https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7268868 砂鉄川はとても澄んでいました!!
室根山の夕景
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6745838 山のあなたの空遠く、幸い住むと人のいう・慈悲の瞑想
夫婦岩を紹介したページです
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6389821 河童
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7313171 金山一揆
古代の神意識では この紅葉をどのように捉えるのでしょうか?
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7319790 循環思想・縄文思想
http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no37/02.html【田の神祭りに見る日本人の神意識】
唯物的な古代の神意識の項を考察したいと願います。ここでの古代は縄文と弥生時代の境目ぐらいを指しているようです。
「僕は古代史が専門です。古代社会を見ていますと、どうしてもその後の展開とは疎遠になりますが、しかし、逆に考えてみると、日本の原型を見るには都合がいい。
当然のことながら、非常に古い段階での日本の在り方と、今とでは大きな隔たりがあります。例えば、日本の神霊というかスピリットは、常に物とくっついているんです。物と離れて意識されることはないんですよね。アエノコトでいうと、穀霊は穀物そのものでして、それを祀る。穀物の移動に伴って、神霊も移動してくるのです。
したがって、日本の古代には超越神たる第三者の存在なんていう意識はなかったと思います。超越神といった発想は、多分にキリスト教などの唯一神宗教に出てくるものです。日本の場合は、物から離れた〈神〉というような存在を生み出す段階にまで至らなかったんですね。物自体に神霊がある、と見る。その神霊を祀るのが日本の祭礼なのです。
祀るっていうのは奉(たてまつ)るで、物を差し上げることですよね。差し上げてうまくいったら報賽(ほうさい)、お礼をするわけです。それが祭りです。」
連想するのがイオマンテそしてアニミズム
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7296956 「蝦夷」とは、続縄文文化を基層とする集団
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7099567 神道・物部氏
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/2967015 アニミズム
国立アイヌ民族博物館展示計画の策定について - 文化庁(Adobe PDF)
www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/.../2016053101.pdf
展示ストーリー>. アイヌの宗教(信仰)を理解するためのカムイ(神)の考え方や自然観,死生観を中心に展示 ... 展示ではアイヌ文化の独自性や他の文化との共通性について意識できるよう. 心掛ける。 ... イオマンテ(霊送り儀礼)
https://biz.trans-suite.jp/23805 「アニミズム」の意味とは?「シャーマニズム」との違いや例も
古代の信仰形態を「アニミズム」と呼ぶことがありますが、具体的にはどのような意味なのでしょうか?この記事では、アニミズムの意味や英語、考え方を解説し、あわせて「シャーマニズム」との違いも紹介します。さらに、海外や日本および身近におけるアニミズムの例も紹介します。
「アニミズム」の意味は「精霊信仰」
アニミズムとは、「自然界のすべての現象や事物に霊魂が宿るとする考え方」のことです。日本語訳では「精霊信仰」「地霊信仰」などと訳されます。
イギリスの人類学者で「文化人類学の父」と呼ばれるエドワード・バーネット・タイラー(1832年~1917年)が、『原始文化(Primitive Culture)』 (1871年)において、原始宗教の特徴を示す言葉として「アニミズム」を用い、その概念が広まりました。
「アニミズム」の考え方は「聖なるものは自然に宿る」
アニミズムにおける崇拝の対象は、自然の中に存在するすべての事物・事象で、例えば樹木や岩石、山、水、泉、さらに雷、太陽や月などです。アニミズムは「聖なるものは自然に宿る」という考え方を持ちます。
信仰のわかりやすい事例としては、世界中に見られる巨石崇拝や山岳信仰があります。「人格神」ではない、目に見えない聖なるものが、自然の事物に宿る世界観がアニミズムです。
「アニミズム」は英語で「animism」
アニミズムは英語で「animism」と書きます。ラテン語で「魂・霊魂」という意味の「anima(アニマ)」に由来します。「アニマ」は、古代ギリシャの哲学者たちが使った「息・命・魂」という意味の「プシュケー」の語を、中世にラテン語に訳したときにあてられた語です。
ピアジェが提唱した「アニミズム」は精霊信仰とは別の概念
スイスの心理学者であるジャン・ピアジェ(1896年~1980年)は、幼児期の思考形態として、玩具など命のない物を、あたかも命や意思があるかのように擬人化して考える心理のことを「アニミズム」と呼びました。未熟な子どもは、自分の心と外界との区別ができないことにその要因があり、成長とともにアニミズムを卒業してゆくと考えました。
ピアジェが提唱した幼児期の成長過程にみられる現象としての「アニミズム」は、「精霊信仰」の意味でのアニミズムとは別の概念です。
「アニミズム」と「シャーマニズム」の違いとは?
