靄を祓いましょう・魂に出会うには清めがまず必要

靄を祓えば 愛と希望、光が露に。

2013年9月30日 · · ·

ゆく道に曼珠沙華咲く不動かな  高資

 浄土宗大本山・清浄華院ー 場所: 京都府京都市

明日、金剛界結縁灌頂を受けに高野山へ登るため京都に立ち寄りました。清浄華院へゆく途中の京都府立医科大学に曼珠沙華が咲いていました。

緑の中に赫奕として、まるで矜羯羅童子と制多迦童子を従えた不動明王のような佇まいでした。

http://fukagawafudou.jugem.jp/?eid=768

【お不動さまのお話① 『迦楼羅炎(かるらえん)』】

お不動さまの火炎は、迦楼羅天の吐く炎そのものの姿であることから『迦楼羅炎(かるらえん)』と呼ばれ、不浄なものを焼き清める炎とされているのです。

迦楼羅炎(かるらえん)は  覚醒への動機づけを炎(火事)にみるグルジェフの絵を連想させます。

浄化の炎はアテルィ,蝦夷を連想させます。

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7458125  【かむなびの焚火・アテルィ】

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7250972   【藤原氏の蘇我氏への遺恨】

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7076489 【蘇我氏はエジプトからの渡来人?】                 ご参照ください。

中学生の時に作った不動明王(石板)です。皇紀2641年と記されているので昭和56年(1981年)の製作です。ー 友達: 不動明王さん、場所: 五島市

独りの中学生を不動明王信仰に駆り立てたのは何なのでしょう?

もしかして 五島市に浄化したい何かがあったのでしょうか?

葉裏から人をうかがふ天仙果  高資

犬枇杷に星のさかるや壺中天  高資

上の句は「人をうかがう犬」を連想させます。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13137588188?__ysp=54qs6JSR56ew  【どうして犬は蔑称(べっしょう)として使われるの】

のベストアンサーとして紹介された記事です。

人間に従順、時としてスパイとして使われる、

人間が一生懸命働いてる傍らで犬は食って寝るだけ、時には人間のために都合のいいように使われる

今も昔も、犬はけっきょく人間の道具だと思います。

現代でペットとして飼われてる犬も、オモチャという名の道具に見えます。使役犬も結局はヒトの為に一生懸命働いている。

●犬馬の歯 :自分の年齢をへりくだっていう語。犬や馬のようにむだな年齢を重ねるという意味。

●犬馬の労 :主君または他人のために、力を尽くして奔走すること。 他人に対して自分の労苦をへりくだって言う言葉。主人のために犬馬の労を惜しまない。

●飢えたる犬は棒を恐れず:飢えている犬は人に叩かれることも恐れないで食べ物に近づくよううに、人間も食うためには法をおかすようなこともある。

●捨て犬に握り飯 :骨を折るだけで無駄なことの例え。握り飯は犬の好物であるが、捨てた犬にやってもただ急いで食べて逃げて行ってしまうだけ。

●犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ :犬は三日飼っただけでも、三年間その恩を忘れない。 まして人は恩知らずであってはいけない、という意味

http://zokugo-dict.com/02i/inu.htm  【 『イヌ・犬(いぬ)』の意味】  より

イヌとは、スパイ、密告者、警察の手先(手下)のこと。

【年代】 江戸時代~   【種類】 比喩語

『イヌ』の解説

イヌは古く江戸時代から間者(スパイ)という意味で使われていた言葉である。これは前田利家の名で知られている戦国武将“前田犬千代(通称イヌ)”が間者として活躍したからと言われている。また、イヌは単に犬の嗅覚や聴覚の鋭さからきた密偵者や軍事探偵の転意ともいわれている。どちらにしても現代使われているイヌはこれらが転じた密告者のイメージが強く、もともと犯罪グループにいたがなんらかの理由で警察の手先となった“情報提供者”や目上の人にチクった者を指すことが多い。この場合「警察のイヌに成り下がりやがって」といったように悪意をもって使われる。

ちなみに英語の"dog"。名詞では「犬」という意味だが動詞で「尾行する」「つけまわす」といった意味もある

【五島市に浄化したい何か】があったのだとすると?

