http://www.ibaraisikai.or.jp/information/iitaihoudai/houdai37.html
【日本という怪しいシステムに関する一見解】 より
筆者は日本人でありながら、どうしても昭和以後のこの国が好きになれない。一体それはどこから来るのだろうか?。小さい島国で飽くことなく続いた権力闘争のなれの果ては、あの残忍な秦の始皇帝も顔負けの官僚制度を生みだした。そして現在、政財官トライアングル(=権力階級)は資本主義と社会主義を極めて巧妙に組み合わせ、しかも情報統制(非公開、隠匿、操作)をもって国民を飼い馴らしている。いまや日本は権力階級の「私物国家」に成り果てており、殆んどの国民が惰眠を貪っているあいだに、徐々に構築された巨大なピラミッド型の「一億総『潜在能力』搾取・没収システム」が民主主義の萌芽さえ阻んでいる。
まさに「国民の命を蹂躙し翻弄する」という表現がピッタリの「日本という怪しいシステム」の本質を分析してみた。( 『潜在能力』とは社会の枠組みの中で、今その人が持っている所得や資産で将来何ができるかという可能性のことである。詳しくはアマルティア・セン著『不平等の再検討』を参照)
日本の「戦争被害受忍論」(最高裁判所 昭和62年6月26日 第二小法廷判決)戦争犠牲ないし戦争損害は、国の存亡にかかわる非常事態のもとでは、国民のひとしく受忍しなければならなかったところ(戦争受忍義務)であって、これに対する補償は憲法の全く予想しないところというべきである。(奥田博子氏著『原爆の記憶』、慶應義塾大学出版会、p.73)
昭和天皇の在位が半世紀に達した1975(昭和50)年10月、天皇ははじめてーーまた唯一ともなったーー公式の記者会見を皇居内で行なっている。日本記者クラブ理事長が代表質問に立ち、前月の訪米に際しての印象などの問答が済んだのち、ロンドン・タイムズの中村浩二記者が立って関連質問をした。
記者:「天皇陛下はホワイトハウスで、『私が深く悲しみとするあの不幸な戦争』というご発言がありましたが、このことは戦争に対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また、陛下はいわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますかおうかがいいたします」。
天皇:「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」。(朝日新聞、1975年11月(後藤正治氏著『清冽』中央公論社、p.155)
「日本」
何と言う不思議な国であろう。歴史的結果としての日本は、世界のなかできわだった異国というべき国だった。国際社会や一国が置かれた環境など、いっさい顧慮しない伝統をもち、さらには、外国を顧慮しないということが正義であるというまでにいびつになっている。外国を顧慮することは、腰抜けであり、ときには国を売った者としてしか見られない。その点、ロシアのほうが、まだしも物の常識とただの人情が政治の世界に通用する社会であった。 (司馬遼太郎氏著『菜の花の沖<六>』より引用)
この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望がない。村上龍氏著『希望の国のエクソダス』より引用)
国家の詐術を鶴見さんは、アメリカによる原爆投下にみる。
「原爆はなぜ落とされたか。それも二つも。公式にはアメりカ兵の被害を少なくするためとされている。しかし、それはウソだ。当時の日本に連合艦隊はなく、兵器を作る工場もない。米軍幹部は大統領に原爆投下の必要はないと進言もしていた」投下の主な理由は二つあるという。「一つは、原爆開発の膨大な予算を出した議会に対し、原爆の効果を示したかったから。つまりカネのためなんだ。そして2個の原爆は種類が異なっていた。二つとも落として科学的に確かめようというのが第2の理由。人間のつくる科学には残虐性が含まれているんだ」。このウソをアメリカ政府はいつまでつき続けるのか、と鶴見さんは問う。「アメリカという国家がなくなるまででしょう」。いちどきに何十万もの人を殺す原爆ができて、国家はより有害なものになった、という。「日本はそのことにいまだに気づかず、世界一の金持国である米国の懐に抱かれてしまい、安心しちゃっている。すさまじいことですよ」。
