ご無沙汰しておりました。拉致の解決を待たずにお亡くなりになったご無念には察するに余りあります。心よりお悼み申し上げます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/75bf80350caa2cb60343bf58a8daaf4d64aa34af?fbclid=IwAR2C3Jhed9UXrpT7JASQbDXvX4di7VfevkiXw8rNtNJS497zPwVVumqno_M
【横田めぐみさんの父、滋さん死去 初代家族会代表】 より
昭和52年11月に北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で、拉致被害者家族会の前代表、横田滋(よこた・しげる)さんが5日午後、老衰のため川崎市内の病院で死去した。87歳。
平成9年2月、めぐみさんが北朝鮮に拉致された疑いが産経新聞などで報じられ、国会でも取り上げられると翌3月、日本各地の被害者家族とともに家族会を結成し代表に就任。妻の早紀江さん(84)と全国1300カ所以上で講演し被害者奪還を訴える署名活動などにも尽力、救出運動の象徴的存在になった。
19年9月に胆嚢(たんのう)の摘出手術を受け、体調不良や高齢による体力面の不安から同11月に家族会代表を退任。その後も、早紀江さんらとともに救出活動に積極的に取り組んでいたが、自身のけがや、体調不良から講演などは減少していた。30年4月にはパーキンソン症候群のため入院し、リハビリに取り組んでいた。
徳島県で生まれ、北海道で育った。昭和39年10月、早紀江さんとの間に長女のめぐみさんが誕生した。日本銀行新潟支店に赴任していた52年11月15日、中学1年だっためぐみさんが帰宅途中に失踪。約20年後の平成9年1月、亡命した北朝鮮工作員の証言などから、北朝鮮による拉致が確実視されるようになった。
北朝鮮は14年9月の日朝首脳会談でめぐみさんの安否について「死亡」と説明したが提供資料などには嘘や矛盾が数多く発覚。16年に「遺骨」として提供してきた骨も、DNA型鑑定で別人のものと判明し、日本政府は北朝鮮に被害者の帰国を求め続けている。
https://www.nippon.com/ja/news/yjj2020060501108/ 【横田滋さん死去=めぐみさん父、87歳―拉致被害者の家族会元代表】 より
北朝鮮に拉致された横田めぐみさん=拉致当時(13)=の父で、拉致被害者「家族会」元代表の横田滋(よこた・しげる)さんが5日午後2時57分、老衰のため、入院先の川崎市の病院で死去した。87歳だった。葬儀は近親者で行う。関係者による「お別れの会」を後日開催する予定。
滋さんの死去により、拉致被害者の父母世代で存命なのは、妻早紀江さん(84)と有本恵子さん=拉致当時(23)=の父明弘さん(91)の2人となった。
1932年徳島県生まれ。日本銀行名古屋支店勤務時に早紀江さんと結婚し、64年に長女めぐみさんが誕生。転勤先の新潟市で77年11月15日、めぐみさんが失踪した。
日銀を定年退職した後、97年にめぐみさんが北朝鮮に拉致されたと判明したことを受け、全国の拉致被害者家族らと「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)を結成。自ら代表に就任し、早紀江さんとともに救出を訴える署名集めを始めた。
全国各地で活動を続けてきたが、2005年ごろから体調が悪化。07年には胆のうの摘出手術を受け、家族会代表も退任した。これ以降も活動は継続し、講演会は1300回を超え、13年4月には、目標だった1000万人の署名を集めた。
14年3月には、めぐみさんの娘キム・ウンギョンさんとモンゴルで初めて面会した。
18年4月に体調不良で入院して以降、集会などを欠席しており、19年5月に来日したトランプ米大統領と拉致被害者家族との面談にも姿を見せなかった。
Facebook・蓮池 透さん投稿記事
【横田滋さんの訃報を受けて】
いつか、この日が来るのは分かっていたし、怖かった。
滋さんは、公には政治家に対しても、右派的思想家に対しても決して異論を唱えることのないジェントルな人だった。しかし、プライベートではお酒が好きで、日ごとにその量は増えていった。その時に発する言葉は耳を疑うような内容だった。ある人を大きな声でストレートに批判する姿には、日ごろの悲しみ、怒り、苛立ち、苦しみ、焦りなど全ての感情が込められていると推察するのは容易だった。どちらが真の滋さんか?間違いなく後者だ。ただ、めぐみさんに会いたいだけ。だから宥和的にことを進めるべき、経済制裁には反対。本心はそうだったのだ。
こんなことがあった。戦後、日本への帰還が果たせず、中途の朝鮮半島で息絶えた人たちが2万人以上いる。その家族はほとんど80歳を優に超える高齢者ばかりだ。遺骨を収容することが叶わず、せめて訪朝して弔いたいと考えていた。しかし、訪朝することにより拉致問題に悪影響を与えるのでは、と躊躇していたという。その折に私に見解を問いたいとの連絡があり、滋さんに相談してみた。滋さん曰く「人権に優先順位などない。気兼ねなく訪朝して欲しい」。私と同意見だったことに感激したものだ。「死んでいる人たちより生きている方が先だ」との意見があった中、家族会代表としての滋さんの発言には感銘を受けた。それを聞いたときの遺族の皆さんの安堵する表情は忘れることができない。
そういう意味でも、滋さんの存在は重要だった。世の中はコロナ禍で拉致問題どころではない状況。収束まで動かないのか?滋さんの心中も不安で一杯だったはず。言うまでもなく、その前に動いておくべきだった。「40年以上救出を先導」とか「再開の願い叶わず」とか言っている場合ではないのだ。また「断腸の思い」と繰り返した安倍首相。「申し訳ない」は付け足したが。自分の無為無策を棚に上げて、拉致問題が進展しないのは国民の関心が薄れているせいだ、と平気で言う政府。
みなさん、いい加減気付いてください。安倍首相は拉致被害者を救出するなどという気はさらさらないのです。この期に及んで「早期」救出とか言っているではありませんか。今こそ、安倍首相!責任を取ってください、と叫ばなくてはなりません。そうでなくては、滋さんのご冥福を祈ることはできません。
それができるのは、拉致のおかげで二回も総理になった安倍氏が恩返しをして、めぐみさんの問題が解決したときです。
合掌
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