http://www.yakujikyo.or.jp/festival/history.html 【医薬の祖神薬祖神】
【 薬 祖 神 社 】(ご由緒)
御祭神
大己貴命(おおなむじのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
御利益
無病健康・病気平癒
わが国で医薬の祖神と言われているのは、大己貴命(おおなむじのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二神で、共に国土経営に尽力され、薬の術や医道、酒造諸々を教えたと「古事記」や「日本書紀」「風土記」等に述べられています。
大己貴命は須佐之男神(すさのおのみこと)の子孫で、大国主命と同じ神様です。神話や童謡でも親しまれ、特に「因幡の白兎」の神話は有名です。(いなば:現在の鳥取県)
少彦名命は神産巣日神(かみむすびのかみ)の御子で蛾(が)の皮の着物に豆の実のさやの舟に乗っていたという大変小さな神であったようです。
日本橋本町の薬業界では、昔からこの二柱を祭神とする水戸の大洗磯前(いそさき)神社、酒列磯前(さかつらいそさき)神社や東京上野の五條天神社に参詣して崇敬の念を表 してきました。
明治41年(1908)からは、東京薬種貿易商同業組合(現公益社団法人 東京薬事協会)が、東京上野の五條天神社から薬祖神(やくそしん)の御霊を迎え大祭を執行し、昭和4年(1929年)には事務所建物の屋上に薬祖神社(初代社殿)が造営され、昭和58年には昭和薬貿ビル屋上に第二代目の社殿が造営されました。
さらに平成28年(2016年)9月28日福徳の森に第三代目の薬祖神社が遷座いたしました。
薬祖神社の始まりと現在の継承
昭和4年(1929)11月、事務所建物を本建築にした際その屋上に薬祖神社を造営してからは、その祭典もいよいよ盛大に挙行されるようになり、殊に 昭和8年の記録には「参詣者5千人、3千本の縁起飾り忽ち出尽くす」とあり、更に昭和10年の大祭には「参詣者7千人、縁起飾り6千本」とあって当時の賑 わい振りが偲ばれます。
終戦後の昭和21年(1946)11月、戦後初の薬祖神祭が挙行されたが、この時代は神前に供える御神酒にも事欠く苦しい世相でした。
昭和29年(1954)薬祖神祭を薬業界だけの祭りでなく、地域の行事にしようとの考えから、他の方々にも呼びかけ「薬祖神奉賛会」が結成され、初代会長 (当時は総代といった)に三共株式会社鈴木万平社長を迎え発足しました。これを契機に従来、薬貿協会が主催してきた祭典業務の一切(事務局は薬貿協会が兼務) が同奉賛会に引き継がれました。
祭日は旧習どおり11月22日であったが、昭和31年度(1956)から10月17日に改め今日に及んでいます。
行事の進行
例年の行事はおおむね次のとおりです。
祭日は原則として10月17日ですが、土・日曜日に当たる場合は繰り上げ、繰り下げが行われます。
平成31年は10月17日(木)となります。
平成28年から一般参拝の開始時間が変更になり、午後1時30分から6時30分となっています。
式典は当日の午後より、福徳の森の新社殿で五條天神社宮司が斎主となり執行され、奉賛会役員・来賓・会員事業主が参列し玉串奉奠を行う。式典終了後は昭和薬貿ビル2階の会場で祝宴(直会なおらい)が行われます。
なお、当会の特色として全会員に縁起飾りの「神壺」(しんこ・おけら笹)を配布します。
また、会員名が書かれた「奉納提灯」を配列し夜間点灯します。さらに会員有志の奉仕による薬用植物生け花」を展示して都民に対する薬用植物のPRを行っています。
そのほか新社殿の福徳の森では特設屋台を設け浜町の「祭礼ばやし」を行い、祭り気分の盛り上げに努めています。
http://www.sagayaku.or.jp/kusuri100w/kusuri100_09.htm#16 【薬祖神】
日本:少彦名神(命)
中国: 神 農
薬祖神:神農
〔日本薬祖神〕
わが国では、少彦名命(すくなひこなのみこと)が人間に医薬と農業を教えたとされる。日本書記(720年)によれば、少彦名命は呪いが上手で医薬の道に秀で、酒の醸造法を改良したともいわれ、酒を医薬として使ったとされる。
また、大己貴神((おおなむちのかみ)、大国主命(おおくにぬしのみこと)ともいう)と並称されるが、この場合は農耕や労働は大己貴神の行動として語られる。
