https://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/a9fa9e2c809bfe2c6b1256fd5c80dddb より
昨年11月に『1000の風』と『千の風になって』という連載日記を書いた。
あれで終わりにするつもりだったけど、もう少し続けよう。
辛淑玉さんが『月刊 マスコミ市民』(NPO法人 マスコミ市民フォーラム)という雑誌に、あの件について書いてくれた。
許可をもらったので、ここに全文を紹介したい。
山椒のひとつぶ しんすご(辛淑玉)
「1000の風」の悲劇
新井満が、「千の風」を商標登録したという話を聞いて、そこまでやるかと思った。
ずうずうしいにもほどがある。
新井満の「千の風」は、南風椎(はえ・しい)が世に送り出した『1000の風』のパクリであり、
その思いを共有した人たちの心を踏みにじって、自らの利益のためだけに活用したものだ。
そして今度は、商標登録ときた。
私が、南風椎の『1000の風』(ポケットオラクルシリーズ)を手にしたのは、1990年代だった。
いつだったか、デーブ・スペクターが、ステキな作品だよといって、『平和』『(憲法)前文』といった小冊子を数冊持ってきて、南風さんを紹介してくれたのだ。
のちに、南風さんは、私が十代のとき初めてお金を出して買った本、『日本国憲法』を手がけた人だとわかった。
その文章や本の美しさに見入ってしまったことを、今でも鮮烈に憶えている。
90年代、南風椎の作品群は、多くの人たちの心を打つメッセージとして、店頭に並んでいた。
彼が体から搾り出した一つひとつの言葉は、いまなお褪せることなく、人々の心に届いている。
『1000の風』は、80年代後半、デーブ・スペクターが、両親を亡くして落ち込んでいた南風椎に、
アメリカの新聞に載った、アン・ランダースのコラムの切り抜きを、持ってきたのが始まりだった。
そこに、"A THOUSAND WINDS"の詩が、紹介されていた。
南風椎は、その小さな切り抜きを、大切にしまった。
以下、南風椎のブログ『森の日記』から引用しよう。
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