隠れキリシタンの島・五島での クリスチャン密告行為を連想します。


https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7907375  【隠れキリシタン】

大村藩眠は一旦、皆クリスチャンに改宗させられ その後キリスト教禁止令が施工されることになり、多くの隠れキリシタンを生んだようです。その隠れキリシタンの多くが五島に住み着くことになったようです。


http://www5.big.or.jp/~n-gakkai/katsudou/reikai/200006_01.html

【乾杯!ぽるとがる(2)‐昔の恋人ポルトガル人と祖先達の付き合いを社会面からみる‐】


隠れキリシタンは仏教徒のフリをしながら隠れて生きてきたようです。


https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/57706/1/asia5hazama.pdf#search='%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E3%81%AE%E5%9C%9F%E7%9D%80%E5%8C%96'   【近世日本におけるキリスト教の土着化とキリシタンの殉教】 より抜粋

「カクレキリシタンとは、キリシタン時代にキリスト教に改宗した者の子孫である。

一八七三年禁教令が解かれ、信仰の自由が認められた後もカトリックとは一線を画し、潜伏

時代より伝承されてきた信仰形態を組織下にあって維持している人々を指す。オラショや儀

礼などに多分にキリシタン的要素を留めているが、長年月にわたる指導者不在のもと、日本

の民俗信仰と深く結びつき、重層信仰、祖先崇拝、現世利益、儀礼主義的傾向を強く示すも

のである。」


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E3%82%8C%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%BF%E3%83%B3#%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AB%E6%88%BB%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%81%8C%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E7%90%86%E7%94%B1   【隠れキリシタン】  より抜粋

カトリックに戻らないかくれキリシタンが存在する理由

禁教令が解かれた以降もカトリックに戻らないかくれキリシタンが存在する理由については、さまざまな要因が考えられているが、主なものとしては、

先祖からの伝統形態を守り続けることが正しいとする考え方。

仏教、神道を隠れ蓑として来たが、長い年月のうちに精神と生活に定着し、カトリックへ復活することによって神仏や先祖の位牌を捨てることへの抵抗感。

先祖から受け継いだ習慣を放棄することへの抵抗感。

などが挙げられている。カムフラージュであったはずの仏教や神道の信仰が強くなってキリスト教の信仰理解が失われてしまい、かくれキリシタンにとって大切なのは、先祖が伝えてきたキリスト教起源の祈りや行事を、本来のキリスト教の意味は理解できなくなってしまっても、それを絶やすことなく継承していくことであって、それが先祖に対する子孫としての務めと考えられている[16]。また、明治初期のカトリック教会による宣教の際には、前述の浦上四番崩れなど直前にあった激しい迫害や差別を恐れたり、当時のカトリックの教義が厳格であったため容易に戻って行けなかったことなども、理由として考えられている。

そして現代においては、カトリックとかくれキリシタンの間での認識の違いも生じていて、カトリック教会・信者の側はかくれキリシタンもカトリックと同じ信仰だとみなしているが、かくれキリシタンの人たちは「カトリックとは違う」と意識している例が見られる。あるいは、現代日本において仏教や神道でも見られるように、強い信仰心が失われて単なる伝統として宗教を受け継いでいるに過ぎず、かくれキリシタンもまたその例外ではなく、それゆえにあえてカトリックに復帰する必要性を感じないというケースも見られる。ただ、前述の外海地区のように、同じ地域や集落の中で同じ信仰を受け継いでいてもカトリックに復帰した者とかくれキリシタンの信仰を堅持した者が混在している例は多い


仮に「カトリックに戻らないかくれキリシタン」のもとに 異なる信仰の持ち主が入り込んだとすれば~~??

共同体の本質を理解するために いろいろな事をまるで【人をうかがう犬】のように嗅ぎまわらずにはおれなかったことでしょう。

それは「猜疑心がベースになった靄を祓う行為」と言えるのかもしれません。愛と信頼のない行為は愛と信頼を損ねてしまわざるを得ないですね。

春空へ架ける梯子や弁天堂 五島高資

 洞明山瑞雲寺ー 場所: 五島市富江町

棕櫚の剪定中でした。子供の頃によく遊んだ弁天堂です。瑞雲寺は富江五島家菩提寺です。


明治4年、岩倉具視が率いる使節団が不平等条約の改正のために欧米へ行く

隠れキリシタンへの迫害をやめない限り、交渉が成り立たないことを実感し明治6年、政府はあらゆる場所にかかげていたキリスト教禁止の看板をすべて撤廃することにした。

しかし一般の人たちに長年刷り込まれたキリスト教徒への差別感情がいきなりなくなるわけがない。キリスト教徒への差別感情が残ってしまった。

https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/mutsuochan06  【学校よりわかる!ザビエルが日本に来た理由と隠れキリシタンの歴史】  参照

http://www.ishimaru.ne.jp/travelogue/persecution.html  【五島巡礼⑧~迫害】

http://freem666.com/archives/175.html   【ジャーディン・マセソン商会の歴史とフリーメイソン~サッスーン財閥との激しい争い!?】

秋の燈や歌のあふれる天主堂  高資ー 場所: カトリック松が峰教会

聖塔や額に触れる秋時雨  高資

サクラメントは信者対象。

初辰の頬に日の射す手水かな  高資

初辰の苔の潤ふ山河かな  高資ー 場所: 小泉稲荷神社

魂に出会うには清めがまず必要。

コズミックホリステック医療 俳句療法

吾であり・宇宙である☆和して同せず☆競争ではなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000