古事記、日本書記には、この両神は兄弟の契りを結び、協力して国土を納めることに尽力し、医薬の道を大成されたと記載されている。
大阪の薬の問屋街として知られる道修町には薬神として少彦名神を祀った少彦名神社がある。
一方、東京の薬の町本町では少彦名神と大己貴神の二神を祀る。
大己貴命(大国主命)は、古事記(712年)に鮫に皮を剥がれて傷ついた因幡の白兎の皮膚傷を治すことが記されており、医薬に関係の深い神である。
〔中国の医薬神〕
神農(しんのう)は中国古代の伝説上の帝王で、火徳を有するので、炎帝ともよばれる。
民に農業、養蚕を教え、さまざまな草を試食して医薬を教えたとされる。体は人間であるが、頭に角があり、薬草を口にした人身牛首で、医薬の神 とされる。
日本では漢方医は冬至の日に神農をまつり、親戚、知人を饗応する習わしがあった。漢方全盛の江戸時代には日本の医薬神・少彦名神と中国の医薬神・神農が結びつき、その神社や祭りを「神農さん」と呼ぶようになった。
http://www.sagayaku.or.jp/kusuri100w/kusuri100_09.htm 【くす玉(薬玉) 】
今日、開店祝いや橋の開通式などに用いられる「くす玉」は「薬玉」で,もとは薬用香料を使い、邪気を払う長寿の象徴として用いられたものです。
また、端午の節供に屋外に立てる吹き流しは薬玉の変化したものいわれます。
〔薬玉〕麝香、沈香、丁子などの香料を入れた錦の袋三つの玉にして、糸で飾りざまな造花で飾り、ショウブやヨモギなどを添えて挿し、赤、青、黄、白、黒などの五色の糸飾りを長く垂れ下げたもの。
〔由来〕中国の後漢(25~220)乃至それ以前から端午に五色の糸をひじにかけて、魔除けのまじないにし、これを長命縷(ちょうめいる)、続命縷(ぞくめいる)などといった風習がわが国へ伝わったもの。
5月5日の端午の節供(節句)に、不浄を払い、邪気を避ける用具として柱などにかけ、また、肘ひじにかけるなど身につけて長命の呪いとました。
〔変遷〕平安時代に流行し、貴族間では贈答も行われたが、江戸時代になると次第に衰え、紙細工化し女児の玩具として流行した。
この紙細工は、技巧を凝らし、手芸品に発展し、茶器の袋などに応用された。現在では、商店の開店祝い、橋の開通式、船の進水式や祝典などに用いられる。玉が二つに割れて、中から五色の紙片などが散るものもある。
https://www.facebook.com/events/301950690688484/
神法禁厭(まじない)秘伝 ~邪気祓護身編~ 古神道邪気祓護身法の秘儀を伝授
霊符・秘印・秘詞 講師 矢加部幸彦(古神道家)
<邪気祓護身編その1>
●妄想悪念執着を解き放つ秘詞の伝授 ●清祓鎮魂神語の伝授 ●降魔印の伝授
●一切厄難除符(霊符)の伝授 ●霊符書写法の伝授
■令和2年1月27日(月)13時~15時半 ■参加費 16000円
*朱の筆ペン(呉竹の筆ペンが最適)を御用意下さい。。
化学顔料のものは不可です。墨の顔料使用のものをお願いします。
我が国の神典、古事記などにもみられるように、神々は、禁厭(まじない)をもって、災いを祓い、この国を、地球を造り固めなしていきました。。
中でも、大己貴命(大国主命)、少彦名命は禁厭の祖神といわれるが如く、天下(あまがした)の経営、国造りを、禁厭をもって行ってきたのです。。
これらの禁厭は、もとより、皇産霊(むすびの)神により授けられたもので、よって、禁厭(まじない)は、神々のお働きの顕れであり、それは、神道行事としても、遠く神代から行われ、朝廷でも尊信され、呪禁師という職制が置かれたほど、我が国の大事とされてきたのです。。
禁厭(まじない)の¨禁¨は、禁止の禁であり、厭¨は鎮圧の義であり、即ち禍いを抑え、害を止むることでありて、また、まじないは、交じり合いであり、神の心(霊力)と人の心(真心)が交じり合い、感応することでもあります。。
まさに、神人交流の、神法なのです。。
善事に使うことを禁厭といい、それを人が悪事に使えば呪詛といいますが、巷に流布しているまじないには、邪法もあり、また正法でないものも多くあります。
この「神法禁厭秘伝」シリーズ(10回シリーズ)では、秘伝の神ながらの正法をお伝えさせていただきます。。
(*重秘なる秘儀につき、他言無用に願います)
また、多忙な現代生活の中でも、比較的容易に実践活用できるものを厳選して伝授させていただきます。。
