叢雲剣 須佐之男

https://kusaba-kazuhisa.com/kusaba-column/3279/  【叢雲剣 須佐之男】

             草場一壽(くさば・かずひさ)  より

新型コロナウイルスが世界中で猛威をふるっています。まさに時代が変わろうという転換期だからこそ、神話に学ぶべき、とアーティスト・草場一壽は訴えます。

天照大御神の「斎庭稲穂の神勅」と、須佐之男の神話は何を物語っているのか? 

30年以上、神話世界に向き合い続けた草場だから見える、芳醇なる世界があります。

人類の長い歴史の中では疫病が大流行したり、天候不順で飢餓が起きたり、大きな災害に見舞われたり、経済的な恐慌が起こるなどの、危機的な状況がありました。

こういう時は時代が変わるシグナルだと私は捉えています。

新型コロナウイルスは、今までにない規模とスピードであっという間に全世界に広がりました。中国・武漢でたった一人が発症したコロナウイルスがここまで広がるというのは、まさに「世界が繋がっている」ことの証だと思います。

そして、いつまたこういうことが起こるのか分かりません。地球は生きているのですから。

もしかしたら、日本にまた大震災が起こるかも知れない・・・。誰にも分かりません。しかし、そういうことは歴史の中で何度もくり返されていることなのです。

大きな転換期にあたるいまだからこそ、人として生き方の根源を真摯に見つめるときなのです。

「斎庭稲穂の神勅」の思想

神道には、「斎庭稲穂(ゆにわいなほ)の神勅(しんちょく)」というものがあります。

斎庭(ゆにわ)とは、高天原にある、神々に捧げる神聖な田のことです。天照大御神は邇邇芸命(ににぎのみこと)に日本を治めることを託す際、斎庭の稲穂を授け、それを地上で育てることをお任せになられたのです。

この「斎庭稲穂の神勅」は、大和国の民、日本民族は農耕を中心とした生き方をしなさい、という教えなのだと思います。その教えに従い、天皇陛下も毎年、宮中で稲作を行われています。

ところが、いつのまにか経済優先になってしまい、その結果日本の自給率はどうなったでしょう。今では世界でも稀に見る、食料自給率の低い国なのです。私たちの食生活に欠かせない味噌や醤油の原料となる大豆でさえ、わずか7パーセントしか自給できていません。

そして、今また「経済を盛り立てよう」と声高に言われていますが、これから世界で最優先になるのは、経済よりもまず「命を育み繋いでいく」にはどうすればいいのか?ということではないでしょうか。国が安定するためには、まず「衣食住」が整うことが最も大切だと思います。

「衣食足りて礼節を知る」。私の父もよく口にした言葉です。人間というのは、食べるもの、着るもの、雨露をしのげる住まいがあって、はじめて礼節を知る=人のために何をしようかという気持ちになれるのだと言っていました。

何が幸せなのか?

本質を考えていった時、良い車、良い家に住みたいというような理想は二の次、三の次です。まずは腹が満たされること、清潔な衣服をまとうこと、雨露や寒さ暑さをしのぐ家があること・・・。しかし、そういう根源的なところさえ、いまや揺らごうとしているのです。

借金があっても、何をしていても生きてさえいれば……、という状況をみんなで助け合いながら作っていかなければなりません。

そのために、私がこの日本で一番心配しているのは、やはり何よりも食料自給率の低さなのです。

今回の新型コロナウイルスが収束しても、またいつか同じような事態がやって来るでしょう。未来への備えのためにも、「自給自足」という個人レベルの話ではなく、「自給多足」と言えるような、「みんなの命を守っていく」ような状況をいち早く作っておく必要があります。

そういうことが神話の一番最初に出ているのです。

建国にあたって、日本という国は、農耕的な生き方をし、ありあまる食料をみんなで共有しあっていた、豊かで美しい国「豊葦原の瑞穂の国(とよあしはらのみずほのくに)」として紹介されているのです。教えであり、また戒めでもあろうと思います。

