Facebook・小早川 智さん投稿記事
#モーニングショー
ファクターXが見つかれば、ノーベル賞級の研究になるのに、日本政府はなんで全力を注がないのか?
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5ed0aaacc5b648e0a1b7ff1b 【ファクターXとは?山中伸弥教授がサイトで仮説立て話題に。大阪府の吉村知事も「あるのでは」と言及【新型コロナ】】 2020年05月29日 より
山中教授による『ファクターX』に関する記述には「7つ」の候補が記されている。
京都大学の山中伸弥教授が新型コロナウイルス感染症に関する情報を公開しているサイトに記載している『ファクターX』という言葉が、ネット上で注目を集めている。
5月28日から29日にかけて、日本テレビやテレビ朝日など複数のテレビ局が朝の情報番組で取り上げられていた。
山中教授が公開しているサイトには「『ファクターX』を探せ」と題して、文章が綴られている。
山中教授は、新型コロナウイルスへの感染対策について「日本の対策は世界の中でも緩い方に分類されます。しかし、感染者の広がりは世界の中でも遅いと思います。何故でしょうか?? たまたまスピードが遅いだけで、これから急速に感染が増大するのでしょうか?それとも、これまで感染拡大が遅かったのは、何か理由があるのでしょうか?」と投げかけた。
その上で、「私は、何か理由があるはずと仮説し、それをファクターXと呼んでいます。ファクターXを明らかにできれば、今後の対策戦略に活かすことが出来るはずです」と感染拡大や死者の数が海外の他の国と比べて抑えられているとされる現状には何らかの要因があるとの見解を示し、それを「ファクターX」と名付けていると説明した。
山中教授は「ファクターX」となる候補として、以下を挙げた。
・感染拡大の徹底的なクラスター対応の効果
・マスク着用や毎日の入浴などの高い衛生意識
・ハグや握手、大声での会話などが少ない生活文化
・日本人の遺伝的要因
・BCG接種など、何らかの公衆衛生政策の影響
・2020年1月までの、何らかのウイルス感染の影響
・ウイルスの遺伝子変異の影響
山中教授が仮説として立てた「ファクターX」については、専門家も言及している。
「京都大学 ウイルス・再生医科学研究所 附属感染症モデル研究センター」でウイルス共進化研究分野を主宰する宮沢孝幸氏は24日、Twitterで「山中教授も言っておられますが、ファクターXなるものがあるのかもしれません」と発信。
宮沢氏は続けて、「だとしたら、欧米の基準に引っ張られるのではなく、国内の数字を一番に参考にして施策するべきではないでしょうか」とつづり、新型コロナウイルス対策において日本国内のデータを最も参考にして策を講じるべきとの考えを示していた。
また、大阪府知事の吉村洋文氏は25日の囲み取材の際、新型コロナウイルス感染による死者数が日本は海外の他の国と比べて抑えられているとされることについて「ヨーロッパとは違う、何か、“ファクターX”があるのでは」と話していた。
ネット上では、「ファクターXは何なのか。あるとしたら早く解明されてほしい」「文化や衛生面もやはり要因になっているのかな」など、様々な声があがっていた。
一体、何を指す言葉なのだろうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E4%BC%B8%E5%BC%A5
【山中伸弥】 より抜粋
山中 伸弥(やまなか しんや、1962年〈昭和37年〉9月4日 - )は、日本の医学者。京都大学iPS細胞研究所所長・教授。カリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所上席研究員。日本学士院会員。学位は大阪市立大学博士(医学)。その他称号としては京都市名誉市民、東大阪市名誉市民、奈良先端科学技術大学院大学栄誉教授、広島大学特別栄誉教授、ロックフェラー大学名誉博士、香港大学名誉博士、香港中文大学名誉博士などを有する。文化勲章受章者。大阪府枚岡市(現・東大阪市枚岡地区)出身。
「成熟細胞が初期化され多能性をもつことの発見」により、2012年のノーベル生理学・医学賞をジョン・ガードンと共同受賞した
https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20180123-00080793/ 【研究不正大国ニッポン 山中伸弥先生の京大iPS細胞研究所でも 助教「論文の見栄えを良くしたかった」】
https://www.skeptics.jp/column/81-ips.html 【研究不正に対する京都大学iPS 細胞研究所と理化学研究所の対照的な危機管理:山中伸弥氏と野依良治氏の本質的相違】
https://note.com/logician/n/n8191fbfb5f9c 【研究不正に対する京都大学iPS 細胞研究所と理化学研究所の対照的な危機管理:山中伸弥氏と野依良治氏の本質的相違】