今後、更に光の振動数が上昇していくとか。。
そのプロセスの中で、同時に対極のエネルギーも増幅していくのは宇宙の理である故、時局乱れ、混迷の中にあるもまた事実でしょうか。。
そのような中、不測の事態を避けるため、余計なエネルギーに翻弄されずに修道を志すため、己を整え、さらなる弥栄へのご奉仕のため、神代の叡智の禁厭をもって、皆様とともに、豊穣と繁栄と祝福でもある、神ながらの道を歩んでまいりたいと思います。。
うれし楽しの弥栄なる道を・・・
この「神法禁厭秘伝」は、およそ十回シリーズで構成されています。
各回ごとに、禁厭の秘詞、秘印、正伝の霊符など、三~五つほどの禁厭道術の秘伝を伝授させていただきます。。
十回シリーズの内容は、下記の通りです。。
邪気祓護身編
霊性開発編
良縁和合編
延命長寿諸病治癒編
諸願成就開運招福編
等々
各シリーズを、1~3回に分けて伝授させていただき、10回をもって完結とします。。
☆10回全ての伝を伝授された方は「禁厭道術師」の允可を得ることが出来ます。
(*どの伝から受講されても結構です。。また、ご興味のある講座のみ受講していただいても構いません)
★今回の伝授内容は、邪気祓護身編その1となります。
●妄想悪念執着を解き放つ秘詞の伝授
●清祓鎮魂神語の伝授
●降魔印の伝授
●一切厄難除符(霊符)の伝授
●霊符書写法の伝授
*各回の講座の初めに、必ず、禊祓詞、大祓詞の奏上そして、古伝振魂行などを行い、、十分なる禊祓えにて己を整えた後に、各禁厭道術を伝授いたします。
如何なる、応験も、十分なる鎮魂禊が出来てからこそのことなのです。。
¨霊学の要は浄心にあり¨とは、神道霊学中興の祖、本田親徳の有名な言葉です。。
https://onmyozi-miyabi-gohu.jp/ca65/1153/p-r-s/ 【古神道WS 邪気祓い護身編3PLUS】
大変お待たせしました!
大阪府内 緊急事態宣言解除ならびに、100名以下でのWSやイベントはソーシャルディスタンスの元、許可をいただきましたので、当初3/7(土)開催予定だった大阪WSを6/13(土)に大阪事務所にて開催致します。
2部屋使ってのワークとなります。
受付は6/11 19:00締め切りとなります。
これまで100件以上の浄霊、祓い、地鎮等を行ってきましたhakuが、陰陽師の術の1つである邪気祓いの術や霊符を伝授させていただきます。
皆様にもできる内容となり、今回お伝えさせていただくのは古神道に伝わる、邪気祓い護身編のその3となります。
我が国の神典、古事記などにもみられるように、神々は、禁厭(まじない)をもって、災いを祓い、この国を、地球を造り固めなしていきました。
中でも、大己貴命(大国主命)、少彦名命は、禁厭の祖神といわれるが如く、天下(あまがした)の経営、国造りを、禁厭をもって行ってきたのです。
これらの禁厭は、もとより、皇産霊(むすびの)神により授けられたもので、よって、禁厭(まじない)は、神々のお働きの顕れであります。
それは、神道行事としても、遠く神代から行われ、朝廷でも尊信され、呪禁師という職制が置かれたほど、我が国の大事とされてきたのです。
禁厭(まじない)の¨禁¨は、禁止の禁であり、¨厭¨は鎮圧の義であり、即ち禍いを抑え、害を止むることであります。
さらに、まじないは、交じり合いであり、神の心(霊力)と人の心(真心)が交じり合い、感応することでもあります。。
禁厭(まじない)とは、まさに、神人交流の、神法なのです。
善事に使うことを禁厭といい、それを人が悪事に使えば呪詛といいます。
巷に流布しているまじないには、邪法もあり、また正法でないものも多くあります。
この「神法禁厭秘伝」シリーズ(10回シリーズ)では、秘伝の神ながらの正法をお伝えさせていただきます。
・邪気退散秘言
・降魔秘文別伝
・禍事祓の秘印
・妖気除符(霊符)の伝授
・霊符書写法
<主な内容>
この「神法禁厭秘伝」は、およそ十回シリーズで構成され、各回ごとに、禁厭の秘詞、秘印、正伝の霊符や書写方法など、三〜五つほどの禁厭道術の秘伝を伝授させていただきます。
十回シリーズの内容は、下記の通りです。
邪気祓護身 編
霊性開発 編
良縁和合 編
延命長寿諸病治癒 編
諸願成就開運招福 編 等々
そして皆様でもできる護符、霊符の書写法を伝授させていただきます。
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