私が描かせていただいた天照大御神は、だからこそ三種の神器ではなく、稲穂を手にしておられます。稲穂を持って出てこられている姿は、建国の思想や理想の世界のシンボルです。

今こそ、私たちの大元の思想を見直し、古代の人々が託してくれたメッセージを神話から学び、良い国を造っていくためのきっかけにしていただきたい、と思っています。

●須佐之男の葛藤

今回ご紹介する神様は、天照大御神の弟の須佐之男です。神社ファンにも、神話シリーズでも人気のある神様です。

イザナギ、イザナミの黄泉の国での物語の後、イザナギが禊をされた時にお生まれになった最後の神様ですが、左目から天照大御神、右目から月読命、そして鼻から須佐之男が生まれたというお話は実に奇想天外で、また、日本神話らしい面白い描写だと思います。

この時イザナギは「今までにたくさんの子を生んだが、最後に素晴らしい三人の子を得た」と大変喜ばれて、天照大御神にはご自分の首飾りを授け、天上にある神の国、高天原を治めるように言われました。そして、月読命には夜の世界を、須佐之男には海の世界・地上をそれぞれ治めるように言われたとあります。

そこから先、『古事記』では月読命は登場しなくなり、どのようにして日本の国が造られていったのか、という歴史の中に須佐之男が度々登場してくることになります。

「天津神」「国津神」という言葉がありますが、私は「天津神」とは、理想の国を造ろうと日本を統治した政(まつりごと)集団、内閣みたいなものだと考えています。それが渡来人だったという人もいれば、元々日本にいたという人もおり、諸説あります。

そして、「国津神」とはその地方に元々いた人々(先住民)で、彼らを束ねて平定し国家に帰属させるという、一番嫌な役割を与えられたのが須佐之男だと私は考えています。だから、神話の中では天上界・高天原に帰りたい、といつも泣いているのです。

まるで陸軍大将のように、たくさん戦をしなければいけない嫌なお役目だったことでしょう。協力してくれる小さな部族もいたでしょうが、最後まで「和合」しない人たちも当然いて、戦も多かったと思うのです。しかし、天からの命令ですから、とにかく行くしかない。

そのような状況の中、自然と共に生きている人々や、人情溢れる人たちとの出会いもあったはずです。自分の役目を承知しながらも、須佐之男の心はすごく揺れたのではないでしょうか。非情にならなければいけない、心を鬼にしなければいけないこともあっただろうし、引くに引けない時もあったでしょう……。

そういうことを、作品「天叢雲剣 須佐之男」の中で表現させていただきました。

歴史の中では、勇猛果敢に最後はヤマタノオロチを退治し、櫛名田比売(くしなだひめ)と結婚します。

このヤマタノオロチというのは、「国津神」として龍や蛇を信仰するような元々その地方に古くから住んでいた人々を平定したことを表したものかもしれませんし、治水に悩む人たちにとっての河川の氾濫を鎮めたことを表しているのかもしれません。解釈はいろいろあるのですが、何にせよ、国を治めるための汚れ仕事を、須佐之男は天の命ずるままきちんとやってきたのです。

●天叢雲剣 と共に天へ

須佐之男がヤマタノオロチを退治し、尻尾を切り落とした時に剣が出てきます。天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、または草薙剣(くさなぎのつるぎ)とも言われたりしますが、いったいどのような形状をしているのか、私はずっと想像を巡らせてきました。

草薙剣は熱田神宮に納めてあるとされていますが、言い伝えによると、盗み見た神官がおり、それは武器というものではなく、見たこともないようなものだったと伝えられているそうです。

私は、鹿児島や熊本で出土された「蛇行剣」という波状に屈曲した剣身をもつ鉄の剣を知り、天叢雲剣もそのような形で描きました。

「蛇行剣」は、古墳時代のお墓から副葬品として出土されていますが、全国でも総数70例あまりと極端に数が少なく、謎の鉄剣として研究が進められています。韓国での1例を除いては、同時代の海外での出土例も報告されておらず、謎が深まるばかりの考古遺物なのです。