古代の宗教形態として「アニミズム」の他に「シャーマニズム」があります。両者の違いとはどのようなものなのでしょうか?
「シャーマニズム」とは「シャーマン」によって成立している宗教のこと
「シャーマニズム」(英語: Shamanism)とは、「シャーマン」によって成立している宗教のことを言います。シャーマンとは、神や精霊と交流することによって、神託や預言を伝達したり、呪術的な祭祀を行ったりする宗教的職能者です。
シャーマンが祭祀などを行うときは、意識のないトランス状態になることが多く、トランス状態に入ったときが、神や精霊と交流している状態だとされます。
シャーマンを中心とする宗教形態であるシャーマニズムは、全世界に存在する普遍的な宗教形態です。日本では「巫術(ふじゅつ)」などと訳されます。
「アニミズム」は「シャーマン」を介さない
「シャーマニズム」と「アニミズム」は、自然の精霊を崇拝するという意味では共通ですが、信仰の形態を「アニミズム」と呼ぶときは、「シャーマン」を介さない自然崇拝を指します。
しかし、アニミズムの周縁にシャーマンが存在し、個別の祭祀的な役割を持つこともあります。アニミズムとシャーマニズムは、どちらも土着信仰の基底に見られるわかちがたい概念です。
「アニミズム」の例とは?
アニミズムは世界中の古代世界に現れた世界観ですが、その中から、海外と日本、および身近に見られる「アニミズム」の例を1例づつ紹介します。
海外の例:「ケルトの信仰」におけるアニミズム
古代ヨーロッパにおける自然信仰としてよく知られているのが「ケルトの信仰」です。ケルトの信仰は、各地に残るケルト人の習俗や神話・伝説によってうかがい知ることができます。
ケルト人とは、紀元前1世紀前に、中央アジアからヨーロッパに移動した、ケルト語を話した民族の総称です。初めにアイルランド、スコットランド、ウェールズなどに住み、紀元前500年頃にはスペインやポルトガル、イタリアや東ヨーロッパまで広がりました。
ケルト人は、ヨーロッパ文明の基層のひとつとなったケルト文明を築きました。ケルト文明の精神の基底は、「アニミズム」にありました。動物・植物や自然現象を崇拝し、「ドルイド」と呼ばれる神官が儀式を執り行いました。
動物の中でも特に馬や牛は、その力強さや有用性から神聖な動物とされて崇拝されました。植物では、大きく成長するオークの木と、それに寄生するヤドリギなどが聖樹とされました。さらに、水と火も崇敬の対象であり、水のある場所は異界と接する場所だとされました。
崇敬された自然との関わりは、ケルト人が文字を持たなかったため、妖精や魔物などが登場する図像や、神話や伝説となって伝わっています。
日本の例:「神道」におけるアニミズム
現在、「神道」と呼ばれているものは、古代日本に自然発生的に生まれた自然信仰、すなわちアニミズムを根本としています。日本では、有史以前の時代から、山や火などの自然や、自然の中に見出された土着の神々を信仰していました。それらは原始神道(古神道)と呼ばれます。
8世紀初頭に、日本初の歴史書『日本書紀』『古事記』が著され、それが「神道」の聖典となります。その時「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」が日本民族の最高神と規定されました。それに伴い、土着の神を祀っていた神社は、聖典に登場する人格神に多くが変更されました。
天照大御神を祀る伊勢神宮を頂点とする現在の神道は、原始神道からは形を大きく変えていますが、人格神を主体としないアニミズムの精神は、岩や樹木を祀るなどのさまざまな習俗を通して失われていないといえます。
身近な事例:日本の「八百万神」
身近なアニミズムの例は、「八百万神(やおろずのかみ)」に見ることができます。「八百万神」とは、神羅万象に神や神霊の発現を認める、古代からの日本の神概念を表す言葉です。
例えば大きな岩や山をご神体として祀ったり、ある土地の領域を神聖な場所だとして結界を設けたり、神社などにある池や樹木そのものに神霊が宿ると考えたりすることは、身近に多く見られます。
まとめ
「アニミズム」とは、「自然界のすべての現象や事物に霊魂が宿るとする考え方」のことです。日本においては、『古事記』などによって人格神が現れる前の、古代における神道がアニミズムでした。
現代日本においても、アニミズムの精神は失われていないといえます。清涼な自然の中に聖なるものが宿るとの考えは、豊かな自然とともに生きてきた日本人の根底に根付いているものだといえます。
