開闢を知つてゐさうな大海鼠


開闢を知つてゐさうな大海鼠  仲寒蟬

流し雛目に見えぬものおそろしく  同

木も牛も影濃くなりぬ夏の牧  同


「開闢を知つてゐさうな大海鼠」の句は和邇氏を連想させます。

http://panna.mydns.jp/kodaisi/kodaisi_04.html   【和邇氏のルーツを考える】

前にも書きましたが、私の住んでいる所は滋賀県大津市衣川という所です。ちょうどJR湖西線の「おごと温泉」駅と「堅田」駅の中間辺りに位置します。「堅田」駅から湖西線を近江今津方面に向かうと、「小野」駅、「和邇」駅と駅名が続きます。小野は、小野妹子、小野道風の出所として知られていますし、和邇は和邇部(あるいは和邇部臣)に関係深い地名と言われています。湖西線の西側の丘陵地一体、和邇から真野、衣川にかけては多くの遺跡や古墳、古墳群が存在しますが、中でも春日山古墳群はその墳墓の数が210基を超えており、墳長60m級のE12号墳(前方後円墳)は4世紀中葉~後葉の構築、同じく墳長60m級のE1号墳(前方後円墳)は4世紀末~5世紀初頭の構築と推定されています。

そんなことから和邇氏、小野氏については少なからず関心があったのですが、ひょんなことから「和邇」と古事記の関係に気付きました。稲羽(因幡)の素兎(しろうさぎ)の話ですが、何故古事記には唐突に稲羽の素兎の話が出てくるのだろうか、ずっと疑問に思っていました。鮫(わに)を騙してその背中を飛び移りながら隠岐の島から稲羽に渡った兎が、騙されたことを知った鮫に丸裸にされて苦しんでいるのを大國主神(オホクニヌシノカミ)が助けたという話。古事記は、この話でいったい何を伝えようとしているのか、何かの意味があるはずです。何かの本で読みましたが、兎の赤裸を治すために蒲の穂を使った大國主神は薬草や医療の技術・知識を持っていたとありました。しかしそんなことを後世に伝えるための話としては少し突飛なように思います。もっと重要な事実を伝えようとした寓話ではないかと思うのです。

「岩波文庫/古事記(倉野憲司校注。以下、古事記)」では、兎に騙されたことを怒って兎を丸裸にしたのは鮫ですが、何気なく原文を見て驚いたのは実は「和邇」と書かれているのです。割注には「此二字依音」とあるので、漢字の意味はなく、単に「わに」という音を漢字表記したものであるというのが割注を書いた人物の見解です。倉野憲司氏はこれを「鮫(わに)」としたわけです。ところで、古事記原文には鮫と解釈された「和邇」は三か所出てきます。その一はこの稲羽の素兎の話。その二は海幸彦・山幸彦の話で、山幸彦を綿津見神(ワタツミノカミ)の宮から地上に送り返した一尋和邇(ひとひろわに)。その三は山幸彦の妻となって天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズノミコト)を生んだ綿津見神(ワタツミノカミ)の娘、豐玉毘賣命(トヨタマビメノミコト)の正体が八尋和邇(やひろわに)であったという記述。

天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命は、神武天皇(ジンムテンノウ)の父ですから、八尋和邇は神武天皇の祖母ということになります。更に、神武天皇の母はその八尋和邇である豐玉毘賣命の妹、玉依毘賣(タマヨリビメ)なのです。従って和邇(族)は紛いも無く初代天皇の母方の祖であるというわけです。ふむー。。。。これはなにか重要な意味が「和邇」には込められているというのが私の素朴な感想です。

「和邇」は単に魚類の鮫を意味しただけでなく、もっと本質的な隠された意味を持っていたのではないか。三つの「和邇」に共通するもの、それは海を渡る能力、即ち船であり、それを使って航海する能力を持った人々(族)を指しているのではないかということです。

と、まあ前置きというか、このテーマについてすこし勉強してみようと思った動機をとりあえずは書いてみました。これから勉強しながら少しずつ纏めてはその本質に迫っていこうと思います。


http://tetsukosei.blogspot.com/2016/05/blog-post_35.html 【近江の鉄〜息長氏・和邇氏〜】


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