星までの距離思ひけり刈田道 三島広志
いつからを夕空といふ桐の花 同
寒星や魂の着る人の肌 同
Faceboo・石川 眞樹夫さん投稿記事
◎『バッチ博士の言葉』
「私たちは、自分自身の魂の命令にだけ従い、環境や他人に左右されないように個性を伸ばしていき、世俗的な束縛から自分を自由にしなければなりません。」
「どんな時も、舵を他人の手に委ねてはいけません。自分の行うことすべてが、すべての行為が、いやそれどころか、考えの一つ一つが、自分自身から発せられ、それによって、自発的に、全く自発的に生き、人を助けられるように、絶対的で完全な自由を得なければなりません。」
「私たちに与えられたただ一つの義務は、自分の良心の命令に従うことであり、ほんの一瞬も他人の支配に屈しないということです。」Dr.E dward Bach-Heal Thyself(汝自身を癒せ)より
「もう一つ大事なことがあります。それは恐れを全て捨て去ることです。私たちの中に神性が存在し、その故に神性は私たち自身であり、征服しがたく不滅なので、本来人間の世界には恐れなど存在しません。私たちが神の子として、それを理解できるなら、何も恐れるものなど存在しないのです。」Dr.E dward Bach-Heal Thyself(汝自身を癒せ)より
Facebook・濱松暢史さん投稿記事
コロナの何に怯えてる?
よくわからないものに怯えてないで、目の前の数字をよくみるといい。
怯える必要のないことはすぐにわかる。
なぜテレビや政府はそんなに煽るのか、ついでに考えてみて!
https://toyokeizai.net/articles/-/354197?display=b&fbclid=IwAR1df_0keViUSzOk5eRdkMeiPufTS2uiScwAIzUa2B5PWPdI7bw1qdIJGlc 【日本ではコロナよりも恐慌を招くほうが怖い 第2波では緊急事態宣言を避けて冷静な対策を】
5月25日に全都道府県で緊急事態宣言が解除され、活動再開に向けて動き出すことになった。人命重視の下で医療従事者の懸命な努力やわが国の医療レベルの高さなどによって、新型コロナの第1波を乗り越えることができた。
しかし、早くも第2波の流行に対する懸念が高まっている。感染者が再び増加した北九州市では「第2波の真っただ中にいる」との認識の下、再度の活動制限を行った。現時点でこうした動きは局所的だが、いずれ第2波は必ず訪れると考えておくべきだろう。
政府は第1波と同様に感染者数の動向をチェックしながら、緊急事態宣言を発動するかどうかを判断するという。しかし、この手法には筆者は反対である。第2波へ向けては第1波の経験を踏まえた冷静な対策が求められる。第2波にどう向き合うべきかを整理しておきたい。
他のウイルスに比べて脅威は大きくない
新型コロナ第1波の経験を振り返ると、明らかになったことが2つあると思う。
1つ目は新型コロナの本当の危険度が見えてきたことである。
5月31日時点で新型コロナによる日本の死亡者は891人。これは世界的にみると非常に少ない。憲法上の問題もあって、米欧のような厳しい都市封鎖(ロックダウン)を行わず、国民の自発的協力に依拠した活動自粛策にとどまった。つまり、人の移動を完全に制限することはできず、感染拡大の余地を残すことになった。にもかかわらず、新型コロナによる死亡者は米欧諸国に比べて圧倒的に少ない。
この理由としてさまざまな仮説が出されており、本当の原因はいまだ不明である。感染率が低いのか、感染したときの致死率が低いのか、それさえもわかっていない。ただ、日本の死亡率が極めて低いことは紛れもない事実である。
新型コロナの死亡者は米欧諸国に比べて少ないだけでなく、毎年流行する季節性インフルエンザによる死亡者をも大きく下回っている。50歳代まではほとんど亡くならず、高齢化に伴い死亡率が急上昇するという年齢パターンは両者同じだが、全体的に新型コロナの死亡率のほうが低い。2018年にはインフルエンザで3325人が亡くなったが、新型コロナによる死亡者数はその4分の1という規模だ。
こうした情報から判断すると、新型コロナは決して脅威のウイルスというわけではなさそうだ。もちろん、高齢者での死亡率は比較的高いため、感染予防や重症化対策は不可欠だが、データを見るかぎり、若年層にとって新型コロナはリスクの低いウイルスといって差し支えない。
活動制限でリーマンショックを上回る景気後退に
2つ目は、新型コロナ対策としての活動制限が社会に甚大なマイナスの影響をもたらしたことである。経済面の影響では2008~2009年のリーマンショックを上回る景気後退に陥っている。
