自分らしく咲きましょう

Facebook・石川 眞樹夫さん投稿記事  ◎『バッチ博士の言葉』

「私たちは、自分自身の魂の命令にだけ従い、環境や他人に左右されないように個性を伸ばしていき、世俗的な束縛から自分を自由にしなければなりません。」

「どんな時も、舵を他人の手に委ねてはいけません。自分の行うことすべてが、すべての行為が、いやそれどころか、考えの一つ一つが、自分自身から発せられ、それによって、自発的に、全く自発的に生き、人を助けられるように、絶対的で完全な自由を得なければなりません。」

「私たちに与えられたただ一つの義務は、自分の良心の命令に従うことであり、ほんの一瞬も他人の支配に屈しないということです。」Dr.E dward Bach-Heal Thyself(汝自身を癒せ)より

「もう一つ大事なことがあります。それは恐れを全て捨て去ることです。私たちの中に神性が存在し、その故に神性は私たち自身であり、征服しがたく不滅なので、本来人間の世界には恐れなど存在しません。私たちが神の子として、それを理解できるなら、何も恐れるものなど存在しないのです。」Dr.E dward Bach-Heal Thyself(汝自身を癒せ)より


Facebook・太田 隆文さん投稿記事

🔴都民はここまでアホなのか?そんな結果を考える。

昨夜は久々に怒り爆発。「東京は終わった!」という感じだった。都民のアホさ加減にもううんざり。あそこまでアホだと救いようがない!とも思った。と言って都民に期待した訳でもない。山本太郎、宇都宮健児が当選というのもかなり厳しいと感じていた。小池が勝利するだろう。ただ、今回は街頭演説もしない。テレビ討論もしない。ネット討論会は最悪。それなのに前回の「緑のタヌキ」ブームを超える票数で当選したことは、かなり驚いた。都民アホ過ぎる。

ただ、「都民アホ」と思うのは都民がより良き都知事を選び、コロナ対策や様々な問題を解決し、より良い生活を送ってほしいという願望があるからだ。「都民のため!」と立ち上がった山本太郎や宇都宮健児を排除して、都民のことなど全く考えない私利私欲の塊である小池を選ぶなんて「アホ過ぎるな」という思いなのだろう。別角度から考えれば、そんな小池都知事を都民は選んだのだ。騙されているとしても、選んだのだ。

ということは、これからも公約達成ゼロでいい。都民の健康よりオリンピック優先も理解。中身のないパフォーマンス。やってる感だけで構わない。街頭演説もテレビ討論もいらない。抽象的な公約しか上げなくてもOK。達成ゼロでも大丈夫と了解したのだ。軍事政権を支持したのであれば、「兵隊になって戦争行きます。死んでも構いませんん」ということ。小池都政で言えば都民より国策優先でいいですよ〜。コロナ対策は形だけで十分だ。悪いのは「夜の街〜」苦しくてもオリンピックしましょう!という意思表示でもある。

都民にそれを実践してもらうしかない。今後、知事が何をやっても都民は「これが自分たちの選んだ知事だ」と再確認すればいい。もちろん、選んだからと全てに従うことはない。反対する権利はある。が、同時に「こんな知事を選ばなけらばよかった...」と反省することにもなる。その十字架を背負うしかない。

まず、最初に思い知るのは次の国政選挙で、小池が知事の椅子を投げ出し出馬する可能性だ。366万票を捨てて国政に行こうとする。都民の期待なんて関係ない。その現実を知ることになる。ただ、今回に限ったことではない。これまでも知名度あるだけの知事を選んで来たのは都民だ。石原慎太郎も途中で知事を投げ出し国政に移った。都民が愚かなのは昔から。そして同じことは都知事選以外でも言える。

日本全体が毎回、都と同じように「やってる感」だけの政治家を選び。愚かさに気づかず、国民は何度も踏みつけられている。それにも懲りずまた同じ候補者に票を投じ、同じ仕打ちを受けることを繰り返すのが日本人の特性なのだ。都民がアホなのではない。日本人がアホなのだ。では、なぜ、日本人はアホなのか?について考えたいが、次回はその前に別の話。「日本には希望がある!」と思わせてくれた人たちが、今回、本当に残念な発言を繰り返したこと。都民のこと以上に悲しい。それを考えたい。

ぬこぬこ 萌え萌えさんのコメント

今回、視覚のサブリミナル効果が大衆にとっていかに効果的なのかということを感じました。選挙運動の現場に関わることのない大衆のほとんどは候補者の会見全編をネットで探して観ることなど絶対に無い。そこで、あれだけTVで緑のタヌキを観ていたら、なんとか生きていられる程度の現状を大きく変えるのは嫌だし考えるのも面倒だから、無意識に認知バイアスかけて緑のタヌキに投票。犬HKの分析で、無党派年配女性が大勢小池に入れたと言っていました。大衆は結局、業績や公約でなく見てくれしか見ないのだと思います。これを計算に入れて次の機会に生かさないと、そして候補者を出す側も見てくれだけで候補者を選ばないことを肝に銘じないと、またぞろ同じ敗戦を繰り返すと思います。私は宇都宮支持だけど、うつけんは元々市民だけの手で選挙活動するつもりだった。太郎さんは他の票を掘り起こすつもりだったと見ていました。しかし視覚サブリミナル効果には全く太刀打ちできなかった。

追加します。同じ分断と敗戦です。分断は主に鳥越擁立時のことを思っています。今回の敗戦は主にマスゴミの無責任な不作為が主因だと思っています。コロナが不運というにはあまりにも無責任で幼稚すぎる。昨夜の落選候補の質疑応答聴いていて、野党共闘宇都宮対令和山本の構図に矮小化したくてたまらない印象で、腹が立って腹が立って喚きたくなりました。

Facebook・太田 隆文さん投稿記事

🔴都民が小池百合子を選んだ理由。都民がアホな背景?