(『戦後60年を生きる 鶴見俊輔の心』朝日新聞朝刊 2005年11月25日号 p.21)
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【この国の戦争とは】
<幸徳秋水の非戦論>
日清戦争は仁義の師だとか、膺懲の軍だとか、よほど立派な名義であった。しかもこれがために我国民は何ほどの利益恩沢に浴したのであるか、 数千の無邪気なる百姓の子、労働者の子は、命を鋒鏑(刀と矢、武器)に 落として、多くの子を失うの父母、夫を失うの妻を生じて、しかして齏(もたら)しえたり、伊藤博文の大勲位侯爵、陸軍将校の腐敗、御用商人の暴富である。(『日本人』第192号。190.3.8.5)(山室信一氏著『憲法9条の思想水脈』朝日新聞出版、pp.148-149)
<日本軍の自分たちの兵士に対する残虐性>
日本の軍隊の伝統には独特な要素があった。例えば、ドイツ軍では「敵を殺せ」とまず命じられたが、日本軍は殺すこと以上に死ぬことの大切さを説いた。この日本軍の自分たちの兵士に対する残虐性は、19世紀後半の近代化 の初期段階においてすでに顕著に現れている。1872年に発令された海陸軍刑律は、戦闘において降伏、逃亡する者を死刑に処すると定めた。もちろん良心的兵役拒否などは問題外であった。軍規律や上官の命令に背くものは、その場で射殺することが許されていた。さらに、江戸時代の「罪五代におよび罰五族にわる(ママ)」という、罪人と血縁・婚姻関係にある者すべてを処罰する原則と同様に、一兵士の軍規違反は、その兵士のみならず、彼の家族 や親類にまで影響をおよぼすと恐れられていた。個人の責任を血族全体に科し、兵士個人に社会的な圧力をかけることで、結果的に規律を厳守させていたのである。この制度によって、兵士の親の反対を押さえつけ、兵士による逸脱行為はもちろんのこと、いかなる規律違反も未然に防止できたのである。さらに、警察国家化が急激に進むにつれて、1940年代までに、国家の政策に 批判的な著名な知識人や指導者が次々と検挙・投獄され、国家に反する意見 を公にすることは極めて困難になった。
(大貫美恵子氏著『学徒兵の精神誌』岩波書店、pp.7-8)
結局において、軍法会議から裁判の通知はおけないが、憲兵隊から死刑に なった、つまり死亡したということを知らされ、それによって死亡通知を書いた。裁判を省略されているという疑いが濃厚である。つまり、”略式処刑”というものは無かったとは言えないように思われるのである。判決書(ほか一切の訴訟記録)は存在しないうえにに前科通知もなされた形跡がない。本人が事実適法な裁判を受けたとする証拠はない。
(NHK取材班・北博昭氏著『戦場の軍法会議』NHK出版、p.180)
<日本の軍隊:兵士の人格と生命の完全な無視>
自発性を持たない兵士を、近代的な散開戦術の中で戦闘に駆り立てるため には、命令にたいする絶対服従を強制する以外にはなかった。世界各国の軍隊に比べても、とくにきびしい規律と教育によって、絶対服従が習性になるまで訓練し、強制的に前線に向かわせようとしたのである。そのためには、平時から兵営内で、厳しい規律と苛酷な懲罰によって兵士に絶対服従を強制した。それは兵士に自分の頭で考える余裕を与えず、命令に機械的に服従する習慣をつけさせるまで行なわれた。兵営内の内務班生活での非合理な習慣 や私的制裁もそのためであった。「真空地帯」と呼ばれるような軍隊内での兵士の地位も、こうした絶対服従の強制のあらわれであった。このような兵士の人格の完全な無視が、日本軍隊の特色の一つである。すなわち厳しい規律と苛酷な懲罰によって、どんな命令にたいしても絶対に服従することを強制したのである。(藤原彰氏著『天皇の軍隊と日中戦争』大月書店、pp.4-5)