なお、ユダヤ教やキリスト教などの一神教は、砂漠という過酷な自然の中で生きる民族の中で生まれたものです。恐れ、また救いを求める対象である人格神への信仰と、自然の中に形を持たずに宿る八百万神への信仰は、ひとつの俎上に載せることのできない異なる概念であるといえます。
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~hirukawa/text/animism.htm アニミズム animism (有霊観)の一節
「人間だけでなく、動植物や無生物にも霊魂が宿っていて、物体から離れても独立して存在しうるという観念」
https://jahistory.com/animism/ 縄文時代の原始的な信仰「アニミズム」ってなんだ? より
今回はこれまでの話とはちょっと違った話題について見ていこうと思う。
ずばり「縄文時代の信仰」についてだ。
縄文時代のころには当然キリストも生まれていないし、ユダヤ教もまだできていない。
そもそも「宗教」というもの自体がなかった。
そんな縄文時代で形成された考え(思想)が、アニミズムだ。
http://dancyotei.hatenablog.com/entry/20160904 「諏訪の神:封印された縄文の血祭り」戸矢 学 その1
少し前にNHKスペシャルでやっていた、諏訪地方の御柱祭のことを書いた。諏訪というのは私の母親の出身地でもあり、私自身も御柱を少しだけ曳かせていただいたこともある。
ここからいくつか関連書を読んでいるのだが、その一つ。Nスペのタネ本の一つかもしれないもの。「諏訪の神: 封印された縄文の血祭り」戸矢 学
戸矢氏というのは私は存知あげていなかった方だが、国学院の神道学科を出られて、神道、日本の神、神話などの分野でノンフィクションを書かれている。63歳。
かなりおもしろく、刺激的であった。
御柱祭、あるいは、諏訪大社そのものを歴史学、神話、考古学、神道、民俗学などなど様々な角度から解き明かしている。
目から鱗。
また、中には随分とショッキングな内容もあった。Nスペでもこの文脈で語られていたのだが、諏訪地方は縄文文化を最後まで守っていた地域であったこと。
そして、諏訪大社及び、御柱祭はやはり縄文時代の日本人の神意識というのか、精神世界、あるいは世界感にその起源を発しているということ。
やはりこれが最大の肝であろう。
我々日本人の奥底にある本質とはいったいどんなことでそれはいつ形成されたか、ということにリーズナブルに答えを出していると思われる。
私達はどこからきたのか、という問いへの回答といってよい。
私自身とすれば、大袈裟ではなく長年の霧が晴れたようにすら思っている。
さて。
まずは、本書で説き起こされている諏訪大社について。(著作の紹介にもなる。ご興味のある方は直接お読みいただいた方がよいかもしれぬ。)
まずは諏訪大社の祭神について。
諏訪大社の祭神というのは建御名方命(たけみなかたのみこと)という神様であると公式にはなっている。諏訪大社の祭神に関する二つの通説がある。
正確には、大社は上社本宮(かみしゃほんみや)、上社前宮(かみしゃまえみや)、下社春宮(しもしゃはるみや)、下社秋宮(しもしゃあきみや)の四つの神社からなっており、祭神も違うのだが最も中心的な上社本宮の祭神が建御名方命となっているということである。
以下、この文章では若干省略した書き方をするが、ご了承いただきたい。
古事記には出雲の国譲りというくだりがある。
この中で大国主命(おおくにぬしのみこと)の次男の建御名方命が反抗したが負けて諏訪地方に逃げ、ここから出ないことを約束して許してもらった、となっている。
これが諏訪大社が建御名方命を祭神としている起源ということになっている。
これが一つ。
また、もう一つ。諏訪大社の神職の一つに神長官(じんちょうかん)というものがある。
守矢氏という家があり、この家が代々この役職を務めていたのだが、この家は建御名方命以前からの古い諏訪の神の子孫で諏訪に入ってきた建御名方命に抵抗した。これがもう一つの諏訪大社の、定説。
この二つの諏訪大社の祭神に関する通説に対して、そうではない、と異を唱えている。
守矢氏の起源というのは実は、物部守屋である、と様々な観点から説き起こしている。
いきなり、妙な名前が飛び出している。
物部守屋という名前を憶えておいでの方は、そう多くはないかもしれない。
物部氏は蘇我氏と並ぶ古墳時代、大和朝廷の有力豪族。
守屋はその長(おさ)で大連(おおむらじ)。時代的には大化の改新のすぐ前の人物。
朝廷内の権力闘争に敗れ、蘇我馬子などによって滅ぼされた。
これは教科書にも載っている、まあ、史実なのであろう。