緊急事態宣言が発動された4月の鉱工業生産は前年同月比マイナス14.4%の減少となったほか、小売り販売額も同マイナス13.7%の落ち込みである。外食産業でも、ファミリーレストランの売上高が同マイナス59.1%減、喫茶店が同マイナス72.4%減となった。テーマパークや映画館などはさらに厳しく、売り上げゼロの世界に変わった。
国全体の経済活動水準も大幅に低下した。インバウンド需要や財輸出といった海外需要も下押し要因として働いているものの、最も経済を押し下げたのは活動制限に伴う国内需要の減少である。
子どもたちの成長にも大きなマイナスの影響を残した。オンライン授業の環境が整わないまま学校が閉鎖されたため、勉強に支障を来すことになった。部活動の中止で能力の多様化も阻まれ、外で自由に遊べないため身体的ストレスもたまる。学校や学童保育が閉鎖されたことで社会・地域との接点が失われ、社会性や人間関係を築くことも難しくなった。
未成年者は新型コロナによってほとんど重症化しないことを考えると、成長の機会を奪われた子どもたちは、新型コロナ対策の最大の犠牲者といえるかもしれない。
健康面でも見えないコストが積み上がっている。「コロナ太り」と揶揄されたように、自粛生活が長期化すると、運動不足、栄養バランスを欠いた食事、精神的ストレスなどを通じて、健康状態が悪化することが懸念されている。これはいわば、新型コロナによる健康2次被害である。新型コロナの死亡者のように目に見える被害ではないものの、国全体で広く薄く健康悪化のリスクが高まっている可能性がある。
結果的に緊急事態宣言は過剰反応だった
以上のように、①新型コロナによる死亡率が非常に低いこと、②看過できない多大なコストが発生したこと、この2点から考えると、これまでの新型コロナ対策は、コストに見合わない過剰対応だったと言わざるをえない。
もちろん、4月までは「未知のウイルス」であったため、初動の間違いを責めるべきではない。しかし、5月に入った後、低い死亡率と膨大な社会的コストが明らかになった時点で、新型コロナ対策は軌道修正を図るべきであった。この1カ月の遅れだけでも2兆円の経済的損失を生み出したと試算される。
では、もし来る第2波で感染者数が増加して、再び緊急事態宣言が発動された場合、どのようなことが起きるだろうか。第1波でも甚大なコストが発生したが、第2波ではそれを上回るコストが生じることになる。
第1波ではさまざまな需要が消滅したものの、倒産と失業は抑制できたため、宣言解除とともに経済活動は回復に向かうことができた。しかし、第2波で活動制限を行ったら、さすがに企業の資金繰りも行き詰まり、倒産と失業が急増することになる。こうなると、緊急事態宣言が解除されても内需減少に歯止めがかからず、本格的な恐慌シナリオに向かってしまう。
緊急事態宣言が社会不安や経済的困窮を助長し、かえって新型コロナによる死亡者を上回る自殺者などの増加につながりかねない。第1波における緊急事態宣言は、戦うべき敵についてほとんど情報がない段階での一時凌ぎの方策であった。財政面からも企業と家計の体力からも、何度も使える対策にはなりえない。
第2波を迎える前に、新型コロナ対策の枠組みを経済や日常生活とのバランスを考えたものに見直すべきだ。具体的には、以下の3点を提案したい。
第1:判断基準を感染者から死亡者へ
第1は、新型コロナ対策を決める判断基準を、感染者から死亡者に変更することである。
これまで政府が新型コロナ対策を打ち出す際に参考にしていたのは、主に感染者の動向である。4月7日に緊急事態宣言が発動されたのは、感染者数が増加の一途をたどったからであった。5月25日に緊急事態宣言が全面解除されたのも、「直近1週間の新規感染者数の累計が人口10万人あたり0.5人程度以下」という基準を達成したからだ。第2波に対しても、同様の感染者基準が設定される可能性が高い。
しかし、感染者を中心に据えた政策決定は不適当だと思われる。最大の問題は、新型コロナでは感染しても発症しない不顕性感染が多く、日々の感染者集計が真の感染者数を正しく反映していない点にある。新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の5月29日付資料によれば、「次なる波に備えた検査体制のさらなる強化」を行うという。
しかし、各国の状況をみると、検査数が増えるほど感染者数も増加するという関係にある。これは、検査体勢を強化するほど、多くの不顕性感染者を見つけ出すからである。結局、検査数が感染者数を左右してしまい、判断の基準点がわからなくなってしまう。
国民にとっていちばん重要な情報は、死亡者の動向である。
一般的に、「死亡者数=人口×感染率×致死率」という算式が成り立つため、本来、感染者は最終目標である死亡者の最小化を達成するための中間目標という位置付けである。しかし、新型コロナでは不顕性感染が多いため、感染者数は中間目標としての役割をまったく果たしていない。それなのに、感染者数に基づいて新型コロナ対策を決めるのは、国民の厚生に資するものと言いがたいのではないか。