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兵士の生命を尊重せず、生命を守る配慮に極端に欠けていたのが日本軍隊の特徴であった。圧倒的勝利に終った日清戦争をみてみると、日本陸軍の戦 死、戦傷死者はわずか1417名に過ぎないのに、病死者はその10倍近くの11894名に達している。・・・これは軍陣衛生にたいする配慮が不足し、兵士に苛酷劣悪な衛生状態を強いた結果である。日清戦争では悪疫疾病に兵士を乾したが、日露戦争の場合は兵士を肉弾として戦い、膨大な犠牲を出した。火力装備の劣る日本軍は、白兵突撃に頼る ばかりで、ロシア軍の砲弾の集中と、機関銃の斉射になぎ倒された。・・・ 旅順だけでなく、遼陽や奉天の会戦でも、日本軍は肉弾突撃をくりかえし、 莫大な犠牲を払ってようやく勝利を得ている。・・・日露戦争後の日本軍は、科学技術の進歩、兵器の発達による殺傷威力の増大にもかかわらず、白兵突撃万能主義を堅持し、精神力こそ勝利の最大要素だと主張しつづけた。その点では第一次世界大戦の教訓も学ばなかった。兵士の生命の軽視を土台にした白兵突撃と精神主義の強調が、アジア太平洋戦争における大きな犠牲につながるのである。 兵士の生命の軽視がもっとも極端に現れたのが、補給の無視であった。兵士の健康と生命を維持するために欠かせないのが、兵粘線の確保であり、補給、輸送の維持である。ところが精神主義を強調する日本軍には、補給、輸送についての配慮が乏しかった。「武士は食わねど高楊子」とか、「糧を敵に借る」という言葉が常用されたが、それは補給、輸送を無視して作戦を強 行することになるのである。(藤原彰氏著『天皇の軍隊と日中戦争』大月書店、pp.10-11)
<権力は弱みをついて脅すのだ>
「天皇のために戦争に征ったという人もいるが、それは言葉のはずみであって関係ないですね。それより、戦争を忌避したり、もし不始末でもしでかしたら、戸籍簿に赤線が引かれると教えられたので、そのほうが心配でしたね。自分の責任で、家族の者が非国民と呼ばれ、いわゆる村八分にあってはいけんと、まず家族のことを考えました」(戦艦『大和』の乗員表専之助氏の述懐) (辺見じゅん氏著『男たちの大和<下>』ハルキ文庫、p.276)
<戦争は権力のオモチャだ>
国家権力は国民に対する暴力装置であり、その性格は佞奸邪知。その行動原則国民をして強制的、徹底的に情報・言論・行動・経済の国家統制の完遂を目論むことである。従って異論や権力に不都合な論評や様々な活動は抹殺、粛清される。畢竟、国家権力とは、国民を蹂躙・愚弄・篭絡する「嘘と虚飾の体系」にほかならないということになる。さらに言えば「戦争」は権力に群がる化物どものオモチャである。犠牲者は全てその対極に位置するおとなしい清廉で無辜の民。私たちは決して戦争を仕掛けてはならないことを永遠に肝に銘じておかなければならない。(筆者)
<戦争は起きる>
誰しも戦争には反対のはずである。だが、戦争は起きる。現に、今も世界のあちこちで起こっている。日本もまた戦争という魔物に呑みこまれないともかぎらない。そのときは必ず、戦争を合理化する人間がまず現れる。それが大きな渦となったとき、もはや抗す術はなくなってしまう。 (辺見じゅん氏著『戦場から届いた遺書』文春文庫、p.13)
<人間の屑と国賊>
人間の屑とは、命といっしょに個人の自由を言われるままに国家に差し出してしまう輩である。国賊とは、勝ち目のない戦いに国と民を駆り立てる壮士風の愚者にほかならない。(丸山健二氏著『虹よ、冒涜の虹よ<下>』新潮文庫、p46)
<軍人はバカだ>(古山高麗雄)
軍人はバカだからです。勉強はできますよ。紙の上の戦争は研究していますよ。だけど人間によっぽど欠陥があったんですよ。(保阪正康氏著『昭和の空白を読み解く』講談社文庫、p.93)
<軽蔑する人たちは>(吉本隆明)
ぼくの軽蔑する人たちは戦争がこやうと平和がこやうといつも無傷なのだ。(小熊英二氏著『<民主>と<愛国>』新曜社、p.618からの孫引き)
<戦争を扇動するのは>(ヴォーヴナルグ)
戦争を扇動するのは悪徳の人で、実際に戦うのは美徳の人だ。(辻原登氏著『許されざるもの<上>』毎日新聞社、p.276)
<非情な国家権力を弾劾する>(鶴彬)
手と足をもいだ丸太にしてかへし コウリャンの実りへ戦車と靴の鋲 胎内の動きを知るころ骨がつき 鶴彬:本名喜多一二(かつじ)、M42生、プロレタリア・リアリズム「川柳」
作家の先頭に立って軍国主義体制に抵抗。S12.12.3に治安維持法違反の容疑で逮捕された。留置場内で赤痢にかかり豊多摩病院に隔離され、S13.9.14未明にベッドに手錠をくくりつけられたまま獄死した。(荘子邦雄氏著『人間と戦争』朝日新聞出版、pp.280-282より)