国内のたたら作りの鉄でできているのではないかと推察されます。元々そこに住んでいた「国津神」の剣なのではないでしょうか。日本刀が武士の魂であるように、「蛇行剣」は先住民族の魂とも言えるものなのでしょう。

もう二度と戦いの無い国にしたいという思いを込めて、須佐之男が魂ともいえる天叢雲剣を天に献上する。そういうワンシーンを描かせていただいたのが、私の作品「天叢雲剣 須佐之男」です。

国を造るためには、出会った人々とも辛い哀しいことになってしまった、恨み辛みもたくさん買った、もうこういうことが二度と無いようにしたい・・・。和をもって尊しとなす。そういうことを須佐之男は芯から理解し、「国津神」のみなさんの魂もすべてすくい取って、天叢雲剣と共に天に献上した、というストーリーを作らせていただきました。

これが永遠に継承していきたい、最初の国造りの「和合」の精神だと思うのです。神話から思いを汲みとり、永劫の平和を祈念したいと思います。

「天叢雲剣 須佐之男」

忘れまいぞ

忘れまいぞ

喪われたものたちを

あの嘆き あの苦しみを

傷を負い、朽ちるは、アメノムラクモノノツルギ

喪われたものたちの あの嘆き

あの苦しみに耐えかねて

鬼とは、

異様異体のものになく

荒ぶる魂のことなれば

鬼とは、

わがことなり。

悲しみを刻む剣なれば

こそ、

やすらかなる世の礎にならんと、天へと奉る。

憎しみの連鎖を断ち切り

心の闇を斬り

鎮魂の祈願を込めた

神剣とならん


https://forbesjapan.com/articles/detail/33488/1/1/1  【ペスト、コレラ、スペイン風邪・・・人類はどう感染症の流行と向き合ってきたか】  より

米ジョンズ・ホプキンス大学システム科学工学センターが4月1日に公表した集計によると、新型コロナウイルスによる全世界の死者数は4万2000人を超え、3月31日時点での全世界の感染者数は約85万人となった。

人類と感染症との戦いは今に始まったことではない。感染症がどのように発生し、収束したのかをまとめた。

感染症流行による人々の混乱の様相は、昔も今も大差がないようだ。また、感染症の流行は人類の歴史を形作る上での大きな要素にもなってきた。これまでの4つの主要な感染症流行を振り返り、今一度、現在私たちが直面している新型コロナウイルスの蔓延について考えてみたい。

天然痘は1980年にWHOが根絶宣言

天然痘の起源は現在でも研究が継続されていて定説がないのだが、米国の学術誌「カレント・バイオロジー」に発表された論文では、16世紀末から発生したウイルスなのではないかと言われている。天然痘を引き起こす痘瘡ウイルスは高い致死率と感染性をもち、飛沫感染もさることながら接触感染の威力が凄まじい。感染によってできる発疹が触れた衣類や寝具なども感染源となるのだ。

天然痘は、人類史上初めて根絶に成功した感染症だ。1977年に最後の患者がソマリアで発生して以来感染は認められず、WHOは1980年に天然痘の世界根絶宣言を行っている。近代免疫学の父とも呼ばれるエドワード・ジェンナーが1796年に種痘と呼ばれる天然痘の予防接種を考案し、その普及により徐々に収まっていった。

江戸時代の日本でも感染は甚大で、症状の治癒後も発疹の痕が残るため「痘瘡は見目(みめ)定めの病」と言われた。発疹の痕を隠すために化粧を念入りに施す女性が多くなったという説もある。

ペスト流行の歴史の光と影

アルベール・カミュの小説「ペスト」が、ネズミが大量に死んでいる様子から始まるように、ペストは主にウイルスに感染したネズミなどげっ歯類の動物と、媒介するノミが原因となって引き起こされる感染症だ。パンデミック(世界的大流行)となった中世のペストは、クマネズミによってもたらされたものであったという。

ある種のノミは好んでネズミなどに寄生するのだが、そのネズミがペストに感染しているとノミがペストウイルスを吸い込み、ヒトに飛び移った際にヒトへも菌が移され、感染症が引き起こされるというわけだ。