5月31日時点の新型コロナによる死亡者は891人。これが社会的に許容される範囲内かどうかが問題なのに、この点がほとんど議論されていないように思われる。結果から言えば、新型コロナ第1波による死亡者は、季節性インフルエンザよりもかなり少なかった。
さまざまな死亡リスクと比較考量しつつ、新型コロナによる死亡者数の臨界値を決め、感染者偏重の新型コロナ対策から脱却すべきである。死亡者が許容範囲内に収まっているのであれば、信頼性に乏しい感染者数を重視する必要はなく、過度の活動制限も不要である。かえって他の要因による死者数を増やしてしまう可能性があるからだ。
第2:指定感染症の解除
第2は、指定感染症の解除である。
政府は1月28日、新型コロナウイルスを感染症法で定める「指定感染症」に指定した。これにより、新型コロナの感染者を強制的に入院させたり、就業を制限したりできるようになった。当時は中国武漢での死亡者急増が報道され、世界的な感染拡大が懸念された時期であり、指定感染症の指定は当然の対応であった。
しかし、当時から状況は大きく変わった。まず、米欧と違って日本人の死亡率は非常に低く、新型コロナの危険性が季節性インフルエンザと大差ない可能性が高まった。新型コロナに感染して「入院治療等を要する者」も累計1484人にすぎない。
少なくとも、感染症法第6条の「当該疾病のまん延により国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがある」には該当しないという印象である。さらに、感染しても症状が出ない不顕性感染が多いことも分かった。そのため、元気な感染者まですべて入院・隔離させてしまうと、かえって院内感染を拡大させる可能性を高め、医療崩壊を招きかねない。
指定感染症に指定すると、流行抑制に力を発揮する反面、医療現場の負荷も高める。これまでに判明した新型コロナの危険性を考えると、指定感染症を解除して、通常の感染症対応に戻しても大丈夫ではないだろうか。重症化リスクが低い若年層は、インフルエンザと同様に自宅待機でも深刻な問題になりにくい。そして、高齢者や基礎疾患を持っているハイリスク者に対して医療資源を集中させたほうが、第2波での対応力を高めることができると考えられる。
第3:国民への正しい情報提供
第3は、国民に対して正しい情報を提供することである。
とくに、新型コロナのリスクだけを強調して、国民の不安を煽らないことが重要である。現在の政府広報やこれに基づくメディアの報道は、依然として「恐怖の新型コロナ」との認識に基づいて、なんとしてでも感染を避けなければならないという論調である。一方で、死亡率が極めて低いことにはほとんど言及せず、国民の間でもその事実が共有されていない可能性が高い。
結果、国民感情には新型コロナに対する恐怖感ばかりが蓄積されてしまう。「コロナ鬱」「コロナブルー」などメンタル面の影響が現れたり、外出や人混みに恐怖感を抱いたりするようになったという人も多い。
こうした不安心理は、これから社会活動を再開する際に大きな足枷となる。3密回避やソーシャルディスタンスをあまりにも強調しすぎると、自ずと消費活動が萎縮することになり、経済の「V字回復」も実現困難になる。
前述のとおり、子どもや若年層は新型コロナに対するリスクが非常に低い。「感染しても自然経過するから、過度の心配は不要」というメッセージも必要ではないか。そのうえで、学校や幼児教育なども含め、低リスク層を優先して活動を全面再開することを検討すべきだ。新型コロナのリスクを正しく国民に伝え、必要以上に行動を萎縮させないことが求められる。
新型コロナ第2波では、よほど死亡者が急増しないかぎり、緊急事態宣言の発動は不要と筆者は考えている。日本ではとくに厳しい活動制限を講じることなく、新型コロナの第1波を乗り切ることができた。理由は不明ではあるが、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の分析によれば、4月7日の緊急事態宣言の6日前にすでに感染のピークを越えていたとされる。緊急事態宣言を発動しなくても、新型コロナ流行はコントロールできていたかもしれないのである。
こうした第1波の経験をさまざまな角度から分析すべきである。それを生かして、第2波が訪れる前に、日本ではどのような対応が必要かを改めて検討し、より賢い新型コロナ対策を準備することが求められる。他国と横並びの新型コロナ対策は必要ない。国民に過度の不安を抱かせることなく、長期化が予想される新型コロナとの共存を図るべきである。
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