<内村鑑三「戦争廃止論」(1903年6月)>
「余は日露非開戦論者であるばかりでない、戦争絶対的廃止論者である。戦争は人間を殺すことである、しこうして人を殺すことは大罪悪である、しこうして大罪悪を犯して個人も国家も永久に利益を収め得ようはずはない」(山室信一氏著『日露戦争の世紀』岩波新書、p.209)
<戦争をなくす国にせなあかん>
そういえばぼく、ハルビンで日本人が人民裁判にかかってるのを見ました。警察署長とか、特務機関の人がつかまってね。この人民裁判は、それに参加した人民がもう、”タース(殺せ)!”の一言ですよ。この人間はこういうことをしたから”タース”人民裁判とはそんなものです。どっちにしたって、勝ったものが負けたものを裁くのに、言い訳も何もない。だから戦争に負けた国の人間はあわれだ。自分たちがあわれな目に遭うてきたから、こんど、よその国をあわれな目に遭わせていいと、そういうことは成り立たないから、ぼくらは日本を戦争をなくす国にせなあかん、と思う。(藤山寛美氏著『あほかいな』日本図書センター、p.81)
<戦争は大資本家や大地主の金儲けのため>
恥ずかしいことだが、今までおれは戦争は台風のように自然に起こるものだとばかり思っていたが、とんでもないことだった。戦争は大資本家や大地主の金儲けのためだったのだ。直接の仕掛人は軍隊だが、彼らはそのうしろで巧妙に糸を引いていたのだ。表面では「聖戦」だの「東洋平和のため」などともっともらしいことを言いながら、その実、戦争は願ってもない金儲けの手段だったのだ。そう言われれば、おれの乗っていた武蔵の場合にも、それがそのまま当てはまる。武蔵は三菱重工業株式会社長崎造船所でつくった艦だが、むろんあれだけの大艦だから、請け負った三菱はきっとしこたま儲けたにちがいない。おそらく儲けすぎて笑いがとまらなかったろう。しかもそれをつくった三菱の資本家たちは誰一人その武蔵に乗り組みはしなかった。それに乗せられたのは、たいていがおれのような貧乏人の兵隊たちだったのだ。そしてその大半は武蔵と運命を共にしたが、おれたちがシブヤン海で悪戦苦闘している間、三菱の資本家たちは何をしていたのか。おそらくやわらかな回転椅子にふかぶかと腰を沈めて葉巻でもふかしながらつぎの金儲けでも考えていたのに違いない。
(渡辺清氏著『砕かれた神』(岩波現代文庫)、p.247-248より)
◎儲けてゆくのはかれらだ。死んでゆくのはわれわれだ。(阿部浩己・鵜飼哲・森巣博氏著『戦争の克服』集英社新書、p.198より)
◎「尻ぬぐいをするのはいつでもイワンだ」(ロシアの諺、戦争を始めるのは資本家やファシストだが、尻ぬぐいをさせられるのは無名の兵隊だ)。(高杉一郎氏著『極光のかげに』岩波文庫、p.83より)
<華族や政府の高位・高官は自己安全に狂奔していた>
「金持や政財界で、死んだ人がいますか。憲兵や特高とつながりのあった有力者たちには、情報が流れている。長岡では、空襲のまえに避難勧告の伝単が多量にまかれていた。それなのに、一般の市民にはすこしもつたえられていない。神風が吹く、日本はかならず勝つ。こんなバカな宣伝をして市民を愚弄していたんじゃありませんか。そんな人たちはみな、捕虜収容所のほうへ逃げて助かっているんだ。子供をもつ母親たちは、子供を抱きかかえたまま、死んだんじゃありませんか。いまだに忘れられません。・・・」(長岡市、新保和雄氏の話より)(近藤信行氏著『炎の記憶』新潮社、p.93)
<ひっ殺してゆけと言った>
私の連隊である戦車第一連隊は戦争の末期、満州から連隊ごと帰ってきて、北関東にいた。東京湾や相模湾に敵が上陸すれば出撃する任務をもたされていたが、もし敵が上陸したとして、「われわれが急ぎ南下する、そこへ東京都民が大八車に家財を積んで北へ逃げてくる。途中交通が混雑する。この場合はどうすればよろしいのでありますか」と質問すると、大本営からきた少佐参謀が、「軍の作戦が先行する。国家のためである。ひっ殺してゆけ」といった。(司馬遼太郎氏著『歴史の中の日本』他より引用)
<今後2千万人の日本人を殺す覚悟で・・・>