笹井氏の自殺・他殺 2014年08月24日
http://www.kobe-np.co.jp/news/iryou/201408/0007241802.shtml
理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(神戸市中央区)の笹井芳樹副センター長(52)の死亡を受け、笹井氏が培った目の再生医療に関する技術が継承・発展できるかどうか、関係者の間で不安の声が出ている。国が進める人工多能性幹細胞(iPS細胞)の実用化でも基盤となる技術のため、その成否に注目が集まる。(金井恒幸)
笹井氏は胚性幹細胞(ES細胞)を使い、目の網膜や脳の一部の組織を世界で初めて作製。ES細胞はiPS細胞と同様、体のさまざまな細胞になる性質があり、ES細胞で培われた技術や経験を基に、iPS細胞の応用が加速してきた。
再生医療では現在、iPS細胞などを病気の原因となる細胞に変化させて移植する「細胞移植」が主流。しかし、笹井氏の技術は複数の異なる種類の細胞を一挙に組み合わせ、立体的に組織化する。より治療効果が高まる可能性があり、「次世代の再生医療」として世界中から期待を集めていた。
笹井氏は、文部科学省が推進する「再生医療実現拠点ネットワークプログラム」の拠点長だった。現在、理研再生研などで進められている目の奥の網膜色素上皮細胞や視細胞だけでなく、目の前部にある角膜、結膜、涙腺などを含めた立体組織作りという目標を掲げていた。
それだけに、神戸医療産業都市構想の一環として、目の再生医療の拠点「神戸アイセンター(仮称)」を進める市の担当者は「笹井氏が持っていた幹細胞の立体組織化の技術を、きちんと継承できる人材がいるのかどうかに不安はある」と指摘。「笹井氏しかできない、技術のコア(核)な部分があるかもしれない」と漏らす。
ある理研の研究者は「今後は笹井氏の技術を生かして私たちがそれを応用・発展させ、目の組織の再生医療を進めたい」と話す。
理研の広報担当者は「再生医療実現拠点ネットワークプログラムは関係機関と相談しながら、理研として進めていきたい」と説明する。
*ちょっと雑学
<陸軍は理化学研究所(理研)の仁科芳雄博士に原爆の研究を依頼した>
【理化学研究所】
あるブログ転載
「科学者の楽園」とは理化学研究所のことなのですよ…。戦前は研究者の間でこのように言われていたそうです
※物理・化学の研究およびその応用などの研究を目的に、大正6年(1917)財団法人として設立された機関。第二次大戦後、株式会社科学研究所となったが、昭和33年(1958)政府の出資を得て特殊法人理化学研究所として整備された。平成15年(2003)文部科学省所管の独立行政法人として再発足。企業や大学との共同研究、知的財産権等の産業界への技術移転も視野に入れ、知的財産戦略センター、新興・再興感染症研究ネットワーク推進センター、放射光科学総合研究センター、次世代スーパーコンピューター開発実施本部などを開設している。本所は埼玉県和光市。理研。
・・・
最近では、小保方さんのSTEP細胞で、一躍脚光を浴びた理化学研究所ですが、発足から戦後に至るまで、いろいろ苦難の歴史があったようですよ…。
また、小保方さんも、最近論文の写真が使いまわしであるとか、文章が独論文のコピペであるとか<、再現性が得られないとかの報道があってちょっと身辺が騒がしいようです…。
さて、今日は上記の本からエピソードを拾いながら理化学研究所についてレポしたいと思っているのですよ…。。。
前回紹介したように、理化学研究所は大正6年設立の由緒ある研究所でおま…。
組織的には、文部科学省所管の独立行政法人の一つですよ…。予算の額でいうと、宇宙航空研究開発機構、日本原子力研究開発機構、日本学術振興会、日本学生支援機構、科学技術振興機構についで大きな組織です…。研究所という名称の組織の中では断トツの規模でおま…。
その理化学研究所も、誕生に至るまでは、難産だったのですよ…。当時の状況は、明治の初めの西洋文明、科学の産業の導入に当たっての、外国人のお抱え科学者、技術者を雇っていた時代を過ぎ、その後、欧米に派遣していた留学生が帰ってきて学問を広めたり、さらには西洋で研究を進め業績を挙げている時代でしたよ…。
しかし、欧米で研究して帰ってきても、国内でその受け皿となる研究機関がなかったのですよね…。大学は、まだ、研究機関というより教育機関であった時代なのです…。
日清、日露戦争に勝利した、いけいけの気運もあったかもしれませんね…。大正2年6月に、「国民科学研究所設立」の趣旨説明の催しが行われたのですよ…。築地精養軒に当時の農商務大臣や高級官吏、大倉喜八郎などの政財界人150人近くが集まり、座長には男爵渋沢栄一が据えられていました…。
ここで当時すでにタカジアスターゼやアドレナリンの「発明」でアメリカで活躍していた高峰譲吉が、参加した面々に大演説をぶったそうです…。
・・・