都民の命よりオリンピックが大事な知事。パフォーマンスしかしない。公約達成ゼロの小池知事を都民は再選させた。人々の生活を真剣に考える山本太郎、宇都宮健児は100万票にすら届かず、小池には360万票も入れる都民はアホそのもの。他県からも嘲笑を浴びているはずだ。では、なぜ、都民は愚かな選択をしたのか?なぜ、アホなのか?

学歴がない? いや、都民1400万人もいるので高学歴の人は多い。一流大学卒もかなりいるだろう。いや、学歴はなくても商才があり、年間何十億円も稼いでいる実業家もいるはずだ。芸術家だって数多くいる。アーティストは学者やジャーナリストでは気づかないものを感じ取る。そんな風に考えて行くと、都民はアホばかりではない。ただ、投票した人の59%が小池に入れている。組織票も多いだろうが、連合+公明票は100万ほど。つまり多くの都民が自主的に小池支持。有権者の2人1人がアホなのか?そこを考えてみた。

今までも何回も書いてきたが、日本の教育は「優秀なサラリーマンを育てるもの」だ。与えられたことを正確に確実に出来る人材を育てること。それがまさに完成したのが東京都民ということなのだ。つまり、優秀なサラリーマンというのは、与えらたことはするが、与えられないとしない。言われたことをするが、自分で考えない。何もないところから考えたり、行動したりせず、与えられたことを疑わずに信じて受け入れる教育を受けている。

テレビや新聞を信じる。疑わない。「NHKは嘘を報じない」と思っている。「新聞は中立公正」と感じている。与えられた複雑な作業はできるが、本質を考えたり、意義や意味を考えたりしない。「この仕事、何の意味があるんだろう?」なんて思ったらサラリーマンはやってられない。考えずに、与えられたことをやるのが仕事なのだ。そんな生活の中で、政府はマスコミを操りフェイクニュースを流す。テレビで流れたものは事実として受け取る。裏読みしたり意味を考えたりする人は少ない。

そんなことを言えば「変わってるね」「変だよね」と阻害される。だから口に出さない。教育で「疑う」「真相を考える」ということを教えず、本来、それらが仕事のマスコミが「嘘」を流し、「印象操作」や「誘導」を行う。全ては政府と企業の都合がいいようにだ。そんな構図の中で、小池百合子は都民にどう映っていたか? 印象的なフレーズ。横文字を使う。フリップを使ってキャスターのように語る。「この人。賢い。凄い。頑張っている」となる。

「カイロ大学を首席で卒業」なんてのにも日本人は弱い。英語を話せるというのは経験値の問題なのに「英語できるんだ。賢いー」と思ってしまう。アメリカに行けば誰だって英語だ。賢いからではない。そんなことに騙される。毎日、テレビに出ている。凄い。頑張っている。与えられたことをするだけの思考が育てられていない国民には、そう見えたはずだ。

と言って彼ら彼女らが本物の馬鹿か?というとそうではない。大学も出ている。会社でそれなりの仕事をしている。法律を守り、違法行為はしない。人にも親切。世間に迷惑をかけずに生活している。が、考える力がない。本物のアホではない。その部分を伸ばす教育だけがなされていないのだ。本当の意味で疑う。背景を考える。推理する。ということをしない。やればできる能力はある。が、「どうせ無駄だ」という諦め。「考えすぎだよ」という発想。日本人が持つ古い習慣も手伝って、本質を知ろうとしない。

だから、政府にも、小池百合子にもコロッと騙される。わざわざ投票所まで行って、都民の生活を真剣に考える山本太郎や宇都宮健児ではなく、私利私欲のためだけに生きている小池に投票してしまう。次の国政選挙では都知事の椅子を投げ出し、出馬する可能性が高い小池を選んでしまうのだ。「考える力」が育っていないからそうなる。では、なぜ、そんな教育をしなかったか?

それは敗戦後。「優秀な人材を育てて経済復興をする」という方針。だが、同時に、国に対して従順で、逆らわず、批判せず、疑問を持たない国民。それでいてよく働く、文句を言わない。そんな扱いやすい、国にとって都合のいい国民を育てるというのも、目的の一つだったのではないか? その成果が上がり、現政権を見れば無能な政治家たちが並んでいる。彼らもまた国民が選んだ人たちなのだ。

しかし、大きく時代が変わった今、それらの洗脳教育を受けた国民では対処できなくなっている。言われることしか出来ない人材では、現在の危機を乗り切れないでいる。それが20年を超える不況となった。アジアの極貧国になり、アメリカやロシアから舐められている。優秀な政治家が出て来ないのも背景には教育がある。その教育で育った国民は誘導されれば無能な政治家を選ぶので、さらにドツボにハマる。

その意味で山本太郎や宇都宮健児という存在は奇跡なのだ。日本が直面する問題を解決することができる。だが、洗脳が行き届いた国民の多くがまだそれに気づかない。まだまだ年月がかかるのか? 太郎2世や健児3世の時代まで待たねばならないのか? そんなことを実感した都知事選。まずは都民が、国民が「考える」ことからが新しい時代のスタートということなのろう。


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