造化にしたがひて四時を友とす

https://blog.goo.ne.jp/ngc3003/e/44771167c994cadd3201e79cc8b8333e 【造化にしたがひて四時を友とす】より

 涼しくなった。今日は、午後からたっぷり時間をとって、図書館に入り浸った。

おかげで調べがほとんどついた。

 アマゾンで古本を落札してもよかったのかもしれないが、図書館で本を選びながら、調べることにした。正解だった。

 天地自然にのっとり、天地自然に帰一せよ。風羅坊芭蕉の『笈の小文』を調べに行った。

 あの有名な書き出し「百骸九竅の中に物有。かりに名付けて風羅坊といふ。誠にうすものゝかぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。……」

 また、こうも云う。「造花にしたがい、造花にかへれとなり」

「造花」とは、老荘思想における造花をさす。「造花」は、「造化」。つまり万物を創造化育(天地自然が万物を生じ育てること)するもの。神または自然。

   旧里や臍の緒に泣くとしの暮

 芭蕉十三歳で失った父親の三十三回忌法要のために、故郷に戻った芭蕉が、兄から臍の緒を見せられて、さまざまな感慨が胸に迫って涙する年の暮れ。

「ふるさと」「臍の緒」「年の暮れ」とくれば、当然、来し方を振り返って感無量の芭蕉が、実体としての故郷に、天地一体・万物同根をストレートに詠んだ句。

 造花にむせび慟哭する芭蕉。御歳・四十四。春を迎えれば四十五になる。俳諧宗匠として認められ、暖かく迎えられた故郷であった。

 原稿にこの句を取り上げた。読み違いがないかを何冊かの本で調べたかったのだ。

 もうひとつ、「素直・素朴な感覚で天地自然の大本に遡って自然に貞く、つまり自然直伝」を基本姿勢とする野口体操と、相通ずるものを感じていたが、その点も確かめたかった。

 いずれにしても『笈の小文』冒頭の風雅観によって、「風雅の道」とは厳しいことを改めて知った。

 神無月の初、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して

    旅人と我名よばれん初しぐれ

 貞享四年十月二十五日深川の庵を西へと出立した。

 ちなみに貞享四年とは、1687年、江戸前期である。

 それから七年後、「造化にしたがひて四時を友と」した芭蕉は、土に還っていった。

    旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

https://ameblo.jp/melo109/entry-11048144619.html 【造化にしたがひて、四時を友とす】より

芭蕉の言葉がマイブーム。中学生とか高校生のころは、受験勉強の対象でしかなかった芭蕉。京都にきてから、すごく身近に感じられるようになった。

芭蕉は自分のしょっちゅう移り変わる心を「モノ」とよんでいる。

この「モノ」は、おいらも分かる気がする。

芭蕉は、社会に溶け込もうと努力した。しかし、自分の「モノ」が起きてきて、長く続けることができない。

それで社会から離れて仏法の道を歩もうとするが、また自分の「モノ」が起きて、これも長続きしない。

色々な取り方もあるだろうが、今でいうモラトリアムとかそういうものでもない。

ひとつのことに没頭できず、常に移ろいゆく心に芭蕉自身も悩んだだらう。

しかし、自分のそういう性質を受け入れて日本全国の旅にでかけたりする。

「造化にしたがひて、四時を友とす」(森羅万象の創造物にしたがって、四季を友とする)

ある種のあきらめの境地。ある種の自信。芭蕉の行動に、ふと現代版立花隆を感じた。

立花さんも、一か所にとどまらない人。絶えず動いて、一か所にとどまることがない。

社会ではそういう人は、「不適合者」とみなすかもしれないが、実は人間の本質は、移ろいやすいものではないかと思ったりする。

うりゃあああああああああああああ

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