この守屋が葬られたのが諏訪大社上社で先の守矢氏はその末裔というのである。
先の“国譲り”の建御名方命は同じ頃の朝廷の正式な史書である日本書紀には記載がなく、
古事記のみであること。
物部守屋は朝廷内の権力闘争に負けたのであるが、勝った蘇我氏や天皇家は武勇に優れた守屋の祟りを恐れ、四天王寺を建立している。
これと同時に諏訪大社に物部守屋を建御名方命として封じ、古事記の国譲り神話に建御名方命の部分を創作、挿入した、という説である。
まったく大胆な説である。
本来の諏訪大社の神はミシャクジというものでこれが今も守矢家が守っている。(これはNスペでもやっていた事実。)
諏訪神社というのは全国に分布し、諏訪信仰の広がりは実に大きい。
これは、武勇に優れた、物部守屋に対する信仰であったのではないか、と。主として、その後の武士からの。大胆な説であるが、大いにうなずいてしまった。
権力闘争に敗れて滅ぼされて、神になるというと平安期の菅原道真を思い出す方も多かろう。
時代としてはさらに古いが、滅ぼされ、ある種の神となり、祟りを起すものとして滅ぼした権力側からは恐れられ、封じる対象となった。だが、一般からは崇敬される対象となる。
なぜ物部守屋が諏訪に逃れたのか、というのは、彼らの領地であったから、という説明がなされている。
そして、守屋は諏訪大社に葬られ、ここで祭神がミシャクシから建御名方命に替わっという。物部守屋が滅ぼされたのは587年ということになっている。
この時代とはいえ、そもそもこんなことが簡単に起こるのかという疑問も浮かんではくる。
今ある四つのお宮のうち、下社の二つはこの祭神の交替後に新たに、朝廷によって作られているという。そしてこの下社の神職は朝廷から派遣され官位も上社よりも高いとのこと。
この下社が朝廷の意志によって新たに作られたのは祟りを起す神となった物部守屋を封じるためのお目付け役という意味であったのではないかという。
これも祭神の交替(古くからの神→建御名方命=物部守屋)のある種の裏付け。
一地方の神社ではあるが、朝廷を巻き込んで、多分に政治的であり、ダイナミックなことが起きていたという仮説ではある。
とても興味深いではないか。
ただ、不思議なのは祭神が替わるという神社にとっては一大事のことなのだが、伝承にしても記録にしてもあまりはっきりしていない。いや、むしろ、皆無である。
唯一の説明は、先に出した、古事記の国譲りの部分。
つまり、表向きは建御名方命の話し(神話)を正しいものとし物部守屋のことは秘された。
例えば、当時は諏訪の人々は守屋の件は皆知っていたことだが、知らないこと、語ってはいけないアンタッチャブルなこととして扱われたのではないか。公然の秘密として。
そして、平安時代、鎌倉、室町、戦国、江戸までで1000年以上。
時代が経つに従って、諏訪神社=建御名方命=物部守屋(武勇の神)が秘められているうちに段々に一般にも忘れられていった。
むろん、今では御柱を曳く諏訪地方の氏子達は誰も知らない。
これがまさに諏訪大社の秘められた真実なのか。
高橋御山人の百社巡礼/其之九拾 まつろわぬ「鬼」達 日本史の裏側(特別対談)
あらすじ・解説
本シリーズも第九十社。テーマは言うまでもなく「神社」だが、作品の多くに共通するテーマとして「まつろわぬ民」や「鬼」がある。それは高橋御山人が長年運営しているWEBサイト「邪神大神宮」のテーマでもある。いずれも朝廷や幕府といった時々の権力に容易には従わなかった人々であり、本シリーズは第一社からしてアテルイがテーマで、各地の土蜘蛛を度々取り上げ、鬼女紅葉、酒呑童子、温羅等、「鬼」そのものも数多く紹介した。隼人の首領とされる弥五郎どんや、飛騨の両面宿儺等、「まつろわぬ」族長の影が濃い存在も登場している。傀儡子師や木地師といった、非農耕非定住の漂泊民も取り上げた。彼らも農耕定住を基盤とする日本の歴史的統治体系からすれば、一種の「アウトサイダー」であり、「まつろわぬ民」や「鬼」につながっている。非農耕の産鉄民をテーマとした回もあるが、農耕民から異様に見られた彼らは、「鬼」のルーツの一つである。こうして振り返ってみると、その一つの極、頂点に、後醍醐天皇という存在が浮かび上がって来る。天皇という体制の頂点にありながら、体制を破壊し再構築しようとした後醍醐天皇こそ、究極の「まつろわぬ」存在であり、「鬼」ではないか。そしてそれは、一般の認識とは異なる「天皇制」の別側面の象徴でもあった。「日本史の裏側」を透視する特別対談。
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