会談中に大西軍令部次長が入室し、甚だ緊張した態度で雨総長に対し、米国の回答が満足であるとか不満足であるとか云ふのは事の末であつて根本は大元帥陛下が軍に対し信任を有せられないのである、それで陛下に対し斯く斯くの方法で勝利を得ると云ふ案を上奏した上にて御再考を仰ぐ必要がありますと述べ、更に今後二千万の日本人を殺す覚悟でこれを特攻として用ふれば決して負けはせぬと述べたが、流石に両総長も之れには一語を発しないので、次長は自分に対し外務大臣はどう考へられますと開いて来たので、自分は勝つことさえ確かなら何人も「ポツダム」宣言の如きものを受諾しようとは思はぬ筈だ、唯勝ち得るかどうかが問題だと云つて皆を残して外務省に赴いた。そこに集つて居た各公館からの電報及放送記録など見て益々切迫して来た状勢に目を通した上帰宅したが、途中車中で二千万の日本人を殺した所が総て機械や砲火の餉食とするに過ぎない、頑張り甲斐があるなら何んな苦難も忍ぶに差支へないが竹槍や拿弓では仕方がない、
軍人が近代戦の特質を了解せぬのは余り烈しい、最早一日も遷延を許さぬ所迄来たから明日は首相の考案通り決定に導くことがどうしても必要だと感じた。(昭和20年8月13日、最高戦争指導会議でのできごとを東郷茂徳が日記に残しており、上記引用は保阪正康氏著『<敗戦>と日本人』ちくま文庫、p.242-243より)
<「散華」(さんげ)>
「散華」とは四箇法要という複雑な仏教法義の一部として、仏を賞賛する意味で華をまき散らす事を指す。軍はこの語の意味を本来の意味とは全く懸け離れたものに変え、戦死を「(桜の)花のように散る」ことであると美化するために利用したのである。 (大貫恵美子氏著『ねじ曲げられた桜』岩波書店より)
<政府によって「殺された」>
戦争の最大の皮肉は、若者たちが最期の瞬間が近づくにつれて、ますます愛国心を失ってゆくという事実である。入隊後の基地での生活を通じて、日本の軍国主義の真相を目のあたりにした若者たちは、情熱も気力も失いながら、もうどうしようもなく、死に突入して行った(大貫美恵子氏著『学徒兵の精神誌』岩波書店、pp.35-36)
隊員やその遺族が証言するように、彼らは政府によって「殺された」のである。(大貫美恵子氏著『学徒兵の精神誌』岩波書店、p.49)
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【対米従属への訣別のために】
保守ナショナリストの間にも、対米従属状態への不満がないわけではない。しかし彼らの多くは、日米安保体制への抗議を回避し、「アメリカ人」や「白人」への反感という代償行為に流れてしまっている。彼らのもう一つの代償行為は、改憲や自衛隊増強の主張、そして歴史問題や靖国神社、国旗・国歌といったシンボルの政治だが、これもアジア諸地域の反発を招き、さらに対米従属を引きおこす結果となる。・・・アジア諸国の対日賠償要求をアメリカの政治力に頼って回避した時点から、日本の対米従属状態は決定的となったのである。さらに保守勢力の代償行為は、対米関係をも悪化させる。アメリカの世論には、日本の軍事大国化を懸念する声が強い。・・・さらに複雑なのは、対米軍事協力法案であるガイドライン関連法は、自衛隊幹部すら「要するに我々を米軍の荷物運びや基地警備など、使役に出す法律」だと認めているにもかかわらず、「日本の軍事大国化の徴候」として報道する米メディアが少なくなかったことである。そのため、第九条の改正はアメリカ政府の意向に沿っているにもかかわらず、米欧のメディア関係者の間では、「第九条を変えるとなれば、米欧メディアの激しい反応は確実」という観測が存在する。すなわち、対米従属への不満から改憲や自衛隊増強、あるいは歴史問題などに代償行為を求めれば求めるほど、アジア諸国から反発を買い、欧米の世論を刺激し、アメリカ政府への従属をいっそう深めるという悪循環が発生する。この悪循環を打破するには、アメリカ政府への従属状態から逃れてもアジアで独自行動が可能であるように、アジア諸地域との信頼関係を醸成してゆくしかない。その場合、第九条と対アジア戦後補償は、信頼醸成の有力な方法となるだろう。(小熊英二氏著氏著『<民主>と<愛国>』新曜社、p.820)
(略)
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