる場所?

 昔も今も砂金の採れる川というのは、このウソタンを含め、日本各地にもたくさんあるわけなんですけど、これがどの川でも採れるわけではなくて、一般的にいわれるのが、「蛇紋岩」といわれる緑、もしくは黒ぽい緑色で、もともとカンラン岩という深成岩が水との反応で、変質してできた岩石があるんですが、この「蛇紋岩」が多くみられる地層に、砂金も多く含まれるといわれています。

北海道で言うと、ちょうど、まん中を縦に半分に割ったあたりが、蛇紋岩の地層になっていて、日高山脈の東部に沿って、三石付近から夕張岳周辺、鷹栖、幌加内などをとおり、ここの珠文岳付近まで続いています。この蛇紋岩の周辺部には、ホルンフェルスや角閃岩などの変成岩といわれる、一度出来た岩石がまわりから熱や圧力をうけて新しく変わって出来た岩石があるんですが、そういった変成岩類も多くみられまして、こういった付近の川や山から金が採れるわけなんですが、この蛇紋岩地帯には、金の他にも、砂白金(プラチナ)や、ヒスイやガーネットとよばれるザクロイシなどの宝石などとして使われている珍しい鉱物や、一般的なものでも砂鉄、クローム鉄鉱、辰砂なども、産出されます。ちなみにこのウソタン川やとなりの中頓別のペイチャン川や歌登のパンケナイ川などでも、砂金の他に、わずかではありますが、こういった鉱物にめぐり合うこともあります。


http://www.yamame.co.jp/sympo8-14.html 

【講演 「中央構造線を考える」―21世紀の聖地論―講師 後藤拓磨氏(中央構造線の謎を探る会)】 より抜粋

花崗岩というのは、中央構造線の位置を特定する場合、内帯を特定する指標になります。さっき言いましたが、蛇紋岩のほうは、中央構造線の外帯の指標になります。鹿島の要石は、中央構造線の内帯の花崗岩かどうかは解りません。一方んの蛇紋岩は、非常に磁性を帯びているということですね。


https://mtl-muse.com/mtl/aboutmtl/sanbagawa-belt/

【大鹿村中央構造線博物館 三波川変成帯の岩石】  より抜粋

三波川(さんばがわ)変成帯は、中央構造線の外帯側に、関東から九州まで続いている地質帯です。三波川の名前は、埼玉県と群馬県の県境を流れる神流(かんな)川に群馬県側から合流する川の名に由来します。

https://mtl-muse.com/mtl/aboutmtl/accre-prism/  

【大鹿村中央構造線博物館  日本列島の土台は「付加体」の岩石】


https://ameblo.jp/dzf999tea-party/entry-12179722891.html

【『中央構造線』復活(その8)-構造線の“構造”・・・①】

浄玻璃の牙上下出や初不動  高資ー 場所: 篠井富屋連峰


  水晶が形成されたのは、数千年から数億年前という説まであるようです。いずれにしても気が遠くなるほどの星霜を経てきたのでしょうね。幾多の環境圧力に耐え抜いてなお造化の妙を留める気色には感銘深いものがあります。金剛なら尚更です。

これも近くで見つけましたが、磁石に少し引かれるので鉄を含んでいるとは思いますが、自然銅か黄銅鉱ではないかと思います。

もろむきの奥に瑠璃玻璃浄土かな  高資ー 場所: 篠井富屋連峰

俗に言う宇都宮アルプスは太古、熱水鉱床があったようで所々に金鉱床も見られます。

空風や五色の石を拾ひたる  高資ー 場所: 栃木県 宇都宮市

宇都宮・篠井の山 むかし金山があったところ 空海が錫杖で開鑿した池の側で見つけました

他にも紫水晶、黄水晶、黄鉄鉱などもありました。

コズミックホリステック医療 俳句療法

吾であり・宇宙である☆和して同せず☆競争ではなく共生を☆

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