14世紀には欧州の人口の三分の一がペストにより命を落としたとも言われており、人々は病を「黒死病」と呼び恐れていた。黒死病の蔓延は社会情勢にも多大な影響を及ぼした。農奴解放が促進されるなど旧体制打破への一歩となった反面、ユダヤ人が宗教的陰謀のため病原菌を撒いたと噂され、各地でユダヤ人虐殺事件が起きたりもした。

感染が確認された場合、抗菌薬の投与によって治療が行われる。1894年には北里柴三郎によりペスト菌が発見され、有効な治療法が確立されてはいる。しかし現在でもペストに感染するリスクはあり、2017年にはマダガスカルでの感染流行が確認されている。

水が媒介するコレラはインドから世界へ流行

コレラの最初の大流行は1817年インドのベンガル地方で起こった。コレラ菌に汚染された水が媒介物だった。汚染された生活用水、主に飲み水が腸内に入り細菌が増殖し、吐き気や下痢の症状から体内の水分や塩分が失われる。時代は貿易や移民の拡大、交通手段の発達など、近代化へと進む真っ只中。インドを訪れた船乗りや商人によってコレラ菌は世界各地に広まった。

その後、1854年にはイギリスで流行した。イギリス人医師スノーは、イギリスでのコレラの流行源が一般家庭向けの給水ポンプであることを明らかにした。この発見により、衛生管理及び水質管理が見直された欧州と北米ではコレラの流行が収まった。

特徴的なのは、移動の自由度が高くなったため世界中に蔓延したということだ。一方でこの病気の流行により、パリでは「公衆衛生法」が成立し、欧州各国で下水の整備が為されるなど人々の衛生観念を大きく進歩させた契機となったとも言える。

イエメンで2019年9月、コレラのエピデミック(流行)を防ぐためワクチンを接種される子ども。現代も感染が確認されている (Getty Images)

戦死者より多い死者を出したスペイン風邪

1918年に流行が始まり、1920年に収束したスペイン風邪はインフルエンザの一種だ。インフルエンザウイルスは人間が免疫をもっていない形態にすばやく変身する。そのため約30年に一度のペースで誰も免疫をもっていないウイルス形態が発生し、大流行が起こるのだ。

当時は第一次世界大戦の真っ只中。各国の人々が入り混じる戦時下で、感染は瞬く間に世界中に広がった。大戦での戦死者が1500万人なのに対し、スペイン風邪による死者は2000万人以上にのぼったとも言われている。

スペイン風邪の収束には徹底した対策の義務付けが功を奏した。特に米ミズーリ州セントルイス市の対策は、新型コロナウイルスの対策を講じる上でも学ぶべき点が多いと注目が集まっている。学校閉鎖など人が密集する場を設けることを禁じ、患者には隔離措置を施した。その結果、感染率は30〜50%低下し、1週間の人口10万人あたりの死亡者数も最小だった。

しかし死亡率の低下を受けて集会などの制限を解除した途端に、新たな集団感染が始まったことも特筆すべきだろう。対策は徹底的に、継続しなくては意味がない。

「意識」が局面を決定づける時代か

どの感染症も感染の原因や有効な対処法が見つかるまでにかなりの時間を有することが分かる。ペストに関しては約500年もの間、原因が分からなかった。しかし現在では、医療や科学の発達により感染経路の特定や予防策の提案がされるまでのスパンが短くなっている。

一方で、これまでも完全に駆逐されたウイルスはほとんどないことから、21世紀現在でも人類は常に感染症と隣り合わせで生きていることがわかる。新型コロナウイルスが「第二次世界大戦以来最大の試練」として認識されるようになったのは、爆発的な感染スピードと世界中でほぼ同時に感染が拡大したことが要因だろう。

実態の分からない新型のウイルスであることや、感染拡大のスピードに追いつけずにいることなど、混乱をきたす要素が多いことは事実だ。しかし、いま一度冷静になり、過去の感染症を振り返れば学べることも多い。医療や科学が発達し、さまざまな予防の術が提示されている現代においては、我々の感染症への「意識」こそが、感染拡大を防ぐために重要な鍵となるだろう。



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