東洋の一隅に僻在していた小日本はいまや世界列強の班に列するまでになった。大正の御代となっては、この発展をいっそうさかんにしなければならない。それには、事業の発達、とくに化学工業の発展が急務であります。
しかるに、従来本邦に発達していますところの事業を見ますると、いわゆる知識を世界に求むる明治の方針に基づいて、新事業はほとんどヨーロッパから教わってきた、またはヨーロッパの模倣をしている事業であります。
かくのごとくにしていつまでもヨーロッパを模倣するということは、甚だ面白からぬことであろうと思いますし、またいかにかして日本固有の……少なくとも東洋固有の材料もしくは事業を研究し、発明して起こさなかったならば、本邦の産物を世界に広く売り広めて、世界の富を本邦に吸収することは覚束ないと思われるのであります。それゆえに何か新たに有益なる発明研究をしなければならぬと思います…。
で、年間50万から100万円が使える研究所が必要で、そのためには、一千万円から二千万円の基金が必要と彼は訴えたのですよ…。
さらに演説は続きます…。
二千万円と申すとずいぶん大金でありますが、また一方から考えますと、最新型のドレッドノート一艘の価にすぎませぬ。鋼鉄艦を一艘製造すれば即ちこのくらいの金は入用なのであります。しかして軍艦は進水式を致しましたその日からだんだん腐朽して十年十五年の後にはあるいは廃艦にならねばなりませぬ。しかるに軍艦なれば廃艦になるような時期には、もしその金を研究所の設立に費しておきましたならば、軍艦の廃艦になる時期には必ず二、三の世界的大発明が成立して富を起こすの基礎が立つに至るのであります…。
この高峰譲吉の大演説にもかかわらず、その場に居合わせた財界のトップたちの反応は冷淡だったのですよね…。実際の設立までには、いろいろ紆余曲折があったのでした…。
http://news.livedoor.com/article/detail/9163446/
笹井氏の遺書「STAP細胞再現して」は最大級の嫌味とも解釈可
理化学研究所(理研)発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹副センター長(享年52)が自殺してから約2週間が経過したが、残された「遺書」にはいくつもの不可解な点がある。
まず、「なぜ小保方晴子氏(31)宛ての遺書ばかりがマスコミに盛んにリークされたか」という点については、何らかの意図があってリーク内容が“選別”された可能性があると指摘されている。
次に、笹井氏の遺族が、自殺から1週間経って突然「家族宛ての遺書」を公表した経緯も謎だ。遺族の代理人である中村和洋弁護士はこう説明する。
「公開は故人の遺志に反すると思われ、遺族にとってもそれは耐え難いことです。しかし内容についての取材が相次いだため、プライバシーに関するところを除き、遺書の概要のみをお伝えすることにしました」
小保方氏への遺書がクローズアップされる一方、家族宛ての遺書については「存在しないのでは」とまで噂されていた。
明らかにされた内容は「今までありがとう」「先立つこと申し訳ない」という言葉と、「マスコミなどからの不当なバッシング、理研や研究室への責任から疲れてしまった」という記述だった。中村弁護士によれば、6月にセンター解体の提言を受け、精神的に追い込まれていたことも自殺の原因だったという。理研研究者はこんな見方をする。
「自殺直前にセンター内で見かけた笹井さんはげっそりとやつれていて、見ているこちらが不安になるほどだった。そんな状態を間近で見ていた家族の心配は相当なものだったでしょう。
にもかかわらず、小保方宛ての遺書ばかりが話題になって、理研の体制を問題視する声はない。身内からすれば、忸怩たる思いがあったはず。だからこそ、自殺の原因が“理研への責任”にあると訴えたかったのではないか」
もうひとつ解せないのは、笹井氏はそこまで追い詰められていたにもかかわらず、なぜ小保方氏にエールを送ったのかという点だ。別の理研関係者は首を傾げる。
「小保方さんが体調不良を訴えているため、STAP細胞の検証実験に本格的にとりかかれるのは9月頃といわれていますが、理研の関係者の間では、この検証実験は『成果がないことを確認するための作業にすぎない』というのが共通認識になっている。
そんな絶望的な状況をわかっている笹井さんが『STAP細胞を再現してください』と彼女に伝えたのはなぜなのか。本当に再現できると信じていたなら、自殺を図ったことと矛盾する。
笹井さんは責任感が強く、部下に責任を押しつけたりしない人ですが、冷静に読めば遺書のエールは最大級の『嫌味』とも取れる。笹井さんは小保方さんの杜撰な研究に裏切られた立場でもある。しかし騒動後、小保方さんは自分ひとり弁護士を立てて身を守ろうとした。笹井さんも内心は穏やかでなかったはずです」
「スマートな天才研究者」のまま逝った笹井氏に、その真意を訊ねることはできない。
※週刊ポスト2014年8月29日号
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