「1000の風」と直訳

https://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/a9fa9e2c809bfe2c6b1256fd5c80dddb   より

『80年代から90年代にかけて、ぼくは、アートワークス・コミッティというNPOをやっていた。

(略)

1990年に、そのコミッティから、日米独伊の200人の芸術家たちに、アピールを送った。

(略)

そして表紙に、「神」「GOD」と書かれただけの、真っ白なパノラマ本(お経本)を送り、「神」をテーマにした作品にしてくれるよう依頼した。

(略)

ぼくは、200冊の本の中に、あの"A THOUSAND WINDS"の詩を入れたいと思い、そのときはじめて日本語に訳した。

"A THOUSAND WINDS"は、本来なら、「たくさんの風」「いっぱいの風」と訳すべきなんだけど、あえて「1000の風」と直訳した。

その方が、日本の人たちの心に届きやすい、と思ったからだ。

 

デーブ・スペクターにパノラマ本を渡し、表に英文の詩、裏に翻訳した詩を書いてくれるよう頼んだ。

デーブなりの表現方法で、『1000の風』のパノラマ本が完成し、展覧会場に並んだ。

 

『1000の風』が本になったのは、あれが世界ではじめてだった。

しかし、世界で一冊だけの本だった。

『1000の風』が、印刷製本された本として世の中に出ていくまでには、さらに5年近くかかった。』

 

『"A THOUSAND WINDS" についての調査は、困難をきわめた。

まだ日本にはプロバイダーがなかった時代に、2400bpsのモデムでインターネットに接続し、国際電話料金を気にしながら情報を探し回ったりしたが、収穫は少なかった。

(略)

自然の詩を集めた英語のアンソロジー本の中に、収録されているのがわかったし、小説にも引用されていたが、いずれも作者Unknown(不明)とされていた。

"A THOUSAND WINDS" をタイトルにした本は、見つからなかった。

 

94年に、三五館から、『ポケットオラクル』を出すことが決まった。

20世紀も終わりに近づいていて、「次の世紀まで残したい言葉」で、小さな本のシリーズを作りたかったのだ。

第1巻は、日本国憲法の「前文」を、英語原文からわかりやすい現代語で翻訳し直した。

 

シリーズは、『シャイアンインディアン 祈り』『マイケル・ジョーダン 飛言』『ピースメイカーズ 平和』『般若心経』と続き、

95年6月に、6巻めとして、『1000の風 あとに残された人へ』を世に出した。

(略)

これだけ美しい詩なのだから、そばに置く写真は負けないものにしたかった。

おびただしい数の写真を見た。

「私は1000の風になって 吹きぬけています」の、ページの写真を探していて、この写真と出会えたときの喜びったらなかった。

(略)

少部数だけど、毎年増刷も重ねていた。

ほんとうに静かなさざ波のように、「1000の風」の詩が広まっているのは実感できたし、うれしかった。』

 

『2003年の8月23日、朝日新聞の「天声人語」に、驚くようなことが書いてあった。

「1000の風」についての記事だった。

IRAのテロで死んだ青年の話、ジョン・ウェインが朗読したという話、マリリン・モンローの25回忌にも朗読されたという話。

 

10年以上、「1000の風」のことを調べてきたぼくが、知らないことばかりが書かれていた。

あたかも日本以外の国々では、「1000の風」は誰でも知っている詩であるかのような記事だった。

そんなはずはないのに。』

『ぼくが出した『1000の風』の本にも、記事は触れていたが、メインはそうじゃなかった。

作家で作詞・作曲家の新井満さんが、自分で作った私家盤のCD『千の風になって』を、友人らに配っているというのがメインの記事だった。

そして、新井さんが訳したという詩も書かれていた。

「1000の風」が「千の風」になっているだけ。

あとは、ぼくの訳詩の言葉の順番を変えたり、省略したりしているだけの詩に思えた。』

『この「天声人語」をきっかけに、新井さんの活動が活発になったようで、ぼくのところにも、新聞やTVの取材がくるようになった。

記者の人たちに、「新井さんにぼくに連絡をくれるよう」頼んだけど、新井さんからはまったく連絡がなかった。』

      ※     ※

のちに、紅白歌合戦で、『千の風になって』が歌われ、mixiの中では、新井満への怒りと非難が相次いだ。

南風椎は、

「子どもがいないぼくにとっては、これまでに作ってきたたくさんの本が、自分の子どものようなものだ。

『1000の風』という本が、孫やひ孫を作って、その連中が賑やかにやっているなあ、というような気持ちで騒ぎを眺めている」と語った。

 

しばらくすると、新井満は、南風椎との対談を申し込んできた。

新井満は、「千の風」の日本酒やお香といった、グッズをしこたま持ち込んで、なんと感想を求めたという。

中には、南風椎が作った「1000の風」と、そっくりな本もあった。

 

この人、ちょっとおかしい。

パクっておいて、その相手に自分の作品を見せるという感覚は、相手をなめているとしか思えない。

電通という会社は、著作権の基本も教えないのだろうか。

 

新井満は、同席した人々を前に、南風椎にまったく連絡もせずに、似たような本を作ったことを詫び、

これまでの自分の言動が、元祖本である『1000の風』への敬意に欠けていたことを詫び、

テーブルに両手を置いて、何度も何度も頭を深々と下げたという。

(しかし、彼が、著作権料を支払った形跡は全くない。)

 

「千の風」の商標登録をするというのは、作者不明で、人類共通の財産である"A THOUSAND WINDS" を、私物化したということである。

 

新井満がこの詩を口にするとき、そこには、命への畏敬の念も、尊厳もない。

あるのは自己顕示欲と、利潤追求の限りない欲望だけ、と取られても仕方あるまい。

彼が、この詩を口にする資格を得るためには何をすべきか、彼自身が考えるべきだろう。

 

それができる能力があれば、の話だが。

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